私の母は、書道教授を生業にしている。普通の女性の場合かな専門が多いが、専門は漢字で、蘇東坡(蘇軾)の字とか、王羲之とかを一応専門としているらしく、蘭亭序の模刻の拓本が机上にあったりしていた。もう40年ほど前たまたま近所に住んでいた書道を専門とする大学教授の門下に弟子入りしたのだが、実はこの人が今やその道では名家になって日展にからんでいることもあるという運のよさもあろう。ちなみに妻の実家も偶然ではあるが父親が書道を教えていたが、これは僧職の修行で会得したもので、又違った洒脱さがある。そういう意味では漢籍が幼いときから、そして結婚してからも結構身の回りにある環境であるため、普通より多少知識があるほうと自負している(あくまで自負)。
漢詩の韻の踏み方などにビジュアル的なバランスがあるのかなあと思う。律詩又は排律では最初と最後の2聯(それぞれ首聯、尾聯という)を除き、対句を用いなければならない規定がある。出句、落句の各字がほぼ平仄反転の対になっている。さらに文法上も、意味上も、それぞれ対応する関係になっていることを対句という。「xxはxxにxxしてxxする」という全く同形の文法構造をとるとか。また白と黄、日と河、山と海という意味上の対応も対句の要件の一つである。
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