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続:選挙も近くなってきた

先日、夕方の駅前を歩いていたら地下の公共広場に人だかりが、見ると「八紘一宇」でお馴染みの三原じゅん子参院議員である。
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しかし、まあ元女優・歌手という感じがなくなってある意味政治家になったということか、演説も聴けるなあと思うが、肝心の聴衆がみんな写真を撮るためにスマホを掲げている。あれはたまらないだろうなあと同情する。彼女は第24回参議院議員通常選挙では、比例区から神奈川県選挙区の候補の擁立に変えた。ただし、神奈川県選挙区は改選4議席あり、2名の公認候補を擁立する方針であるため、2名が同じ政党群(公明党が立てない)になるわけだから、そら遊説は力が入るものである。
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ここまでは以前書いたことなのだが「八紘一宇」ということに関しては、よりによってなんでこのような手垢がついた言葉を使ったのかというのにあきれた。崇高な理念だったとしてもこれでは意図は伝わらないと憂う。やはり意図する内容には別の言い方があっただろうし、戦時統制のプロパガンダとしてとらえられる危険性が高いといいうことは多くは感じたようである。

もちろん当初提唱さられた本当の意味としては、「八紘」が「8つの方位」「天地を結ぶ8本の綱」から世界と同義であり、「一宇」(ないしは為宇)は「一つ」の「家の屋根」つまり一元化であると解する。どうも三原が言った意味は原義のほうに近いようである。もともとの中国の古典では「八紘同軌」といった事例もあったようであるが、ただし一般的な言葉ではない。
すなわち理念としての原義は、多少「「一つ」の「家の屋根」」のような東アジア的視点に立っているところが一般性を欠くが、これ自身は特段・目くじらを立てる内容とは必ずしも言い切れない。
ところが拡大解釈をいくらでもやることができる言葉でもあり、またそのような解釈の作為が可能な言葉でもあった。この前提においては意識の一元化を前提としたロジックがあり、結果的にスローガン化されたことによって、戦意高揚の目的にあっさりすりかえられたのである。元の「八紘一宇」自体が一般性のない語彙であることから恣意的な理由付けをされても国民が解釈できなくても仕方がない側面もある。さらに一意の国家意識を統制することは、ドイツの第三帝国における統制の概念(全体主義)や、国を家に仮託することで国家主義の形態を模擬する傾斜が容易なロジックである。つまり原義が徐々にすり替わる上に、解釈を正確にしにくいな難解な語彙であるということが、これをスローガンに用いることを容易にしてしまった。そのような危険性を三原やその周りが持っていたかというと、まず持っていなかっただろう。

もっとも歴史的視点から見たら、とんでもないということにはなる。ただしこれはその議論をする人間の国家感によりまったく意見の統制が取れないものである。侵略戦争を正当化したい願望があるかというとほかの発言では見られないようだから、単純に理念に対して賛意を示しただけでもこれは国家主義者であるというのもあるが、これとて一種のレッテルはりだよなあ。不穏当であれっても、本義を踏まえた上で今日的な文脈で捉え直したことを言うのは、言論の自由としては否定することは厳しいのかもしれない。
さらに三原じゅん子参院議員は過去の経験から、医療福祉に対して造詣は国会議員としては実務的経験ベースで深いといわれ、自分でも過去に福祉施設を経営・運営していたという。もしかすると「「一つ」の「家の屋根」」のような東アジア的視点は、日本的家族体制を基盤とした視点としてはたしかに、高齢者などを考慮するとなじみやすいところはある。
もっとも原義でも「一宇」と言う概念自体が自由主義者にとっては価値観として問題という認識は出るとは思う。したがって、理念自体に共感するのはまああってもいいが、東アジアの基本的概念を他のエリアに持ち出すような単一価値観の提示は、通信環境の発達した現在ではまず破綻されることになると考える。
これらの意味で、いかようにも解釈を膨らませる上に歴史的バイアスがある現状では、少なくとも国会では使うことは避けるべきとは思ってしまう。たとえその意図が崇高な理念の普及を行うことにあっても、またトリガーとしての過激なセンテンスとしても。
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私の個人的な考え方としては、語彙の選定としてはきわめて問題の多いことは承知のうえで、あえて言い換えできる言葉がないというなら、少なくとも、かぎ括弧月付きで「八紘一宇」を語るという前提は必要であったのだろうと思う。ただし、このような言葉は言い出した人間が「芯をとる」、「提案したものの世界観を他者が受け入れることが前提」というところでもある。原義でも「一宇」と言う概念自体が自由主義者にとっては価値観として問題という認識はまさにこの点にある。
このような提案は経済なら「ブロック経済化」「TPP」「アジア開発銀行の運営」「アジアインフラ投資銀行の運営」など統制が取れないのと同じく、誰が言い出したのかがかなり重くなるのと同じである。つまり、意識下の世界の多極化は利害関係がからむと統制がますます取れないことで、経済と政治・経済と思想・行動が不可分に成りつつある現在では、これらの言いだしっぺが経済的に圧倒的有利性を持たないと、統制は難しいというのもある。つまり、いかなる言葉を用いても「八紘一宇」の概念は崇高なものにあっても、国際的に普及することは、まずないというのが現実であろう。ドメスティックな言葉で「八紘一宇」というのは、原義と相反するのもわかるだろうし、自国の崇高な理念が他国にて、非難嘲笑の対象であることはまあ普通にあることである。

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