長距離路線バス
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http://trafficnews.jp/post/47456/
バス車内でラジオ放送なぜ? 背景に厳しい沿線環境 2016.01.02 須田浩司
路線バスの車内といえば一般的には案内放送以外、静かなもの。しかしそこでラジオ放送を流している、全国的にも珍しいバス会社があります。なぜ、そのようなことが行われているのでしょうか。
車内のラジオ、元々の理由は沿線の厳しい環境
日々、通勤や通学で利用される路線バス。その車内は案内放送を除き静かなのが普通ですが、そこでラジオ放送を流しているバス会社があります。
全国的にも珍しいそのバス会社は北海道北部、日本海に面した留萌管内の羽幌町に本社を置く沿岸バス。(中略) この沿岸バスでは、昔から一部路線においてバス車内でラジオ放送を流しています。その理由について、同社営業部の斉藤さんは次のように話します。
「当社の営業エリアである宗谷・留萌管内は、年間を通して強風や越波に見舞われることが多く、たびたび幹線道路が通行止めになるうえ、その際に路線バスが迂回できる道路が限られています。そこで早期に障害情報を収集し、速やかに対応できるよう、全車にラジオ機器を搭載しているのです」
つまり、ラジオ放送を車内で流し運転手が常に情報収集することで、バスの運行に役立てようというのです。沿岸バスの営業エリアは、バス停や待合室がたびたび吹き飛ばされるほど冬の気候が厳しい場所。車内でのラジオ放送は、そんな地域を走るバス会社ならではといえるでしょう。
別の役割も担うようになったバス車内のラジオ
しかしながら、一般的にバス車内は案内放送を除いて静かなもの、また静かにするものです。苦情はないのでしょうか。
「把握している限りでは、過去に1度だけ北海道外から来られたお客様より『運転手が暇つぶしにラジオを聞いている』と苦情が寄せられたことがありましたが、その際は経緯や地域事情をお話してご理解いただきました」(沿岸バス、斉藤さん)
また近年では、障害情報の収集以外にもラジオ放送が役立っているといいます。
「元々は、障害情報を収集する目的でラジオ放送を流していましたが、過疎化による病院や学校の統廃合などによって通院・通学に1時間以上かけるお客さまが増えたこともあり、最近では乗車中の娯楽としても支持されています」(沿岸バス、斉藤さん)(中略)
実は、かつては長距離路線を中心に、車内でラジオ放送を流していたバス会社が少なからず存在していました。なかには十勝バス(北海道帯広市)の「広尾線代替バス」のようにTV放送を流していた路線もありましたが、時代と共に数が減り、いまではすっかり珍しくなっています。
東日本大震災以降、娯楽としてのみならず、災害時の情報ツールとして再評価もされているラジオ。スマートフォンが普及する昨今ではありますが、路線バスにおける情報ツールとして、より注目されて良いかもしれません。
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留萌市に基盤をもつ会社であるが、そのこととは関係ないものの萌え関係のイベント等で集客を図っている会社である。たしかに3時間以上乗り続ける長距離路線が主力であるため、このような配慮は必要ではないかというのは一理ある。さらに、この地域ではスマートフォンの使用が困難であった可能性は高い。
「長距離路線を中心に、車内でラジオ放送を流していたバス会社が少なからず存在」していた記憶はあり、奈良県橿原市-和歌山県新宮市を走る八木新宮線という路線は6時間半かかるものがある。これも往時はイヤフォンをつけてラジオを流していたようである(親会社の近鉄特急のサービスに類似)こちらも、人口は希薄だし社会状況は似ているといえば似ている。もっとも、それ以外の路線でもラジオをがんがんならしていた記憶はある。かなり前であるが両備バスでそういう場面があって、野球中継に停車駅アナウンスがかき消されているというのもあった。そのように、従前はさほど珍しくなかったものでもある。
TVにしてもJRの一部の特急列車には取り付けられたこともあったが、徐々になくなってきており、これは必要がないという人からの反感が根強いことと、つけたからサービスが向上したといってもサービスを受ける側が「価値が向上して、ほかのものを買う・ほかのものに投資する」という概念がないという前提だと、これらのサービスが定着しない傾向が強くなっている。
たとえば、ラジオをつけたとしよう(路線バスにはラジオがついていないものが依然多いが、ディーラーオプションで対応できる)これによってのエネルギー消費やコストアップはきわめて微小である。
顧客にとって価値向上したものは
(1)情報の供給による安心
(2)緊急対応可能な体制構築
反対に価値低下したものは
(1)居住性(情報の供給行為自体が価値低下につながる)
(2)利便性(選択的情報を得られない・顧客に選択権限がない不自由さ)
こうなると、すでにこのサービスの問題は、顧客の個々のニーズに対応することに対する不適合ということになる。加えてこの顧客が当地では移動手段に選択肢が多くないからバスに乗っているわけで、ほかに選択可能な交通手段があるなら使わないという、元来の不満がある場合、すべてのサービスのアクション自体が、何を行っても必ず不満につながるわけである。
特に最近顧客が変化を求めないという層が大半を占めることになると、すべての変革行為が、顧客の離反につながるという場合がある。明確に不満を持っている場合は抽出できることも多いが、なんとなくということも多い。たとえば赤字の鉄道が廃線になってバスに置き換えとなったとき、自動車に移行したりバスに乗り換えたりということは想定できたのだが、交通の選択肢がなくなったので買い物にもいけなくなり郷里を離れたとか、これを機会に生活を代え地域外の交流を断ったというネガティブな方向性に行く場合が、10年単位で行くとじわじわと利いて来る場合も多くあった。
このようにネガティブクレームが生じ、それを反映されない限り、いくら社会性が高い商品・サービスでも忌避され、さらにそれが潜在的な動きになってしまうため、気がついたら誰も周りにフォローするものがいなくなったということがある。下手すると商品の存在意義自体を失うことにもなるが、その原因はニーズを吸い上げようとすることが(金銭的・投資回収面で)難しいという場合と、市場のニーズ・シーズ自体が硬直化しており、企業活動との対応性が薄くなってきたということもあるのだろうと思う。これらは「なぜか日本だけ売れない」という製品群が必ずあるということにも話がつながるのである。
幸い、沿岸バスにおいて放送を流すクレームが出ていないのは幸いで、安全運行に対する満足につながっているのなら幸いだ。ただ、それが潜在的不満(逃れられない自然環境)によるものとしても)であって、徐々に忌避につながるという側面は、まったくないわけでないのが厄介である。
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