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かんしゃくに見る古典的マネージメント理論

落語の演目にかんしゃくというものがある。
実業家・劇作家の益田太郎冠者が書き下ろした作品であるが、新作である。益田太郎冠者(本名 益田太郎)は三井財閥創業者の一族で台湾製糖の社長、千代田火災・森永製菓・帝国劇場の役員などを歴任した実業家であった。ちなみに帝国劇場は三井系の会社で、同じ三井系企業のタイアップで有名なコピー、「今日は帝劇 明日は三越」というのがある。
台湾製糖は戦後二国の法人に分離したため、日本法人の会長の時は、製糖技術を生かせたペニシリン製造会社(後の台糖ファイザー)を設立した。だから実業家としての顔が本職のはずである。
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三井物産の創始者 益田孝の次男であり品川の大豪邸に住んでいた。中学生のときに両親不在の折、芸者数十人を呼んでどんちゃん騒ぎをする。これでは・・・とおもったのかイギリスに留学させられ、そのうちベルギーのアントウェルペン商業大学(今のアントウェルペン大学University of Antwerp の一部の様である。ここはUFSIA (Universitaire Faculteiten Sint-Ignatius Antwerpen)、RUCA (Rijksuniversitair Centrum Antwerpen)、UIA (Universitaire Instelling Antwerpen)の3つの教育機関が2003年に合併してできた新しい大学。UFSIAは主に人文・社会科学、RUCAは主に自然科学、UIAは大学院大学だった)に進む。当時のアントウェルペンは商取引・株式取引などで非常に開け、世界初の現物取引先渡取引に関する商品取引所が開設された地である。帰国後、横浜正金銀行(外国為替銀行で、系譜としては後の東京銀行にあたる)に一時勤務していたという。

青年時代のヨーロッパ留学中に本場のオペレッタ類に親しんだ。オペレッタは台詞と踊りのあるオーケストラ付きの歌劇という見方で、軽歌劇・喜歌劇といわれオペラというよりむしろ喜劇に近いものである。
この結果、喜劇脚本を多く執筆し、又歌劇のための歌詞を作っている(今も有名なところでは通称「コロッケの唄」がある)ことで、作詞家という側面まである。

帝国劇場の役員となったこともあり、女優の育成とミュージカル仕立ての軽喜劇を明治末から大正時代にかけて台本を書いて、上演までした。もっとも、この台本は当時は学識者にあまりいい評価を得ていないのだが、結果的には、系譜としては浅草オペラ→浅草軽演劇、一部はボーイズ物に大きな影響を残しているし、戦前この系譜が吉本興業の影響ににあったことから、戦後になって吉本系の寄席のポケットミュージカルとか新喜劇にも多少の影響を及ぼしたとみなせる。更に戦後の東京の軽演劇にも人材面でも波及しているとまで言えるなど商業演劇に少なくとも影響を与えているともいえる。その他にもYOUTUBEによくある「忙しい人のための●●」の先駆というような「高速度油屋十人斬り」(歌舞伎にある実録由来の「油屋騒動」の超短縮版らしい)なんてのまで作っている。
AKBやアイドルの場合、阪急の実質創業者で・・即ち宝塚歌劇の創始者である小林一三の影響が多く、戦前のレビュー全盛期の影響もあれば、モー娘。・AKBグループ等を典型例とするアイドルグループのロールモデルになっている。この小林一三もまた新聞に小説を書いたりした時期もあるため文学的素養があったようで、初期の宝塚歌劇の台本を書いており、益田太郎冠者とは少し遅くはなっているが実はやってることがあまり変わらない。小林一三は東急の経営にも関係しており、お互いに触発されたということはあるのだろう。
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では、本業である企業経営は?
どうも、洒脱な性格(しかし酒は飲めなかったらしい。というか接待においては酒を最初しか飲まずに全力で対応したwためでもある。)だったので財界全般に知己が多かったのだが、基本接待担当重役のような形であったらしい。宴会の演出にはかなり奇抜なものがあったようである。従っていろいろ仕事をしているものの、人を驚かす趣向・奇をてらう演出による宴会をやっていたという。そのため企業人の評判も演劇人の評判もそこまでよくなかったという記載もある。
ただ、宴会芸としての俗曲百般もできたなど趣味人を徹底し何事も(遊ぶのも)徹底するた結果、落語家との縁もでき、新作落語を書いたものの一つが「かんしゃく」である。ただ雰囲気が極めて古く、また落語専門の作家がまだ現れる前(なお報酬をもらった落語作家は、後に漫画家として高名になる田河水泡が最初という)で報酬を充分もらって書いたということでもないらしく、今は古典落語として扱われている。たとえば「宗論」という落語は今でもよくかけられるが、これなんぞは狂言の「宗論」をベースにしているようなところがあり(そもそも、自分のペンネームも太郎冠者という狂言の名前をもじっている)キリスト教がでてくるにもかかわらず古典落語としての扱いになっている。
のちに彼が台湾製糖の業務に専心する昭和初年以降は、今までのように執筆をしたり接待業務を熱心にすることが物理的にできなくなったらしい。台湾製糖は国策会社という側面もあるため、なかなか顰蹙を買う行動もできず、また社長になったころは戦時体制という状況になっておりますます難しいことになるだろう。
しかし、このようなある意味芸術肌の趣味人だった割に、マネージメントの視点は、その幼少時の留学経験等も影響したのか仕事上割とそなわっていたらしく、大会社なりの経営知識は結構あったと思われる。戦後は半分隠居したものの、海外技術を導入した新規事業の立ち上げ支援を行っており、基本的には経営者としての資質は決して劣るものではなかった。

少なくとも3幕物のコントにできる感じの人情話である。推測になるが舞台転換に使用するターンテーブル(業界用語で盆と呼ぶらしい)を使う形の舞台転換のある歌舞伎用の舞台だとか、花道があるような舞台を想定した台本だと60分ぐらいで演じられそうであり、もともとはそのための台本を落語にしたてたという可能性はあろう。
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夏の夕方、実業家の大きな屋敷でのこと。旦那は神経質な癇癪持ちで、いつも妻や使用人に口うるさく小言を言っている。今日も運転手つき自動車で帰宅するなり「帽子掛けが曲がっている」「庭に打ち水するのを忘れている」「天井の隅に蜘蛛の巣がある」などと、立て続けに家の者を叱りつける。その剣幕にあきれた仕事上の来客者も帰ってしまうということも重なり、結婚してまだ日も浅く年の離れた妻は、あまりにヒステリックな叱言に「辛抱しかねるのでお暇を頂きます」と言い残して実家に帰ってしまう。

妻の実家。話を聞いた妻の父親はただならざる状況に気がつく。最初はその挙動をを叱責するが・・・ 

「『煙くとも後に寝やすき蚊遣りかな』と言う言葉がある。人間はつらい苦しい峠を越さないと「人」になりそこなうものだ。
旦那さんは会社で苦労して社員を使っているが、其の実、人を使うのは苦を使う、使うのではなく使われるのだ。そこで心安まるのが家だろう。その家が自分の思うようになっていなければ、小言の一つも出る。その家を切り回すのが出来なければ女房の役は果たせないのではないか。
お前の家には何人いる。女性が3人、書生が2人、運転手にお前さん、それだけ居れば家が片付かない訳はないだろう。自分で全部やろうとするから無理が生じる、自分はやらなくても良く、それぞれ担当を決めてやらせれば良い。そこに旦那さんが帰ってくれば小言が出る訳が無いだろう。分かったら帰りなさい。人を付けてやるから安心しなさい」。
自分がついていくと角が立つからと言って人物をつけて、嫁ぎ先へ帰す。家を娘がでてから父親は「旦那は外面はいいが、家では何時もガミガミと小言ばかり言っているという。けれども、それ自身は当人にはかわいそうには違いないが、当人の前でいってはいかん」と母親も諭す。

翌日、妻は父親の助言に従い、家の者の役割分担を決めて屋敷をきれいに片付ける。使用者たちと帰宅30分前の三時半から玄関で車を待っている。いつものように自動車で旦那は帰宅。

「玄関の箒・・・片づいている。下駄・・・片づいている。帽子掛けも直っている。庭に水も撒かれている。蜘蛛の巣も取った。布団・・・敷いている。涼しいから扇がなくても・・・・扇風機が掛かっている。花は生け替えてある。額縁も真っ直ぐ。飲み物は・・・え、アイスクリームを用意していますって。」
部屋中見回しても気に入らないとこは見付からない。何処も片づいているのだが、満足するというよりどこか居心地が悪そうな様子を見せる。
やがて旦那は声を荒げる。「オイ、これじゃ俺が怒るところが無いじゃないか」。
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当時運転手付きの自家用車を持ち、大邸宅で大勢の書生や女中がいて、扇風機があり、(当然電気を引いている)果てはアイスクリームまである。まさにエグゼクティブな父親の生活を模写したものと見ていい。
一方中段は、前半部は当時の倫理的考え方を語っているが、後半は古典的であるが明確なマネージメント手法を提案する。人情噺の側面は強くあるのだが合理的なロジックをちゃんと組み込んでいるので、わかりいい。しかも当時のレベルでは、この程度のマネージメント理論自体もまだ整理できていなかったという認識もあるわけだ。幕割がしっかりしていることは、上方落語では(見台・拍子木を使うなら)割と演出で整理できるのだが、素話でやると、この場面転換をどうするのかが、かなり難しいようである。上方では笑福亭鶴瓶が、かんしゃく持ちだった師匠に置き換えてエピソードトーク仕立てにするなどという工夫をしているらしいが・・・。

下げの「オイ、これじゃ俺が怒るところが無いじゃないか」は多くの演者が大きく声を張り上げているが、この声のかけ方が難しい。かんしゃくがまた始まったという「神経質な人間」という見方を単にだす場合と、結果的におこることで威勢を張ることしかできないという空虚さを出す場合があるようだ。1回だけ聞いたのは「オイ」と叫んでから極めて泣きそうな声で「これでは怒鳴ることができん」と嘆くというのもあって、こっちは虚勢で生きていたという違う意味での空虚な人間を演出している。
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けど実のところ、益田太郎みたいな経営者は昨今はであったことはないが、この旦那にきわめて近いタイプの創業者社長って・・・実際・リアルにいるんだよなあ。

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