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これ技術者・技能者指導にも言えるのだが

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松本人志、ホリエモンの「寿司職人が何年も修行するのはバカ」に持論    [2015/11/08]マイナビニュース
お笑いコンビ・ダウンタウンの松本人志(52)が、8日に放送されたフジテレビ系トーク番組『ワイドナショー』(毎週日曜10:00~10:55)で、"ホリエモン"こと堀江貴文氏の発言に関して持論を述べた。
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一人前になるには、「飯炊き3年、握り8年」の修行が必要と言われている寿司職人。この説を推奨するブログ記事に対して、堀江氏はツイッターで「バカなブログだな。今時、イケてる寿司屋はそんな悠長な修行しねーよ。センスの方が大事」と発言。インターネット上で賛否両論、さまざまな意見が上がる中、「時間を大事にしない奴らが多いと感じるコメントが並ぶ。技術習得は接客や素材選びなども含めた話。集中力とセンスがあれば数ヶ月でも一流になれると思う」「そんな事覚えんのに何年もかかる奴が馬鹿って事」などと主張した。

この日は、『ラスト・ナイツ』(11月14日公開)でハリウッド初監督を務めた紀里谷和明氏がゲスト出演。番組内で堀江氏の発言が取り上げられ、紀里谷氏は「お寿司屋さんがどういうプロセスでなるのか分からないから言えませんが」と前置きし、「少なくとも自分は、カメラマンや映画監督になるための下積みは必要ないと思う。自分もしてないですし」と意見。仮に下積みの相談をされた場合は、「今すぐに写真を撮れ。映画も同じ」とアドバイスするという。
一方の松本は「堀江さんの言っていることは何も間違っていないと思います」と共感。ただ、否定的な声が上がる原因を「間違ってないんですけど、モヤモヤっと何でするんやろうと思うと、たぶんこの人が寿司の皿を一枚も洗ったことがないからだと思うんです」と分析し、「寿司職人の名人と言われる人が全く同じセリフを言ったら誰も何も文句もない。気持ち良く聞けるんですけど」「たぶん言う人が違うんやろうなと。セリフは間違ってない」と語っていた。
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この話を聞くと私も、堀江氏は間違いは言っていないのだが・・・・という複雑な印象を得る。ただ松本氏の見方ではないようである。
たしかに、接客や素材選びなども含めた技術習得というのは、ちゃんとした指導能力のある人が体系的に指導し、集中力とセンスがあれば数ヶ月でも一流になれるというのはあるのだろう。そしてそのような体系が取れている場合1年程度で、それなりの寿司職人の育成ができるというのは実現されているようである。
問題は、集中力とセンスがあれば・・・という議論であるが、全ての寿司職人の志望者が集中力があるとは言えないということ、そしてセンスというものが食材選定のセンスなのか接客技術のセンスなのか経営技術のセンス・・・ということになるとそのセンスというものが一律に判断基準として、指導者全員にあまねく周知されるものではないのである。
江戸前ずしに対しては一目置ける技術をもっているという職人さんが、箱ずし(バッテラ)については、どんなに頑張っても技術的には得られないという苦悩を語られたことがある。寿司職人になりたいものが集中力があることを担保とすることができる人を求めるなら、これはほんの少ししか寿司職人が育たないということになる。更に、寿司職人は必ずしもなりたくてその職を選ぶとは言えない人、日々の糧を得るための入職とういう側面は高いとも聞く。
その意味では、堀江氏の意見は(この人の言い方全般に言えるのだが)相当高い判断能力をもつ人基準で言っているということが匂ってしまう。実際の職人の求職現場ではむしろ「集中力」「センス」がない人も混ざっているということ、「飯炊き3年、握り8年」というのはそのような人達でもこれらの経験を得ることによって最低限の寿司職人の業務資質をもっていける保障ではないかと考えるのである。

私の知っている業界でこれと割と似ているのは、建築溶接の専門職である。
溶接技術は、今もって全ての技能が体系的に研究されていても、定量性を評価することがいまだ難しいという技術的問題は払拭されていない。そのためむしろ実践教育と評価技術に対しての教育手法の確立の方に昨今は注力されているようである。実際の職人の求職現場ではむしろ「集中力」「センス」に依存しているわけにはいかない。作業環境は炎天下だったり水中だったりと、「集中力」「センス」が品質に依存せず、どんなときにも均一な作業品質を得る業務能力が求められる。つまり、最低限の資質を確実にもつことが前提であり、高い技能を訴求することは期待されることは少ない(ちなみに極めて標準的な特殊な溶接ができるということで評価が高いとか、高い賃金がもらえる業務に従事できるという業務では、「集中力」「センス」は差別化には役立つ)。
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とはいえ、料理の専門教育を学校で受けてきた人は、技術の理論を知っているわけにもかかわらず、役に立たないということであまり好まれないという話は、とくに料理や製菓の場面で聞くことがある。(逆に、大量給食、工場調理、弁当等では標準化による品質維持のフローが成り立ち、あまりこういう話は聞かない。)この一因は1年2年では素材等の「振れ」が実感できないため、経営上必要な経験を頭の中でしかシミュレーションできていないということもを言う人もいる。(私はこれはどうかな・・・と思っているのだが)
その他に、料理を作る作業自体がその時の環境のパラメータが多く、ロジック・理詰めで善し悪しが決まらないとか、センスについても一意に評価できない(Aさんにとってのセンスの良さはBさんにとってのセンスの悪さになる、Cさんにとっては評価対象にならないなど)ことがあり、作業者・経営管理者・顧客ごとに全く一意に評価がならないということである。定量化なりちゃんとしたシステムがない段階では、センスのいい人がいてもその人が一流の域に達したかは、それこそ師匠がちゃんとした見識をもたない限り言えないようである。(その師匠の判断も、ほとんども場合カンと経験だったりする。)
そういう意味では、たしかに集中力とセンスがあれば数ヶ月でも一流になれる人材はいるし、そのような指導過程の構築は実際成功している事例はある。(反対に一流の料理人でも促成された人材育成は全くできない人も多い。)だが、そのような資質を潜在的にもつ人材だけを料理人に採用するというなら絶対的な料理人の必要人数は足りない。しかもそのような高い資質を求める料理のニーズよりも、そこそこの料理を供給することを求めるニーズもそれなりに高い。そのため延べ11年の修行を行うということ自体は、最低限の資質を確保したという意味であるということであるとすれば、おのずから堀江氏や松本氏のような一流の資質をもつ人が意図する料理人と、延べ11年の修行で認められた料理人は求められるもの自体が異なるということになると考える。
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実はこのような技能職系の職務で、かつ人材がそこまで潤沢ではなく、その上に教育内容が体系立てることに限界がある場合、人材育成時の出口対策(この出口は教育終了・業務終了・教育してもなりえなかった人材の処置ということを言う)は、職に対し「あんたは不向きだ」というがその人の社会的生死のみならず、生存権まで奪うことになっている社会においては必要になってくる。漫才の場合は専門教育をしても元々残る人がほとんどいないし、簡単に離脱できることが分かっているのでこのような出口対策は不要であるが、反対に師匠による伝授が体系化されている落語は、廃業はすぐ生活能力の喪失にまで至る場面も多くあるため、出口対策はちゃんとした師匠ではとっている場合が多く、中には落語の実力はともかく有力な弟子育成に実績を残した師匠には他分野のキーマンを引き合わせるなどという苦労をしている人もいると聞く。(一方この出口対策が関東では一時の大量の真打昇進という問題を引き起こした場面もあるわけだ)
アイドル・アイドルGrというのもこのような場面がある。
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【第2回アイドル超理論】今年だけで300人以上も卒業…アイドルにとって“卒業”とは!? 卒業後も芸能活動を続けられる者はひと握り  リアルライフ 2015年11月08日 15時00分
 10月29日、モーニング娘。の中心メンバー、鞘師里保の年内卒業が発表された。あまりにも唐突な知らせに、ファンのみならず、アイドル界全体に大きな衝撃が走った。(中略)
 2015年、11月の現時点までに卒業を発表したアイドルは、メジャーどころからご当地アイドル系までを含めると、ゆうに300人を超す。毎日のように、どこかで誰かが卒業している今、アイドル界全体にとって「卒業」は、さほど特別なものではなくなったのかもしれない。しかし、アイドル一人ひとりにとって、卒業という節目は、その後の実人生においても大きな意味を持つ。
 ある調査によれば、2014年にグループから卒業した66人のアイドルのうち、約7割が「普通の女の子」に戻っていったという。卒業後も芸能活動を続けられる者は、たったひと握り。なかには、いったん卒業したものの、結局、グループに出戻る者や別グループに再加入する者も。それだけ、卒業後の道行きは平坦でないということだ。
 卒業発表直後、ラジオ番組に訪れた鞘師里保に対し、パーソナリティーの明石家さんまは「人生一度きりやからな。失敗なんか、本当はない。どこで自分の帳尻を合わせていくか」という言葉を送った。「青春のすべてを捧げた」とは、アイドルの卒業時に耳にしがちなセリフだが、事実、早くからこの世界で活動した者は、普通なら十代の頃に身につける一般常識や異性との接し方を知らないまま、体だけが大人になってしまう。
 アイドルにとっての卒業とは、一度きりの人生のなかで、取り返しのつかないところまで行き切ってしまわないための、「分岐装置」あるいは「安全弁」なのかもしれない。
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堀江氏、紀里谷氏、松本氏の言はたしかに聡明で、判断能力のある人にとってはたしかに真実であろう。そしてクリエーティブな職に従事する場合も、自然淘汰を勝ち抜いていく側面があるのだがら、このような出口対策という議論は出てこない。しかし授産目的の業務とか、そもそも高い資質が求められるような給与体系が保障されないというような場合、堀江の言うような「集中力」「センス」(・・・センスというものがバズワードになっていることは置いておいて)がある人材が、ほとんどいないという前提が、このような(最長)修業年限(=OJT)の形でしか言えない環境の条件となっていると思うのである。

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