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TPOの問題かも

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「お疲れ様」は目上の者が目下の者にいう言葉  朝日新聞デジタル 8月12日(水)
 タモリがレギュラー番組『ヨルタモリ』(フジテレビ系列)の7月26日放送で、もう見過ごせないとばかりに話し出した。
 「子役が誰彼かまわず『お疲れ様です』といって回るのはおかしい」「『お疲れ様』というのは、元来、目上の者が目下の者にいう言葉。これをわかっていないんですね」
 『週刊ポスト』(8月14日号)がさっそく<タモリが問題提起した「若者の“お疲れ様”はおかしい」 「ヘンな日本語」について考える>と取り上げた。確かに、近頃は職場や会合、どうかすると飲み会の別れ際でも「お疲れ様です」とあいさつし合う。
 タモリの「おかしい」に「我が意を得たり」と喝采したのが中高年世代であると、週刊ポストは50代男性のこんな声を紹介している。「先に帰る若手社員に『お疲れ様です』といわれるとカチンとくる。そこは『お先に失礼します』だろう!」
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 そもそも「お疲れ様」はどういう言葉なのだろう。「『ご苦労様です』『お疲れ様です』というのは、本来、人をねぎらう言葉。目上の人が使うのが伝統的で、目下の人が目上の人に使うのは失礼にあたります」(日本語教育研究家で山形大学地域教育文化学部准教授のS氏)

 それがいつの間にか目上に対するあいさつとして使われるようになった。そのへんの事情を言語学者の金田一秀穂氏はこう分析している。「日本語には、会った時に目上の人に対してきちっと使える、万能の挨拶(あいさつ)語がないんです」「『お疲れ様です』が広がったのは、適当な挨拶が他にないというのも大きな要因でしょう」
 ある広告会社のワンマン社長が、疲れてもいないのに、朝からお疲れ様ですはおかしいだろと「お疲れ様禁止令」を出したら、社員はそれに代わるあいさつを思い浮かばなかったという。「お疲れ様」はいまや便利なあいさつとして、すっかり定着したのだ。
 ところが、まったく違う解説もある。NHKで時代考証を長年担当しているOディレクターは、著書『考証要集 秘伝! NHK時代考証資料』で「(おつかれさまは)日本の一般的伝統的なねぎらいの言葉ではない」と指摘している。その一例として、俳優の長谷川一夫の隣に住んでいた劇評家でエッセイストのY氏が「隣家でもって交わされる、『おつかれさま』という挨拶語を生まれて初めて耳にした。いまでこそ立派に市民権を得ている『おつかれさま』だが、その時分はもっぱら藝界や水商売の世界で用いられていて、少なくとも山の手の生活圏には無かった」と書いているという。これもなかなか興味深い。
 タモリの憤慨をきっかけに「お疲れ様論争」はさらに広がるのだろうか。
(文 コラムニスト・関口一喜 / 朝日新聞デジタル「&M」)
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たしかに芸能界では、朝でも昼でも「おはようございます」というという話もある。但し、『週刊ポスト』の取り上げかたは明らかにタモリの提唱範囲を逸脱している。彼は「子役が」という主語を用いているように、教わったように従っている子供(とその指示をしている親御さん)に対する意見なのであって、若者言葉という指摘はいかがかなと思う気もする。
さて私は、以前いた複数の職場で『お疲れ様です』といのは、それとなく「上下関係に関して厄介な場合があるから、どっちかといえば避けた方がいい表現だぞ」と言われた。この会社はいずれも製造部門もあり、専門技能者による徒弟制度的な業務が企業活動の大きなものになっている。このように業務や社会で目上の人とう階層概念が確固として構築されなければ成り立たない場合は、「日本語には、会った時に目上の人に対してきちっと使える、万能の挨拶語がないんです」ということはたしかに致命的ということは否定しない。但しここで「万能の挨拶語がない」ということは、実のところ万能のあいさつ語を用いるような関係は、階層概念のある社会では手抜きという解釈、ひいては形だけ目上の人としている見かたにされてしまう事になると思う。万能のあいさつという存在自体が、階層や職能の差異があって指示系統の下に構築される社会・企業体制のもとで、かつ、いわゆる「パートナーシップ」型ベースの社会においてはそれこそ、心がこもっているということが社会的に評価を高める姿勢であるというコンセンサスがある。
「朝からお疲れ様ですはおかしい」という言も実は聞くことがある。ただこれに関しては少なくとも仕事をするという立場で、疲れがないというのはおかしいわけであり、相手の業務を尊重する意味でいう場合もあると聞く。このように解釈でどうとでもなるということもある。

さて、別の出入りした事業所では結構『お疲れ様です』が使われている。帰宅時も『お疲れ様です』『おお、お疲れ様』てのが平気である。もともとこの事業所は業務特性と、事業所の人員採用の手法などから極めて階層性が薄く、良くも悪くも実力主義(というか成果のみ評価されるため、一貫した経営の継続性が乏しい)であった。これであるが、一般の管理職も権限が薄く(かつプレーイングマネージャー)、目上の人というのは支社長ぐらいしかない(・・・それでも規模としては100人ぐらいいた・・・)。この環境ではそもそも目上・目下という概念も極めて薄くなっているから、この状況で「お疲れ様禁止令」を出したら、社員はこれ見よがしにまともなあいさつ自体さえもしなくなるだろう。『お疲れ様』というのは、元来、目上の者が目下の者にいう言葉であるが、目上の者・目下の者自体の概念がないなら、TPO・使い方の考慮自体必要ないということか。
フラットではあるがその分個人プレーのまとまりしかなく、更に技術蓄積や職能構築という概念が「企業内には」ないジョブ型の企業では、挨拶というよりも、『お疲れ様です』という定型的な言葉しか使うことがないようである。よく考えると、海外の企業(特にアメリカ・カナダということを聞く)では、もともとジョブ型の企業運営で、企業への帰属意識は極めて低いかことに言語特性の問題もあって、逆に挨拶はせいぜい「Hi」ぐらいしかないという話になるという話も聞いたことがある。

そう考えると、歌舞伎や落語などはともかく、近代以降の特にTVに出る子役が使うような社会の経済活動での場面、また、「藝界や水商売の世界」であると、『お疲れ様です』というようなビジネスシーンの方がむしろ志向性として間違いではないと思う。(もちろん歌舞伎等の古いしきたりのある世界由来の人も混在するため、一意に正当化することはできないが)。「パートナーシップ」型の企業体制と社会体制、「ジョブ型」の企業体制と社会体制ということ一つでも『お疲れ様です』の語義の軽重が代わってしまうということになるという仮説を立てることができると、私は考えるのだが。

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