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エヴァ志向とガンダム志向

ガンダムオタクを自称するオーナーが経営する串カツ屋で酒を飲んでいたら、新世紀エヴァンゲリオンの「魂のルフラン」(高橋洋子)がかかった。

この手だと、普通のマニアの人には残酷な天使のテーゼをイメージする人が多いと思うが、私はあの曲に関しては大衆に膾炙されやすいということで、それなりの評価をするものの、曲の最後の繰り返しのくどさ(いわゆるミニマムミュージック的手法)になじめず、どっちかというと、こっちを好んでいる現状はある。
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たまたま飲んでいたところがガンダムオタクといっているオーナーの店(但し、聞けば語るが基本、自分からそういうことはいわない)だったからではないが、たしかにガンダムだいすきという人は私の身の回りに多い。

特に町工場の経営者等でCAD/CAMを駆使して金型などの制作を行う人には、この辺りで興味をもって工業の世界に飛び込んだという人があまりにも多いことを経験している。また大学教授などでも、その影響が自分の技術感に生かされているという人はいくらか聞くものである。『新世紀エヴァンゲリオン』のキャラクターの内的側面を表現する作風とは反対に、ある意味未来に対する期待をもっている作風には、『宇宙戦艦ヤマト』・『機動戦士ガンダム』のように継続性を見せるものになる。
ただ、『新世紀エヴァンゲリオン』の終盤「悩める主人公の精神世界と現実世界がシンクロし、世界の命運を左右するかのような設定」は自己啓発セミナーの内容とまで揶揄する意見まで出る。つまり極めて理念先行の技術論が展開されることから、むしろ技術者としては頭でっかちな感じをするのだろう。技術者で、これに影響された・・・という人は私の周りにはあまりいなかった。それこそ「セカンドインパクト」はあった(苦笑)という人はいたにせよ。
けど、それでもその内面性を好む技術者(ごく稀に技能職も)はいないわけではない。というのはCAD/CAM技術者や造形技術者の中には図画テクニック・プレゼンテーションの観点、更には内面性を商品企画に生かす見地から、『新世紀エヴァンゲリオン』を興味をもって見ていた人も、私の周りにも何人かいるようだ。
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このように、技術者、特に生産技術等の現場・現実・現物から考える機械技術者にとっては、「ガンダム」にその技術的萌芽をもつ技術者(Gタイプといっておこう)がいる一方、抽象的な概念をベースにしてそこから展開する技術者に「エヴァ」(Eタイプといっておこう)に影響を受けたという人がいる。これらの技術者が、たとえば機械技術というか、機械的加工品を最終的な製品とする場合は、結果的にGタイプの技術者が全体を引っ張っていく場合(ごくまれには現実におもねた製品にしてしまう事象)が多いようだ。
ところが抽象的な製品(CAD造形モデルとか)を製品として最終的製品という意思をもっていく場合、あるところまではEタイプの人材が圧倒的な冴えを見せる(但し、引っ張っていくとか、方向性を他人に指示をしないようである)。多分Eタイプの人材は内面を深く突き詰めて、作り込むという方向性が高いと思われるが、作り込むということは製品の出来上がり結果しか訴求手法がない。従って、仕事を抱え込むということが多いのも感じている。
このように物事を論理性をもって考えるにしても、相互に論理構成のベースと推論方向がことなれば、相容れない場合が多くなってきたと感じる。引き下がれない議論を抱えた出席者がいる会議は、結論のまとめがかなわないが、そういう場面が国外国内ともに本当に増加したと感じる。(まあ、ウィーン会議(1814~15年)や、TPP交渉のようなものもその類になるのだろう)
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さて、最近改憲とか護憲とか、軍備に関する法制の意見衝突が多くなっている。もちろんこれには神学とまでいいたくなるような論理の構築の異なりというものがあるかもしれない。同じ問題からも問題意識を異ならせる人にとっては、文句の出方が代わってくる。
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70年談話:村山元首相が批判 談話継承の認識「ない」    毎日新聞  2015年08月14日 
 村山富市元首相は14日、大分市で記者会見し、安倍晋三首相が発表した戦後70年談話について「何のためにおわびの言葉を使ったのか、矮小化されて不明確になった。植民地支配や侵略などの言葉をできるだけ薄めたものだ」と批判した。村山談話が継承されたという認識は「ない」と述べた。
 村山氏は「長々と言葉に配慮し、苦労して作った文章だというのが第一印象。しかし最後は焦点がぼけ、何を言いたかったかさっぱり分からない」と述べた。
 一方、安倍談話が「先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」とした点については「(政府の姿勢を)はっきりさせれば謝る必要はない。安倍首相が最初から(村山談話を)継承すると言えば、それで済んだ。本来なら談話を出す必要はなかった」と反論した。
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談話が先か中身が先か、談話の目的がなにかということを考えると、「本来なら談話を出す必要はなかった」というのは、ちょっと無理筋な話という気もする。
もちろん、安倍談話は「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「心からのおわび」について、首相自らの歴史認識とは一線を画して、言葉を盛り込んでいる。「私は」という主語を使い、首相の謝罪意思を明確にした村山・小泉両談話とは一線を画している。なんか往年の竹下さんの演説に近いあいまいさを残しているが、主語を明確化したら首相個人の批判になって本質が振り替わって伝わるという。とはいえ英語では主語のない文章は成り立たないわけであるが、これに関しては「We」、即ち「我々(日本人)は」という表現である。たしかに、これは悩ましいところである。ただそのためには、硬性憲法としての成り立ちの中で改正を、通常の改正より困難か不可能とする規定があるものがある。堅固に保護された条項(Entrenched clause)という議論が日本では未成熟であるなど、議論対象は実はとんでもなく大きいのである。
ただそのような議論をとりあえずは外して、相互に論理構成のベースと推論方向がことなり、前提とされる事項もそれを見て感じた主観的内容が根底から異なり、相容れない場合が多くなってきたと感じる。
たとえば 小泉談話・村山談話に関しては、個々には継承されたものはあるし方針大幅変更はないようだ(表記の「主体」が変わっているが)その意味では、村山談話は内省的で上記の表現だと、「Eタイプ」になるかもしれない。今回の談話はたしかに表向きは村山談話から継承した内容はあるが、それを更に改革的な方向性、即ち「Gタイプ」のロジックで語ったため、あいまいさが出てしまう。この結果、何を言いたかったかさっぱり分からないといわれる側面がある。しかし何をいいたいのかをはっきりくっきりさせた結果、諸外国からは発言全体を主語の対象者に帰納させ、明確に反発と非難が出ることになってしまうことも考えべきであろう。
つまるところ、内省的かつ理念ベースで語る論理的思考と、現実から帰納的に語る論理的思考は結果が類似していても、基本的に同じ方向性をもつことが悲観的なほど困難であることをこれらの内容は示していると考える。

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