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いらないという判断の先に

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http://anond.hatelabo.jp/20140803222500
■田舎に帰ったら変な宗教というか心情が蔓延していた件
8年ほどあちこち転勤して4月に地元に帰ってきて色々な人と飲んだり遊んだりしていて「PCいらないよな、スマホあれば充分」って言われてふと気がついた、この4ヶ月で~~で充分って一日数回必ず聞いてるな、と。
イオンで充分、ユニクロで充分、アマゾンで充分、地元で充分、家族で充分、ファミレスで充分、軽自動車~~~等など上げてたらキリがない。
転勤族だったので地方都市や田舎に行く度に聞いてたがそんなに親しい人がいるわけでもなかったので頻度は少なかった。ただこっちに帰ってきて老若男女必ずこれで充分と言ってるし、TwitterやFacebookでも一日に一度は必ず目にする2chやはてなでも都会VS田舎問題になると必ず田舎側の人は充分って必ず言ってる。これがマイルドヤンキーか?と思ってそれとなく言ってみたら違うらしく凄い怒られた。
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確かに田舎にはなんにもない、選択肢のあるマーケットやおしゃれな服屋、目で見て触って違いを楽しむウィンドウショッピングも出来ない、お洒落なカフェもなければ人も少ない、向上心ある人は皆都会へ出て行った。
この充分っていうのを聞くと昔海外放浪しに行こうとすると「海外なんてなんで行くの?危険じゃん」って言われたのを思い出す。
物やお金だけではなく精神的な貧しさを感じてしまうんだけど、まぁどうしようもないわな。
ただ何となくだけど凄い悲しい。
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まあ、たしかにいらないということになるなら一つの判断基準である。いらないことをいらないということは財政上仕方がないという見方もあるが、経済の成長が暮らし方を豊かにすることにならないという現実はあるように思う。

ただ、「暮らし方を豊かにする」ということでも、何をもって豊かなのかと考えることは重要とは思うが、それは物質的な豊かさとかいうところで本当は峻別されるはず。けれどもまた、普通の人にはそうはうまく理解できるとは限らない。
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ミニマリスト(知恵蔵miniの解説)
持ち物を自分に必要な最小限に減らし生活する人のこと。最小限主義者。本来は、装飾的要素を最小限にし簡素な様式を用いた芸術家のこと、または政治において最小限度の要求を掲げる一派(最小限綱領派)のことをいう。最小限の物のみで生活するミニマリストとしては、2012年にネット上で紹介された、パンツと靴下を除いて15個の物しか所有していないアンドリュー・ハイドが有名。日本では、15年6月に『ぼくたちに、もうモノは必要ない。-断捨離からミニマリストへ』(佐々木典士著、ワニブックス)が刊行され、文明社会における新たな生活様式として注目されている。(2015-7-8)
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ここで「政治において最小限度の要求を掲げる一派」というのは最小限度の要求を掲げる社会主義者の派閥がかつてロシアにてあったということらしい。と考えると、最近ちまたのミニマリストを自称する人達は、多くは、知的素養や知的向上心があるからこそこの言葉の典拠を知っており、自称していると思うこともある。
つまり、思考や意思・自分のやるべきこととその限界を見出すまでやってきた人が、「全部必要だということが人生ではキャパとして無理」と判断した人が、隠遁して晴耕雨読の生活を送るというのは、公租公課を支払いという社会的責任を果たせるならばまだ納得できる。「足るを知る者は富む」というものだろう。
都会は生きるということを最優先に考えれば不必要な競争を煽ってることで人が生きていくというという現況から見れば、ちょっとそれに嫌悪感を感じるかもしれない。
しかし雨の日に読む本や電気の代金を考えると、まず日本で意味通りの晴耕雨読の生活を送ることは、ある程度の年齢をへて資産蓄積をもってないならば成り立たないということもまた現実である。また、田舎で、子育て中心の生活に喜びを見出すことに価値がある場合があるというのも言えるが、概して子育て中心の生活を送る時期の人は資産形成がまだできていないはずであるから、意味通りの晴耕雨読の生活はかなり困難であり、生活の困難が、知的素養や知的向上心をもつことを否定されるともいえる。

そう考えると、「PCいらないよな、スマホあれば充分」「イオンで充分、ユニクロで充分、アマゾンで充分、地元で充分、家族で充分、ファミレスで充分、軽自動車~~~等など」を一部でももっている人がいて、その人たちの意見の最大公倍数をとるとこうなるというのなら、目的意識をもっている人なり、ある意味見極める人ということが、各々の意見を認めながら生きているというのである意味健全かもしれない。向上心がないというわけではなく、その中に集中投資する対象を見つけている、一種の選択と集中という合理的発想と想起する
ただ、この内容をコンプリートしているという場合、困ったことにはそもそもその地域に社会が求める「健全で文化的生活」自体に対し理解が追いつかないという人が固まる場合も、少なからずいるということである。
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お知り合いの会合があった際、こんな話を3人の年配者がしていた。
A(長い間技術者をしていた。都市に住んでいる)
:「ある程度の年代になると、海外に行って仕事をすることは、如何なる理由であれ視野に入るべき。そうでないと、向上心を損なうと思う」
B(長い間営業マンで全国を渡り歩いていた。今は郊外に住んでいる)
:「海外に行って仕事をすることは自我がないとなかなか難しい、向上心は育てるもので、あわてて海外に出ていくとかえって自我を損なってしまう事例もあるよ」
C(長い間小中の教諭・校長をしていた。今は交通の便は一応ある田舎に住んでいる)
:「だいたいそういう比較自体、ホントに田舎の過疎地域では通じない場合が多かったりする。考察する習慣もないからか、一生地域にいることを疑わないし、物欲・知識欲さえもない場合もある。そういうところでこういう話を雑談でもすると、地域住民からつまはじきに合う」
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A・Bは海外のみならず社会に対する開かれたいしきをもつことの、優先順位の話なのだが、Cはその意識自体をもつこと自体が難しい人もいまた多いよということである。
どうも問題は、田舎といっても「内容をコンプリートしている」人、即ち全部が現状是認で大丈夫という人が地域の多勢を占める(というか、意欲あるものが街に出ていき帰ってこない。意欲があったが競争の中で失ってしまったものが戻ってくる結果ますます全部が現状是認で大丈夫というものを是認する)という場合では、筆者の憂いと同じことが起こりうるということである。実際この筆者がどのような地域集団とのお付き合いになっているかはわからないのだが。また、日常社会で都市の住民とビジネスなどで接している地域の場合はまだ相互理解はできると思うが、少なくとも全部に対しミニマリストでなく、小さく生きるという人が地域住民の大半という地域は、たしかにあるようである。

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