« 在宅勤務についての私の考え | トップページ | 油を吸いにくいカツの衣 »

続 「暮らしの中に生かそう」

現行憲法に対する批判などが昨今多く語られている。では生活の中での近代憲法はどういうたち位置にあるものと認識したらいいのか。
経済学者・統計学者(京大教授)で京都府知事であった蜷川 虎三は、在任中「憲法を暮らしの中に生かそう」の垂れ幕を京都府庁に掲げた。7期28年務め引退後、次の知事はが自民党出身と言うこともあって、この垂れ幕を全て外した。府幹部は「当然のことを示す必要はない」といったと伝わる。
参考:http://dehabo1000.cocolog-nifty.com/holder/2007/03/post_d8e7.html
「憲法を暮らしの中に生かす」ということがスローガンとして提示されている場合、それを解釈するにはどうしたらいいのだろうか、改憲・護憲を問わず一度は振り返るべきと思う。
ブログランキング・にほんブログ村へ

もし、「憲法をまもり」と書いてあれば、多くの場合は今の「日本国憲法」を変えないことだったり、憲法解釈の変更を行わないことであろう。明治憲法では永久に一つの系統が続く「万世一系」が天皇制とからめて正統なものとして伝わったが、それと似たようなものを日本国憲法に対して求めるならば、「憲法をまもり」という意味が意外と類似しているともいえる。明治憲法は、憲法第1条で「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と規定してしまっており、天皇と憲法が同じパッケージにおさまってしまった。そこが単純に日本国憲法と置き換えられれば、このような方向性になってしまう。
ということから、「憲法を守り」という表現をする場合、墨祖伝授的な意味合いで硬直的な姿勢で解釈するのは(すなわち外見的立憲主義)、それこそ憲法解釈の暗黙の変更(運用の変更はワンクッションある)を誘発し「二枚舌」となる、非常に危険な視点と私は考える。
なお、この硬直性はしばしば国家主義と共通にみられることがあるが、これは左翼思想・右翼思想とは基本的に別次元の話であろう。最近知ったのだが、北一輝という右翼と一般的には認識され、二・二六事件の「理論的指導者」として逮捕され刑死した人物は、考え方としては、天皇制を前提とした国家社会主義者であるのだが、この「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」という記載自体を批判している。運用の都合と政治機構の欠陥から明治憲法は硬直的に使われることになったと言える気がする。
--------------------------------------------
それに反して、「憲法を暮らしに生かす」という表現は呼びかけはアバウトではあるが、法治主義という前提をもつ体制では、暮らしの隅々に、憲法が志向している理念を考えて、実践するということになろうかと思う。これは法治主義の前提では、各個人に対して及ぼす法律のその志向性を一意に定めているのは憲法であって、すくなくとも日本国の統治下にいる人間は、憲法を参照とするべきということなのだろうと解釈するする。
法規の妥当性が「憲法違反」ということで裁定される裁判があるのはまさにそうのためであろう。逆な言い方をすればに、憲法を使って政治を行う国家に対して、主権者が国家に対し運用手法(時として公権力という)の発動を制御するシステムが憲法だということになる。
そう考えると「憲法を暮らしに生かす」というアバウトな記載は、少なくとも法治国家においては、憲法に対する知識は一定量は必須であって、更にそれに対する個々の見解を持つのが望ましいということを示すことになる。またアバウトだからこそ、読む側にも多少の随意性を持たせるがために考える余地をもつ処がある。
-------------------------------------------
ちょっと厄介なのは、「憲法を暮らしの中に生かす」ということは法治主義ではある意味前提となることになっているはずなのに、これが首逆が変わって「憲法によって暮らし方は規定される」と解したり、「憲法は変えることのできない国民の理念」という解釈にされたら、改憲論議の是非を問わずその議論が思想的な問題にすり変わることになる。更に、「憲法によって暮らし方は規定される」、ないしは「憲法は変えることのできない国民の理念」とするのは、実は市井の一般的庶民にとっては非常にわかりやすく、胸にすっと落ちるという事柄であるだけに、議論に載らない。その意味では学者で知的訓練を受けた蜷川氏がいう「憲法を暮らしの中に生かす」という表現ではあるが、執行官等にとっては一般市民の「誤解」のネタになると解することは必然ではあるかもしれぬ。上記のように「当然のことを示す必要はない」という答弁にしたという鬩ぎあいは、悲しいかな認めるしかないようである。
胸にすっと落ちるのは何となく下記の話で分かるだろう。

寿司屋や料理屋を当時京都市内で手広くやっていた業者は垂れ幕をタダで貰いうけ、上の「憲法」のところに布を縫いつけ「○○を暮らしの中に生かそう」(○○は商号)と書いて各店舗につるした。但し京都市内某所では区役所の前にここの店舗があったので、結構話題をよんだ。

|

« 在宅勤務についての私の考え | トップページ | 油を吸いにくいカツの衣 »

コメント

こんにちは。ご無沙汰しております。未だに自著を掲載していただいて、ありがとうございます。4月から仙台に異動しました。確か東北大のご出身だったかと思いますが、隣接する宮城教育大学です。今日は仙台でこんなイベントに参加してきます。お元気でお過ごしください。https://www.facebook.com/events/830025103758146/

投稿: KADOTA | 2015年5月20日 (水曜日) 08時36分

ご無沙汰しております。
本件存じませんでしたが、宮教大ですとたしかに納得いたしますね。昨今は仕事で仙台に行くこともありますが、日帰りが多くて。

投稿: デハボ1000 | 2015年5月22日 (金曜日) 22時47分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/100146/61537446

この記事へのトラックバック一覧です: 続 「暮らしの中に生かそう」:

« 在宅勤務についての私の考え | トップページ | 油を吸いにくいカツの衣 »