元気ねぇ〜
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1万2000人買春…元校長が妻子に隠した“精力”と“児童ポルノ” 2015年4月10日 日刊ゲンダイ
1日1人、それを26年間、毎日続けても9490人だ。この数にはとても追いつかない。
8日、児童ポルノ禁止法違反で神奈川県警に逮捕されたT容疑者(64=横浜市金沢区)は「超」が付く絶倫だった。横浜市立中学の校長にまで出世したウラで1988年ごろからフィリピンで、14~70歳の女性延べ1万2660人を買春。ほとんどすべての女性をデジカメで撮影していた。
本人は「思い出を記録として残すためだった」と供述しているという。
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まあ、世の中には、「元気ねぇ〜」と言いながら嘆息してしまう達者な方が居るとはいえ、脱法行為とみなされるものはいけないわけで、その意味での法体系は遵守するべきことである。また、従前の性的マイノリティーは、ジェンダーという意味では一定の検討なり方策は得られる傾向にある
但し、倫理的側面という意味とは別に、通常人と極めて偏在して人間が、生理学的な問題で特異な性癖を持つことをかつ理性で抑える努力はしているけど抑えきれないという場合はどうしたらいいのかと考えることがある。このような境界事例を法的に判断するのは当然であろうが、倫理的指標ではさてどうしたものかと思うところは少し出てくる。私の割り切れないのは・・・
『もしこのようなきわめて激しい性欲を得る状況下で社会人としての生活を全うしようとした場合、その人はどうすればいいのか』
ということに対しマイノリティーな人に対し異常・・・とかいうレッテル貼りに終始し議論が深まらないことである。
同じことは、極度に感度の高い耳を持ったために騒音に対し過敏な人、また特定の周波数(更には通常聞こえない騒音・・低周波騒音など)に過敏な人はいる。これもマイノリティーな人ということで幻聴と一緒にされたりしたあげく、時として傷害事件さえ起こるということまで、関わってくるのである。
また、性的な問題で言うとたしかに幼女を・・・という意味は法的にアウトだ。しかし成人をというと、(管理売春でなければ)否定できないのである(本例の場合は、海外においての管理売春への幇助という見方もでき、その点でもアウト。)そうなると西武鉄道の中興の祖、かつ有力政治家など、倫理的にはいかがと思う人が世の中ではその欠点を認めて余りある・・・いう形とで評価される事もある。そのためもやもやしていたら、下記のような記載をたまたま目にしたのである。
長谷川氏については日ごろはその議論の立て方に非常に強引な側面を感じる記載もあるが、私はこれに関しては納得する知見である。
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1万2000人の買春をした元校長の件を、元校長の立場に立って考えてみた 2015.04.09 長谷川豊(Hasegawa Yutaka)
今回は、フィリピンで1万2000人を買春した元校長についてです。
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このニュースに関しては、あまりに衝撃的な数字に皆さん驚かれたと思います。
◆1日1人でも32年かかる! 1万2000人買春の元校長にあきれる声
神奈川県横浜市の中学校の元校長先生が、フィリピンに行っては児童買春を繰り返していたとして逮捕されたんですけれど……なんと買春したその数が1万2000人ということでネット上でもかなり話題になっています。
伝説的なAV男優の加藤鷹さんであっても1万人弱。あの加藤さんでも、です。何でも1988年にフィリピンに赴任した時に買春を覚えて、それ以来、仕事のストレスを発散するために足しげく通っていたそうですが……
呆れの声も出ていますし、 バカにする声も出ていますし、 実際に私のテレビ番組でもそう報じたんですけれど…… ちょっとだけ印象が変わってきました。
誤解の無いように言っておきますが、前提として、私は全く理解できないし、そういう趣味も趣向もないんですけれど……ちょっとよくニュースを精査してみてみたいんですよね……。
現在分かっている情報ですが、この中学校の元校長は「自分は性欲が人よりかなり強いことを自覚していた」と供述しているとのこと。まぁね、その数を聞く限り、相当なものであることは理解できます。
で、問題はその続き。
自宅からは15万点近くの写真が押収されました。それらは全て自分が関係を持った女性たちとの淫らな写真であり、特筆すべきは…その一人一人に…… ロットナンバーがつけられていたって点です。
ここらへんでちょっとだけ「おや?」となってきます。1988年当時、そんなことをしていた人がいるのかどうかは分かりませんが、とにかく、この元校長はマメに女性との関係を懸命に残していっていたんですよね。で、一人一人にナンバーをつけて管理していたので、今回は当局もすぐに1万2000人以上、という数字を出すことが出来たというわけです。でも…私は思うんですけれど…ここまで行くと…… この人、単に病気なのではないか?と。障害というと言いすぎかもしれませんが……。
考えてみてください。この人数って…毎日1人ずつと関係を持ったとしても…32年間かかるわけです。おそらく、フィリピンに行くたびに、、一度に複数の女性を呼び続ける毎日を送っているはずなんですよね。で、それらをとにかく懸命に写真に収め続けた。
でも日本では、中学校の校長先生としての顔はしっかりと保たなければいけない。訓示も述べなければいけない。もし病的な性欲がある人間だったのであれば、供述にあるように「マジメに生活をすることにストレスがたまり……」というのも、なんだかつじつまが合ってくる気もします。不思議なものですが。
対象の女性も14歳~上は70歳まで。単なるロリコンなのではなくて、この年齢幅を見ても分かる通り、「とにかく性欲処理をしたくてしょうがなかった」だけであることが伺えます。18歳以下は1割だったとのこと。つまり「児童を買春したかった」のではなく、単に「とにかく異常なまでに性欲を処理したかった」ことが伺えます。
全く理解できないんですが……ただ…本当に冷静に考えれば…この男性、本当に完全に病気なのだとすれば…日本国内では懸命に理性を保っていたんですよね? でも、その病的な衝動を何とか懸命に発散するために、「国外に」出て「お金を支払った上で」その性欲を処理していた、と。もちろん、児童買春は違法行為なんだけれど……。
ここまで考えると……単にバカにして笑ってしまえばいいだけではないような気がしてくるのは私だけでしょうか? 私はいたってノーマルな人間なので、性欲の塊のようなこの元校長の気持ちも行動も1ミリも理解できないし、真似もできないです。でも、同じように、一昔前って、同性愛者の方々は徹底的に笑われ、批判されていましたよね。イギリスでは同性愛っていうだけで、逮捕されて、その昔は処刑までされていました。でも、今はそのイギリスでも、同性婚が認められるようになってきました。本当に悪気などない病気なのであれば、真実の問題はその病気を理解し、対処していない「世間の目とシステム」である場合があります。
この元校長の件に関して言えば……私は行動パターンを考察するに、完全に「重度の病気(障害?)」であるのではないかと推察します。そして、その自分を懸命に苦しみながらも律していたのではないか?と。少なくとも、確認される上では、彼は日本国内では、教え子に手を出すようなマネなどをしていないようですしね(写真のロットナンバーで確認できる)。
なんだか……単に「笑ってバカにしていれば」いいだけの問題ではないような気もするんです。理解はできないけれど「こういう病気がある」という研究も、ひょっとして将来は進むのかも知れません。
-----------------------------------------終了
たとえば、昨今同性婚に関する法的視点がある。
婚姻とは繁殖の可能性とは無関係に個人と個人の結びつきに社会がどういう保護を与える制度であるとするなら、同性婚は否定できないともいえる。そして現行法の方向性は国際的には是認されており、むしろ倫理的な規範にこのような方向性を示唆することを任せる形になる。個人と個人の結びつきに社会がどういう査定をするのかという問題だ。社会的通念と法律の意義は全く異なっている方向性のあるもので、必ずしも社会的通念を法律が追認することは「人権の問題」「社会の継続的な活動」に対する問題・国としての志向性を示すこと以外は不必要という見方である。
他方、社会の継続的な維持という視点から見ると、婚姻制度は高度な社会性を持つ人間固有の制度で社会継続性のある活動のためには子供が生まれることが必要性があるということになる。もっとも、自然の摂理を持ち込むのであれば自己の遺伝子を残し、あるいは優秀な遺伝子を獲得するための不貞行為は(病気の伝播トいうデメリットがあるにもかかわらず)是認される。反対に繁殖の可能性があるわけでない、例えば高齢者の婚姻や同性婚は是認されないということである。となると、世のなかの艶福家(これ自体を社会から排除するという見方も近年はあるのだが)社会の継続的な維持は、公平性という側面を別にすると是認されるべきということになる。
繁殖による社会の継続性を志向するのと、自由のあくなき追求が社会の継続性を保つことをどう考えるか。この議論の本質は卵と鶏の関係でしかない。
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たしかにこの先生の行動は「元気ねぇ〜」(By大堀恵)「ほとんどビョーキ」(By山本晋也)という視点は出てくるとは思うし、当初はそのような興味(とあるいみ羨望)が主であったと考える。しかし、では法律的ガイドラインではアウトであるとしても、治癒ができるか以前に抽出も困難な潜在的特性に対しては対策ができないし、「治癒」手法さえ成り立たない。つまるところそういう「問題」がある人は勝手につぶれるということしかない社会をつくって継続性を図るのか、自由な生き方(すでに恋愛ではないし)を認めて社会の継続性を図るのか、本当はこういう話になる場合どっちかの議論の発生があることが根本的な問題のアプローチであるとは思うのだが。その議論がすっ飛んでいる。
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