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面倒な作業の査定

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クラウドソーシングの悲しい現状を見てしまった
最近趣味でサイトを始めた。特定のことに関する情報をあつめる社会貢献的なサイトだ。ブログ形式なのだが記事を作るには、あつめた情報を単純作業で加工する必要があり、それが結構時間がかかる。
そこで面倒な作業をクラウドソーシングで作業を依頼した所、1日で20件ぐらい応募もあるではないか。みんな「ぜひ私にやらせてください」とやる気だ。普通の業者より1/5ぐらいの価格だったので驚いた。
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時給でいったら100円ぐらいになるので、申し訳ないなと思いながらもまあこれで仕事がなかった人たちに仕事が発生したのだから意義のあることかもと思って依頼してみた。最初は順調だったのだが、10記事ぐらい依頼した後に異変が起こりだした。
仕事のキャンセル率が5割ぐらいもあるのだ。皆「PCが壊れた」だの「具合が悪くなった」といって仕事を放棄してくる。なにかこちらの依頼の仕方や価格に問題があるかと思いながらも、新規に発注すればはやり20件ほど応募がある。仕事をやってくれたひとからの私への評価へも悪くない。

結論としてわかったのはこういうことだ。

どうやら私が依頼しているのは、やはり価格設定が低すぎて1度やったらしんどい仕事で私はクラウドソーシングサービスにくる新米を食い物にしているモンスタークライアントになっていた。
普通だと市場の原理で私のようなクライアントは淘汰されるのだがクラウドソーシングサービス運営者が宣伝をするので、毎日次から次へと新しいワーカーがきて受注してしまうのだ。そして新米ワーカーの多くは社会経験がなく、私の依頼がどれほどの仕事量のものか知らない大学生とか、主婦とかでしかもサービス内での実績がほしいので取り敢えず受注する。その結果、責任感のない半分ぐらいが「急にPCが壊れました」「具合が悪くなって」といって仕事を断ってくる。残りの半分が責任感からきっちり仕事をしてくれる。二度とやるもんかと思いながら。

私には単価を上げて仕事の達成率を上げる道と、達成率が低くても安いまま責任感の強い真面目な新米ワーカーを食い捨てていく道がある。普通仕事でしていたら後者を選んでいくんだろうな―
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あるところから、普段専門的な人に頼んでいるものをお願いしたいとう依頼があった。もっとも専門外の私は受けるわけにいかないのだが、依頼元に再委託をするということでもいいとなり私たち(複数人でやっている)は、このようなクラウドソーシングで募集した。2回とも製品を提示するコンペ方式であり、まあ作業者のレベルはかなり差があるというのもわかったが、こっちにそれなりの選択ができる視点があれば、意外と想定よりも高いレベルの納入が得られ満足している。
クラウドソーシングサービス自体は、フリーランスのクリエイターとか子育て中の専業主婦や定年退職後の熟年層など、インターネットを通じて個人的なコネクションを前提とせず時間や場所にとらわれない仕事の場を提供するという意味で注目を浴びている。クラウドソーシング自体は個人の仕事実績・信用情報が蓄積されるようなシステムをとっている。これは個人のコネクションや業界内の人間関係など定量化できない指標に左右されることなく、一定の評価基準に沿った仕事の構築を図れるということをうたっている。
ただ、クラウドソーシングサービスの問題としていわゆる「買い叩き」は潜在的に想定でき、また実際にあるようで、どこのサービスも様々な対策を講じている。たとえば、一定量仕事を特定のサイトから受注したユーザーに対して、保険等のインセンティブを設けるというものも着想されているようだ。また、「仕事をやってくれたひとからの私への評価」というのは、仕事実績がウェブサービス上に蓄積されることで社会的信用となるシステムで、一つの定量評価材料でもあるんだろう。また、私たちが使ったサービスも、そのような最低価格を想定した制限をかけている。
しかし、聞くところによるとクラウドソーシングの場合、すさまじい低価格で高いレベルの仕上がりを期待して出してることもよくあることであり、顔が見えないことが逆にダンピングの要因になってしまうというところは、内包しているともいえる。更に、最低価格を想定した制限価格自体が設定の最大値になってしまっているという話もあるようだ。
更に、フリーランスのクリエイターはそうでなくとも、子育て中の専業主婦や定年退職後の熟年層などの場合、見積もりの甘い場合もあり、また、それでも定年後などは仕事があるだけいいということにもなってしう。これがますます価格の低下で「場が荒れる」ということになるのだろう。
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上記の「特定のことに関する情報をあつめる社会貢献的なサイト」というのは詳らかではない。この場合はデータ整理の類で高度なプログラマーやデザイナーといった方面ではなさそうである。そして、プログラマーやデザイナーといったWebクリエイターが働いているWeb制作の現場、それも顔が見えるリアルな場面でも、クリエイターのたたき売りなるいう現象が起きているらしい。「仕事がない」と苦労しているクリエイターは結構いて、それはつまるところプロとしてのレベルで成果物を納品できるスキルがあっても、それに見合った対価が設定されていないので仕事を断るということである。
まさにこの問題も同じことであろう。企業所属のクリエイター不足の一方、クリエイターは仕事探しに苦しんでいるという。これはクラウドワーキング以前に仕事を安請け合いしてしまうクリエイターがいて、同じ仕事をしてくれるのであれば、安い方に頼むのが市場原理だが、「成果物の質を担保できないにも関わらず、仕事を受けてしまう人がいる」状況に問題がある。このような表記もある。

 仮に成果物の質を担保できない人が、安い価格で仕事を請けたとする。すると、仕事を発注した企業にとっては成果物が上がってこないという実害が発生し、仕事を請けた人にとっては仕事をした分の対価が支払われない可能性がある。そして最も理不尽なのは、適切な価格なら仕事を請け、きちんとした成果を出せたであろうクリエイターの存在だ。この事故に巻き込まれた3者、全員が不幸になる。

つまり、そもそも、Webクリエーターにおいても、更には知的生産という業態においては価格の付け方が主観的評価によるため、(果てはいわゆる一部の大学教授も含めた専門家というテリトリーまで)ダンピングをするような要因が必ず潜んでいたのだが、それが顕在化し出したということなのだろう。芸人さんはその前からそういうところがあるような気がする。
ただ、このような基本的に仕事を受ける側も、出す側もダンピングの芽があるところで、クラウドソーシングのシステムは、質を担保することがない場合、需要に対して供給過多になる。こうなると「逆オークション」となり、価格がどんどん安くなる状態を引き起こしやすい。さらに発注額が安値で基準になると、その後単価を引き上げるのは容易ではない、あるいみ下方硬直性を持っている。
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そうなるのなら、逆にクリエイターを中途で採用するとか、常駐として囲い込むということもある。これなら真の実力が試される。たとえば、プル型(成果を見て、採用側が引っ張ってこられる)の採用、一種の囲い込みになれば、たしかに顔と顔がつながるうえに、完全実力主義の関係が構築され、採用側も一定の資質がある企業がのこる。
この場合、ご指名がないクリエイターにとっては「壁の花(Wallflower)」になるが、だからとしてプッシュ型の売り込みは、結果的に「クリエイターのたたき売り」になるという。とはいえ、これは、売り込む先もなく、売り込みを待つフィールドもなくトいう場合、成果を見て、採用側が引っ張るためのエビデンスも供給されないということになる。つまり、企業とクリエイターの適正な関係は、情報の供給能力の相互の不均一、供給量と需要量の不均一による要因も大きく、これとて万全でないということになる。
そこでは、従来は官公庁の業務等に応募し、情報の外部提供(お墨付き)をもらうというのが有効に作用した。こういった官庁においては、公的目的で定量化できない成果物には対価を高く設定できない代わりに、公共性ということで氏名を明らかにさせることになる。そこで、成果を明確化して存在を誇示(プッシュ)することができる代わりに、対価の減少を認めるいうことをおこなっていた。
しかし、これが、官公庁の予算の急激な減少(このような外部依頼案件は変動費であり、真っ先に減少するほか、予算がないためもしなければ打ち切りということも多くある)と、そもそもの官庁への信頼度の低下(≒御用というレッテル貼り)もあって、ちゃんとした成果でもむしろその担当者の資質をマイナスに評価する市場形成も出てきてしまう。また、予算減少の中でも仕事をしてほしいという場合は「ボランティア」等を求める方法しか逃げ手がない場合もある。実際当方もそのような官公庁案件を受けることは結構あった。(そしてその評価指標は、やっぱり質より量であるとも感じたものも多い。)そして一方、官公庁にとってはこの業務によって得られる見返りが固定費の投資以上にあるかというと、実際ほとんどかえってこないということもまた事実であろう。
アンパンマンの作者で、故やなせたかし氏は地方自治体からノーギャラの仕事を多数受注していたことを告白していた。全国の自治体から200近くのご当地キャラの製作依頼を受けたそうですが、数件を除いてほとんどがノーギャラだったという。やなせ氏は「軽く見られているんだよ」と対談で述べていたらしい。もっとも、これについては やなせ氏の話はあくまで対談における発言であるが、官公庁が無償で製作を要求するケースは現実に存在する。そして、やなせ氏自身もボランティアにおける無償提供の意義は認めている。
公共の目的があるとはいえ、メーカーに対して製品の無償提供要請をする公的機関は「表向きは」存在しないとおもう。これは倫理問題ではなく法的な公平性の問題である上、無償提供を求めるのが難しいからであるが、実際は「寄付」という形での要求や、労務提供としての「ボランティア」という雇用はやっぱりある。たしかに官公庁の姿勢は、コンテンツの価値を認めていないというのは、やむにやまれずという側面もあるが、そもそも官公庁の購買価格設定自体が手持ちの金もなく、品質評価もしにくくというものにおいて、全部のコンテンツの取引は特にこのような問題が明確化していないこと。更には市場価格の設定による専門家の標準報酬設定さえも、(国際的事情もあるが)なくさなければならなくなったということもあろう。
社会が無償提供を求める価値観の背景には、物品の本質的価値を均等に正しく認識できないという根深い問題があると思う。その中でコンテンツ・知的財産は単に価値基準が一意化されないという問題点がこのような理由である。更に値崩れして、労働力が他の有用な業態に適正に動くほど、これらの技術能力は熟練を要するもので「引き返せない」のであろう。

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