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論理的に金のわらじを履く

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http://blogos.com/article/105280/
ロジカルシンキングができない人々【論理よりも感情が優先される国】  自由人 2015年02月09日 22:44
犯人逮捕前と犯人逮捕後の対処がなぜ同じなのか?
 和歌山県紀の川市で発生した小学5年生殺害事件の容疑者が逮捕された。週明けの本日、犯人逮捕後初の登校日を迎えたとのことで、以下のような報道が為されていた。

「事件の被害者が通っていた同学校の児童らはボランティアと警察官が見守るなか保護者同伴で登校しました。」

 こういう悲劇的な事件が起こった後で、皮肉めいた記事を書くのは憚られるのだが、読者の良識を信じて誤解を恐れずに敢えて言わせていただくと、毎度のことながら、これはおかしいと思う。
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 通り魔事件や猟奇殺人事件が起こる度に、こういう報道…と言うよりも、事後対処が為されるのだが、犯人が逮捕されたということは、複数犯でもない限り、その地域はもう安全になったことを意味する。事件が発生したということもあって普段以上に物々しい雰囲気で警察官が巡回しているわけだから、日本中で最も事件が起こりにくい安全な地域になっていると言っても過言ではない。

 そんな地域で「ボランティアと警察官が見守るなか保護者同伴で登校」というのは、よく解らない。今回の事件が、通学途中に熊に襲われたとかいう事件なら、まだ仲間の熊がいるかもしれないという危険性があるかもしれないが、事件を起こしたのは1人の意思を持った人間であり、その危険人物が隔離されたのであれば、もはや危険性はないと考えるのが普通ではないだろうか。
(中略)
 結局、この報道から分かることは、「犯人が逮捕されれば安全」という論理的事実と、「犯人が逮捕された地域は安全」という確率的事実が、全く無視されているということである。論理と確率を無視し、感情だけが優先されていることがよく分かる事例だと言える。
確率論で考える「事件現場」と「宝くじ売場」の共通点
 少し話を和らげるためにも、別の例で考えてみよう。
 例えば、「宝くじ」というものでも、1等当選が出た宝くじ売場には、毎度、長蛇の列ができる。その理由はおそらく「1等当選が出た所だからまた当たるかもしれない」ということなのだろうが、よくよく考えてみると、これほど可笑しな話もない。確率的に考えれば、同じ宝くじ売場で1等当選が出る確率は最も低くなるはずだからだ。
 先の事件の例とは逆に、1等当選が出た宝くじ売場は、当選発表後には「最も当たらない宝くじ売場」に変化しているという確率的事実があるわけだが、これも完全に無視されてしまい、なぜか「また当たるかもしれない」という何の根拠もない感情論が罷り通ることになる。
 本来であれば、1等当選が出た宝くじ売り場は閑古鳥が鳴いて然るべきところだが、実際には逆に長蛇の列が出来上がる。このような可笑しな逆転現象が起こるということ自体が、論理や確率を無視し、感情のみが先行しているという証左でもある。
 この国では、至るところで論理や確率よりも感情だけが優先される向きがある。その感情論に敵対した意見は、どれだけの正論であろうとも、いつも感情論に否定される。どれだけ無意味な行動や対処であろうとも、感情こそが正義だと言わんばかりに。
 事件が発生した場所で同じような事件が発生する確率は最も低く、1等当選宝くじが出た場所で、再び1等当選が出る確率は最も低い。これは統計的な事実であり、残念ながら感情論が入り込む余地はない。このことが解らないというのであれば、その人物は「私はロジカルシンキングができません」と言っているに等しい。
 こんな記事を書くと、またぞろ感情論者からのご批判を頂戴しそうだが、批判する前に、まず自分の頭で物事を考えることの重要性を冷静に考えていただきたいと思う。
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いやまったく、その通りだなと思うのであるが、私は逆に宝くじの事例を考えると、上記殺害事件での新聞記事などは逆に、如何なるレベルの読者とて納得する一種のポジショントークをしているのではと思っている。

近所にある宝くじ売り場には金色のわらじを看板に配置し、宝くじ1等が出ましたとでかでかと書いてある。「金のワラジを履いて探せ」は価値のあるものを探すときの慣用句であり、たしかに一目瞭然の記載であるのはまだいいとしよう。ただ「1等当選が出た所だからまた当たるかもしれない」という発想をしてしまうのは、縁起を担ぐという感情的視点はたしかに存在するものの、確率的に考えるならば単に「たくさん宝くじを売っています」という量的な問題しかすぎない。しかし、有名な売店で買ってくるというのは、縁起担ぎのために確率的視点に関わらず買ってくるというのはあるようだ。
昔、北関東の研究所で私は新米研究員としてキャリアを積んでいた折り、こういうことがあった。帰宅前の話。
デ  「明日朝から直接、厚木市の協力会社に行ってきます。明後日事務所に出てきます。」
上1 「はい。よろしくお願いします。ところでだが、途中、新宿通るでしょ」
デ  「はい。そのルートでも問題ないですね(当初は地下鉄経由を考えていた)」
上1 「ついでで申し訳ないが、乗り換えるときに新宿西口の有名売り場に寄って、このお金で宝くじ買ってほしい」
デ  「…(困惑)…まあ時間的にも問題ないですし。行きに寄る分はいいです。けど、近所に売ってるところないんですかあ。」
上1 「いやあ、うちの近所にはないんだよ。」
デ  (たしかにこの人は諸事情でかなりの田舎に住んでいるから納得)「わかりました」
上2 (通りがかった)「ちょうどいい。私も前金でお願いできるかなあ」
デ  「いいですけど、近所で買えないんですか(銀行とかもある駅の近くに住んでいる)」
上2 「いや、煙草屋で扱ってるところもあるが、やっぱり有名ところが人事を尽くしたという気持ちになるし…」
デ  「…わかりました」
上3 (通りがかった)「ちょうどいい。私も前金でお願いできるかなあ」(以下繰り返し)

何のために新宿経由で厚木に打ち合わせに行くのか、買出しではないかと言いたくもなるものの、結果延4名分を受けてきた。(しかも自分の分としては宝くじは買っていない)ただ道中つらつら考えると、たしかに買える店がないという場合はともかく、上司2~4は近所で買えるという。そしてうち2名は工学博士、残りの内1名も技術士資格保持という所謂インテリ層(爆笑)で、確率は常日頃仕事で(実験評価には当然必須)使い慣れている人たちである。
もちろん合理性という意味では、意味がないということはたしかである。けどこの人たちは元々確率論は知っている上で、売り場の選択という「可能な範囲での」ベストを尽くすことで、外れた時の「やりきっていなかった」という感情上の不安を低減するということで、有名売店でダメだったらあきらめもつくというのが正直なところであろう。そして300円をあてた人はいたようだが・・・推して知るべしである。

つまり統計的なところとしては行動の意味はわかったうえでも、気持ちの上で整理制御をするという過程に売店の選択をしているということも、ある意味「ロジカルシンキング」を用いて心の納得をえているという場合もあるのだろう。もっとも「ロジカルシンキング」を尽くせば、宝くじで幸をうる=儲けるという発想自体が矛盾の塊であるが。
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このように考えると、上記の悲惨な事件後、犯人が逮捕された後の一見無意味な事後対処は、複数犯ということが昨今あるとはいえども、一般的には無意味だというのは、まあわかる。普段以上に警察官が巡回していることもある。この段階では、犯人とされている人がこの行動を起こした誘因はまだ不明ではある。
ごく一部の地域、いわゆる「修羅の国」では、事件によっては抗争事件の誘因になってしまうということも多々あるため、警察官の重点警備は、ある意味仕方がないとは思っている。
本件については、ほとんどの場合、これらの事後対処・活動は心理的対処を迫られた小学生と一部の父兄に対してというのはある意味納得できるだろう。それとともに、大人の中にも一部まじっている「論理的対処の能力がやや弱い」市民が成人の10%ぐらいいたとする場合、この人たちが対処活動に同意してくれないということはある。他の90%の市民がこの犯人の拘束で問題解決は図られたとロジックで考えていても、その誘因はいまだ不明確というのがあるならば、論理的解釈をしない人が跋扈してしまうことによる二次的なもめごとを誘起するということが、時々起るのである。
この「論理的対処の能力がやや弱い」市民の占有率というのは地域特性(高等教育を受けている人の割合等複数の指標)の中で結構変動する。遠目には地域の活性化等の比較で、影響を与えている事がわかることがままあるというのも聞いたことがある。
新聞記者の資質はちょっと今になるとわからないところもあり、社会の木鐸という視点から感情的な問題提起をするということもあるので、ここについては議論をしない。しかし、このような一見論理的でない「無意味な事後対処」は、ロジックシンキングが不得手な一定割合いる前提で、その人たちに「気持ちの上での整理制御」・「心理的な安寧」を得てもらうための、「ロジックシンキング」を行える人間による世論誘導の結果(かつ新聞記者のポジショントークに近いノウハウ)という、皮肉な側面は埋もれているように考える。
自分の頭で物事を考えることの重要性を感じ、日々実践している人が、自分の頭で物事を考えることが不得手な人をどう説得したり、自分の頭で物事を考えるがそれでも心理的影響は残ってしまう人に対しては、ロジカルでない行動を喧伝・吹聴するしか納得(理解ではない)される手法がないという典型例と思う。

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