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当初からは狙うべきでない

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http://fladdict.net/blog/2014/11/nihonkeizai.html
日本経済を回す気がない
最近なぜだか消費に興味がわかなくなった・・・
もはや日々の生活においても消費がない。食費、家賃、移動等の経費以外を除いたのこりの出費のうち、90%はAmazon、Apple、GoogleのIT3大外資に貢いでる。
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学生のころは、「将来はピエール・ポーランのイスとか買って、打ちっぱなしの部屋に住むぞ!!」とか思っていたが、いざ買えるようになったら別に欲しくなくなっていた。
そもそも新品に興味がない。持ち家に興味ない。自動車にも興味ない。旅行もしない。ブランドにもそこまで興味ない。根本的に所有欲が少ないのか。

こういうと「よい品を知らないからだ」と言われる。でも自分もいちおうiPhoneバブルのピークでは、100万円ぐらいのレンズ買ったり、アフリカ旅行したり、数万円の食事やワインとか飲み食いと色々やってみたこともあった・・・その後iPhoneバブルは一過性で終わり収入も激減したけど、別に困らないし散財に意味がないことを悟った。どうも量的な満足感という意味では、高額製品ほどコストパフォーマンスが悪いのだ。

冷静に考えてしまえば、世の中の消費の大半は、本来まったく必要ない。
朝食は365日リンゴと豆乳のまとめ買いだし、車買うよりタクシーがトータル安いし、マンガ買うよりマンガ喫茶が便利だ。服はユニクロ。新刊は無視して完結作を古本屋で買う。名作はマニアに聞けば布教用を貸してくれる。スタバより高級茶葉を自分でいれるほうが安い。生命保険は出産のタイミング以外は合理的でない。TV持ってない。オフィスも連合でシェアオフィスを開設し、設備機材や本、ゲームまで全部シェアしたら思いっきり経費圧縮できた。不動産は、ちょっとだけ欲しいけど関東大震災とオリンピックが終わってからでいいかなぁ・・・と。
「そんな人生なにが面白いの?」という声も聞こえるけど、自分としては1日1冊本を読むだけで十分に面白い。
そもそも文章書いて、絵描いて、楽器を弾いて、プログラム書いて、写真とってれば、自尊心だろうがエンドルフィンやアドレナリンなどの脳内麻薬の大半だろうが、ほぼゼロコストで自給自足できる。逆にお金を使わないと脳内麻薬が生成できない・・・というほうが問題だと思う。唯一のお金のかかる趣味だった読書(月10万ぐらい買ってた)も、最近は電子書籍やインターネッツのおかげで大分圧縮された。もはやお金で買える欲しいものは、健康と時間と労働力ぐらいしかない。
たぶん、自分みたいな人は徐々に増えていて、日本経済はお金の行き場を失ってるのだろうなぁ、と思う。
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こうは言っている人だが、では今まで経済を回していなかった人だったかというとそうではないだろうと思う。実際企業の経営者らしい。
どっちかと言えば上述のように、一時的にも経済を回してきて、今でも一定の収入が(固定収入とは限らない)ある段階で、本当に必要なもののみに絞るといった、ある意味達成された結果で「消費をしない」という議論になっているのだろう。今までの人生の中で消費活動を積算すると、それなりの消費活動をしたから、効率良い燃費で回していける知己を得ているとも思う。
事故この人は洞察力のいい人であろう。たとえば服にいいのを購入したが、身の丈・生活の感覚に合わない服をかって額が高くなったものを使って、それによって得られる有償無償の対価はなにかという見方を分析すると、この人にとってはなにも影響を及ぼさなかったということに尽きると思う。その実感は「どうも量的な満足感という意味では、高額製品ほどコストパフォーマンスが悪いのだ。」という一文でわかってしまう。まさに、芥川龍之介の「杜子春」である。
更に言うと、個人としてでなく「消費活動」そのものをしていかないとは、この論旨では言っていない。お金のかかる趣味だった読書は、最近は電子書籍等で圧縮されたということだが、単に物流の改善(という言い方で問題ないと思うが)で圧縮されただけで、読書量自体は減っていないのであろう。むしろ消費していないと自分では言っていても、前後のリリースを読むと読書量は相当である(但しターゲットを絞って読んでいる気はする)。「もはやお金で買える欲しいものは、健康と時間と労働力ぐらいしかない。」と書いているが、実は現代では、時間(=サービス業の一部と言っていいのか)も労働力の一つの転嫁ということはできる。健康については、サービス業の一部と言ってしまうのは無理があるが、その一部内容には多少消費活動は関わると思う。そう考えるとこの方が老齢を迎えると、今度は新規の消費活動をやや増やすことになってしまうかもしれない。

もちろん、このような境地に至ることは、その人の考え方によるのであろう。ただ、消費を回さないことを目的としてという考え方は、目指していくべきということではないとおもう。結果としてそうなるという生活を見出すという日々の考察を行った知見と実践力に対し強く賛意を表すものである。「自分みたいな人は徐々に増えていて、日本経済はお金の行き場を失ってるのだろうなぁ」とは一概に言えないとは思うが。
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ちょっと違った視点でも考えてみよう。
私は、あまり体を鍛えなかったのだが最近調べたら基礎代謝が極めて低いということが分かった。基礎代謝が低いということは、消費するエネルギーが少なくて済むのだがら、食べ物は少食で済むことになるし(実際は食欲はそうは低くならない)決して悪いことではないようである。体を動かすことが好きではない(というか、逆に極度のストレスを感じてしまうために翌日動けない)が、一方業務上で測定作業などする際に、仕事で体を動かすことはさほど苦ではない。
しかし、日ごろ生活をしていく場合において、体調や環境は日々変化する。多少の基礎代謝がなければ急きょ何らかの外乱(疾病の罹患)が入ると、乗り越えられなくなるということである。私のように基礎代謝が低い場合、雑菌が入ってきたり、流行性の病気がきたりすると、体力的な余力がなくてダウンすることはあるようで、お年寄りによくある老衰というものにはこのような原因によるものがあるという。

同じことが省エネでも言える。省エネ活動において目標として「エネルギーの縮減を狙う」ことは経営的にも正しいといわれるが、余剰と思われるエネルギーや設備を削減することに汲々としていると、時に生産変動や社会の変動等を吸収できなくなることにより損失が大きくなったり、損失をあとあとまで引きずることになる現象がある。また省エネ活動をすることは多くの場合「企業を守る」ということにはなるが積極的に利潤をとりに行くと行くことは必ずしも期待しない(実際には一部の内容では積極的に利潤回収を目的とした行為はあるのだがそれは表向きは隠れている)
このように最小限の投資で生活を回すということは、可能性を模索する段階では非常に問題である。この人のようにすべてのやるべきことを理解したうえで行うという知見があれば、万が一のリスク管理に対応できるが、それは相当の資質がなければならず、少なくとも若年者がこのような「省資源」の生活にこだわるのは、可能性という面からしてもあまり好ましいとは思えないと思うのである。

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