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締めのラーメン

年末どうしても宴会がおおくなる。宴会があると飲んだ後に締めの食事となる。鍋の場合雑炊ということになろうか。私の場合、お知り合いの店ではすいとんを頂くことも多い。
さて、その場合昨今ではラーメンということになる場合も多いのだろう。当方の近所にも深夜にもやっているラーメン屋ができているが、特に23時以降にひときわお客が増える。中には23時開店という、そのような顧客をターゲットにしたラーメン屋もあって、それなりに評判を得ているようである。私は飲んだ後にラーメンを食べるのは20年以上前に卒業しているが、たしかにうまかろうなあと思うことはある。
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けど当然のことであるが、あんまり体にはよくないということである。
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飲んだ後の締めにラーメンが食べたくなる主な3つの理由とは 2013.12.10 13:00 NEWSポストセブン

 忘年会・新年会シーズン真っ盛りだ。繰り返されるお酒が原因の失敗や不可思議な現象。科学的な視点でその仕組みを究明してみる。たとえば、飲み会の後の「締めのラーメン」。翌日後悔したことが何度もあるのにそれでも食べたくなるのはなぜか。
 まず、「酒を飲むと満腹中枢が麻痺する」という理由がある。通常、食事をすると小腸から吸収された糖質が肝臓で分解されグルコースになり、血液中に放出されて血糖値が上がる。脳の視床下部にある満腹中枢は、血糖値が上がるとはたらきが活発になり食欲が失われる。
 ところが、酒を飲むと肝臓は糖質よりもアルコールの分解を優先する(人体はアルコールを異物と認識するので、「解毒」が優先される)。そのため血糖値が上がらず、満腹感が得られない。つまみをたくさん口にしたのに、「まだ締めが食べられるかも」と思うのはこのためだ。

 他にも理由がある。医学博士で健康科学アドバイザーの福田千晶氏の解説。
「肝臓がアルコールを分解するのにエネルギー(糖類)が必要です。そのため消化のよい炭水化物を欲する傾向があります。また、アルコールには抗利尿ホルモンの分泌を抑える利尿作用があります。飲んだ分の最大で1.5倍が排泄されるため、体は失われた分の水分を欲します」
 麺類(炭水化物+水分)を体が欲するのは道理なのである。摂取されたアルコールは主に肝臓でアルコール脱水素酵素(ADH)のはたらきによって酸化され、アセトアルデヒドになる。さらにアセトアルデヒド脱水素酵素(ALDH)によって酸化されて酢酸となるが、ADHやALDHのはたらきを助けるのがイノシン酸という補酵素。これは動物性の旨味成分の一種で、とんこつスープなどに多く含まれる。
 まだある。 「ビールにはカリウムが多く含まれます。人間は体内のカリウムとナトリウムのバランスを一定に保とうとする機能があるので、ビールを大量に飲むとナトリウム、つまり塩分を欲するようになります。そうした理由から『飲んだ後にラーメンが食べたくなる』という現象が起こるのです」(福田氏)
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このように理論的にも一応は説明できるようであるが、なんとなくわかるように、ラーメン一杯のカロリーは約500キロカロリーという上に脂質・塩分ともにとても多い。残さず飲むとそれだけで1日の塩分摂取量の半分となるともいう。高いカロリーの上、中性脂肪値も急上昇することになってしまう。これだと、水分や塩分を補給が生理的に必要と言っても、こういうことを考えると、多少の満足感を我慢しても締めに「味噌汁」の方が健全だともいえるようだ。

但し、昼間食べるラーメンと夜食べるラーメンが成分が同じというとは言えない。というのは、微妙に味を変えている事がありうるのである。疲れたり飲酒で麻痺している味覚の場合、やや角のたった、エッジの効いた味の方が「おいしい」ということになりがちである。これは、人間の体が疲労時に塩分濃度の感覚に対し鈍感となったり、効いている/効いていないに二分化される傾向があるのではと思うのである。

実は、かなり昔であるが、飲んだ後締めのラーメンがおいしいというお店にいって食べたことがある。いわゆる東京風の「中華そば」で、油分は少ない。(「家風」ラーメンではないため油によるカバーは少なかろう)確かにまあうまかったのである。しかし後日、昼間に同じ店に行って食べてみると、今度は味が濃すぎるのである。更にたまたま深夜残業して素面でこのラーメンを食べると、やっぱり辛く感じてしまう。更に別の時にまた同じ店に連れて行かされたのだが、少なくともお酒を飲んでいて、かつ多少の疲労がある場合にうまくなるような味の調整をしてるのではと思う。たとえば夜勤の労働者が朝食べる食事をターゲットにしているお店だと、定食の味噌汁を塩分を高めにするという話を聞いたこともある。
締めのラーメンに立ち返ると、お酒を飲んでいて、かつ多少の疲労がある場合は、グルタミン酸・イノシン酸等のアミノ酸に関しても感覚がボケるということはあるようで、うまくく感じるためにいわゆるうま味調味料を使うとしても多めにするというのもあるらしい。(逆に化学調味料を使わない方針だと、味の調整がむずかしく、疲労度に対処した調味ができないということはあるらしい)疲労度合がきつい人の場合、どうしても中間の味を出しても、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味に関しては甘いか甘くないか、酸っぱいか酸っぱくないか、塩辛いかそうでないか、苦いか苦くないか、うまいかうまくないかと二分化する傾向が極端から極端に走るという結果として表れる。

そう考えると、物事も肉体的にも社会的でも疲労感が強い人は、どうしても中間の評価を出しても、物事を善悪 良否だとかの判断でしか理解できなくなることもあり、極論から極論に走るということも言えるかもしれない。つまりラーメンだけの問題でなく、人間の感性や社会の構成に対しても、種々の疲労した人間が構成している社会は二分化した理論で決着してしまうというのも、また歴史の中では多くみられるものである。昨今の嫌韓論のなかにも、そのような感じが見え隠れすると私は思うこともある。

少なくとも、生きていくうえでの疲労感は免れにくいものであるが、せめて飲酒による感性のマヒで、味覚まで二分論に陥り、憂いの残る判断をするような姿勢は取らないように意識する年末である。

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