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自虐感覚(1/2)

日本人の感覚ではそこまで抵抗ない議論であるが、自虐という言葉は時として他国民に厄介な認識を与えているようである。もちろん自虐という行為に類するものはあるし、アメリカなどでもこれを売りにする側面があるようなのだ。しかし、それは相当自信がある高貴な人が使うものや特異な芸風としてなど、かなり日本人としては特異なものになっているようである。
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自虐の裏返しである謙譲語が日本以外では語彙が多くないという。英語ではある程度高名な人が、他人に質問するときに使うとかいうが、これは普通の人は使わないことばのようで、ある意味「ローラ」や「水沢アリー」が話しているのが普通であるということになる。

日本語に近い語族になる韓国語との比較でも、尊敬語の語彙はかなり多いのが儒教の影響といわれるらしいが、謙譲語の語彙はかなり少ないという。つまり他人に尊敬なり服従する場合でも自分のポテンシャルを堅持する事を前提にすることを、人間の前提にしなければならないというのは、ある意味武闘的な社会があった世界ではこうなるのかなあと思う。
日本の場合は特に近世では「話せば分かる」(by 犬養毅)というのは知識層の持つべき姿勢として前提であった。「どんなに対立している人間でも、腹を据えて話し合えば理解しあえる」という理念である。しかし、「問答無用、撃て!」(by 青年将校)となる場合もある。現実的に言うと、「話せば分かる」は通じる環境の方が稀有といえる。話し合いをしても解決できないものは解決できないし、分かり合えないものは分かり合えない。互いに違った前提知識や価値観を持ち、それがイデオロギー化したり、その前提で積み重ねている社会を代表して議論する場合、話し合って分かり合うことは確実にない。どんな証拠をあげても、それを認めない。共通した価値観を持って認め合う(が実効性が薄い事も多い)か、相手に屈服・隷従したか、ぐらいになってしまう。説諭が効果的に聞くのは江戸時代以降昭和後期までの日本人ぐらいしかないという人さえいる。つまり説諭を受け入れる行為は相手に対する生存権も含めた屈服であり、それでも生きることができるという前提があるから成り立つともいえる。

話し合っても分かり合えない場合はどうなるのか、というと暴力が出てくる。なにも戦争ということではない。デモの鎮圧もその一つであるがどちらかというと社会学の用語でいう「暴力装置」という方が定義としては妥当であろう。但し、「暴力装置」があるからといって「話せば分かる」という姿勢を簡単に放棄する場合があることや、話し合う後ろにちらちら「暴力装置」が見える、あたかも袖のわきから刺青がちらちら見える交渉になっちまう事が想起されるのもあるんかもしれない。誤解を招きやすい「暴力装置」という言葉はかつて残念ながら政治の混乱を招いたが、その顛末は「天皇機関説」をシステマチックな国家構成手法の手法として構成したのに、理路整然とした演説でさえも軍隊や市民は反発したように、理念としての伝達がそもそも無理であったという、「話し合っても分かり合えない場合」に片寄せを強いられる現実と重なるものがある。
もちろん、「袖のわきから刺青がちらちら見える交渉」は、あるべき姿という右寄りの知識層の意見もある。刺青は心理的な圧迫だけでまだ済むのだが、「後ろにこん棒がたてかけてある」というのは、相手側が判断能力を喪失したら理由なくても叩きのめされるという実利的恐怖が更に加わる。棍棒を持っているだけでも、軽犯罪法(第一条2項)とか凶器準備集合罪にはかかる可能性はあるわけだし。反軍国主義であっても、現象上は騒乱の可能性を指摘されうる。そして、アメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトの外交政策そのものである棍棒外交は、攻撃的な外交政策であり、まさにその時期は第二次世界大戦に重なる。
軽蔑され信用されない国と毒にも薬にもならない国だと、どっちがつきあいたくなる国かは、私はその国の政策的志向にかかわるのであってどっちかというとそれこそ信念ではないのかとは思う。
----------------------------------引用
例:棍棒持って静かに話す」国たれ 防衛大学校教授・村井友秀 2014.7.29 03:14  産経新聞 (一部)
良い国の規範は反軍国主義
 なお、政権の性格は軍国主義、反軍国主義、平和主義に分けられる。軍国主義は、平和的手段よりも軍事的手段を優先する。反軍国主義は平和的手段を優先し、軍事力行使を最後の手段とする。平和主義とは絶対に軍事的手段を使わないという意味であり、政策というより宗教的信念である。
 すぐに軍事力を振り回す軍国主義はむろん嫌われる。他方、侵略に対して無抵抗の平和主義も、犠牲を厭(いと)う臆病で無責任な行動だとして、多くの国から軽蔑され信用されない。現代世界では反軍国主義が良い国の規範である。
 資源小国である日本が、激動する国際社会の中で生き残っていくためには、国際協力が不可欠である。軽蔑され信用されない国と協力する国はない。日本が進むべき方向は、多くの国が良い国だと考える「棍棒(こんぼう)を持って静かに話す」反軍国主義の国である。
--------------------------------------終了
自虐ネタといえば「自虐の詩」という漫画がある。映画化もされたが英語での題名は「Happily Ever After」という名前になっている。(あの映画は個人的には・・・・)ただこの映画の犠牲的愛という側面は、少なくともギャクと混ぜて示すのには、基礎的な社会での知識が共有されないと困難であろう。その意味では海外への展開はかなり難しい題材である。
自虐ネタという表現は、英語ではSelf-deprecation(自分を非難する)という記載が近いようである。ただこれは一歩間違うとSelf-harm(自傷行為)を口で行うというように読まれるらしい。少なくともアメリカでは演劇活動・演芸活動で行う場合は相当大御所でないと成り立たないし、あまり力がない人が行うと単なる自信のない奴になってしまうようである。(大御所の事例なら、明石家さんまがさりげなく自虐ネタを入れているようなものである。)たとえばWikipediaの英文記載では、ウディ・アレン、ドン・ノッツ、ルイスC.K.、ジョーン・リバーズ(後ろ2名はスタンドアップコメディー部門の人らしい。漫談といっても知的な存在のようで、タモリとかケーシー高峰などの芸風に近いような気がする。)という名前が挙がっている。スタンドアップコメディーの場合、他人をこき下ろすタイプの芸風の方がアメリカ・カナダ圏では一般的(日本で言うと一時の長井秀和・だいたひかるが近いか)であるから、確かにかの地ではSelf-deprecationの芸風はメインとするにしては一般的ではないようだ。
というか、通訳の人に言わすと「相手に受け入れられるために、わざとバカっぽくしたり、自己卑下や自虐に走ったり、みっともないことをするのは、結局は自分が損するだけなのでやめた方がいい。特に欧米では絶対にやっちゃダメ」というのがあったが、謙遜という概念がもともとないと、自虐という概念は通じないだろうとは思う。
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先日、近藤春菜(ハリセンボン)が自虐ネタに対しTVで語っていたが、その内容を私なりにまとめるとこうなる気がする。
● 他人をネタにすると、その対象者を心理的に傷付けたり、感情を害する場合があり、あらぬ報道をされたりして被害を与えるとか果ては名誉毀損罪や侮辱罪などで訴えられる可能性もあるが、自虐ネタはその心配はない。
● 自慢ネタは時に聞くときに差別観を感じさせてしまうため、聴衆に対しても感情を害する可能性がある。しかし、自虐ネタは聞く側の感情はあまり害しないし、むしろそのネタの提示には同情してもらえることで共感を得る結果、好評価を得ることも多くある。
● 内容に誤りがないかどうか精査する必要は、あまり懸念にはならない。またタイミング良く自己フォローをいれるという技術(近藤春菜いわく、自虐ネタ+「なんちゃって」)があれば、内容の誤りもそう考えなくていいとまでいえる。
こうなると、日本では若手の芸人が活動をし始めるときに、このネタを使う場合が割とあるのではないか。特に営業活動など多数の新規のお客さんに対して「他人を傷付けない」というのは必須である。(アメリカのように現在では営業という形でのスタンドアップコメディーは少なくむしろ劇場での活動が多い場合とでは、演題に入れる毒のいれ方が全く異なるといえるかもしれない)
もちろん、欠点もある。
● ネタがワンパターン化しやすい。(楽屋落ち、マスコミ報道基盤のものベース)このため、共通の知識や価値感覚を持っている人には通じるが、そうでない場合には通じないか、そもそもネタであること自体分かってもらえない。
● 自分のイメージ以外の業務に通用しない場合があり、方向性を固めると仕事の幅を狭めることもある。
ただ、この番組では近藤春菜が指原莉乃に対してアドバイスしているところであり、笑ってしまった。そもそも自虐ネタでは、指原莉乃は従来から腕を見せているのである。もちろん指原莉乃は自分からネタを振ることはあまりせず、細かいネタを拾い必ず丁寧に返すというかたちが強く、近藤春菜は自分からネタを振ることもでき、受けたネタを一発ホームランでかっ飛ばすことで相手に突っ込んでいくこともできるキャリアの違いも大きいのだが。
近藤春菜の例

余談であるが、強烈なネタをぶっ込むことで笑いをとる峯岸みなみと、指原莉乃のMCの相性がいいのは投げる側と受ける側との明確な差があるということだろうと思う。峯岸みなみのブッコミ方は突然爆弾が(実はちょっぴり自虐が混ざってることも多いが)・・・というところがあり、近藤春菜よりも石橋貴明に近いのだろうが。
峯岸みなみのブッコミ例

峯岸みなみと指原莉乃が組んだブッコミでは、2人では滑るが最後にはメンバー全員で力技で笑いにしてしまう。

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話を戻す。
このように考えると、自虐的な発言の適否は、聴取相手のきわめて属人的知識と理念に依存していると考える。
(続く)

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