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いったい誰がダメなんでしょうか?

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「2位じゃダメなんでしょうか?」に何と答えたのか。
下記ブログ記事(chikirinの日記)を読みました。
 みんなが叩く人は自分も叩いていい、と考える人は怖いです - Chikirinの日記
メディアとかで叩かれている(批判されている)人がいるとき、本人が悪い場合もあるかもしれませんが、それより「みんなが批判しているから、私も批判しておこう」と考える人の方が、よっぽど怖いという話です。その主張は、なるほどそのとおりだと思います。
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小保方さん(理研)と蓮舫さん(民主党)の事例が紹介されていましたが、蓮舫さんの部分を読んでハッとしました。
「2位じゃダメなんでしょうか?」という質問に対して、蓮舫さんの質問を受けていた科学技術予算を担当する役人は何と答えたのでしょうか? あれだけ話題になりながら、何と答えられたのか報道されていません。なぜ報道されなかったかというと、その担当者はまともな回答ができなかったからだとchikirinさんは断言しています。
「 2番というのは、2番を目指した人がなれるものじゃないんです。1番を目指しているトップ 5人が、1番と 2番と 3番と 4番と 5番になるんです。だから 1番を目指さないと、トップクラスには残れません」とか、蓮舫さんが「なるほど」と思える答えを即座に述べていれば何の問題も起こらなかったのではないか、むしろ即座に的確な回答ができなかった役人の方がよほど問題だと主張されています。
また、質疑の中の「2位じゃダメなんでしょうか?」の箇所だけがクローズアップされていて、マスコミのミスリードと言える部分もあったと思います。真実のほどはよく分かりませんが、国民の大多数が感じていたとおり、1位を目指すことに意義があることは、役人はもちろん、蓮舫さんも当然分かっていたことと思います。
このようにみると、 叩かれていた蓮舫さん本人の問題、質問に答えられなかった担当者の問題、マスコミの問題、みんなが叩くから叩こうと考える人の問題、などいろいろな場所に不備があって、どれか一つだけが悪いというわけではなさそうです。
結局 何が言いたいのかと言うと、「2位じゃダメなんでしょうか?」という質問に対して、何と答えたのか疑問に思わなかった(知ろうとしなかった)自分に気がついたので、こういった批判(のような)報道のときは気をつけようと思いました。
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何と答えたのか疑問に思わなかった(知ろうとしなかった)自分」…誠実な記載ですね。

確かに、報道の内容なりに恣意性をなくした論述を求めることは極めて難しいともいえる。情報リテラシーを高めることは現代社会では必須といえるが、では国民の全員にこれを求めることはかなり難しいし、情報リテラシーを高めるための教育指導活動自体を恣意的活動と見なし忌避される場合さえある。(たとえば、これなぞは、その結論を自分で考えることを勧める結論ともいえるのだが、お膳立てがお膳立てなので意図が曲解されてしまうのであろう)
ところで、「あれだけ話題になりながら、何と答えられたのか報道されていません。」と言われているのだが、私はその返答を新聞記事や報道で見た記憶はある。そして、担当官がしどろもどろ、あまりにも狼狽しており、議論になっていないので、報道するべきであってもいわゆる公開処刑となって、公開ちょっとするわけにはいかなかったとも思う。この狼狽の原因は、そもそも究極の科学技術を追求するのは社会自体の前提であるという研究者のモチベーションや社会的存在価値であるのにも関わらず、大本の前提条件を否定した質問をしたことである。
だから、『 叩かれていた蓮舫さん本人の問題、質問に答えられなかった担当者の問題、マスコミの問題、みんなが叩くから叩こうと考える人の問題、などいろいろな場所に不備』であるとは思うのだが、結果的に問題の成り立ちを考えないと、みんなが悪い・・・終了・・・というところで終ってしまう。
報道ありきでなく、基本情報からの探索活動が私たちのとるべき姿勢ではなかったのだろうか、本来は。
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さて、1位を目指すことに意義があるよし蓮舫氏は理解していたとのちに主張している。ただ、「当然分かっていたこと」というのにはちょっと問題がある。
まず、蓮舫氏が1位を目指すことに意義があると思っていたとして考える。
「2位じゃダメなんでしょうか?」というのはあくまで1位を目指すという意思を相手に語らせることで予算を付ける(反対に、そうでもさせないと予算がひっ迫しているので付けられない現実がある)ということになる。但し後述するが担当した役人にこれを言わせることは、この役人自体の自己矛盾を起こすということもある。ロジックとしてこのような質問で「援護射撃」をするというのはレトリックとしてはときどきあるのだが、実はこれは相手との意図を相当通じていないときわめて危険な手法であるようだ。
私も同じようなレトリックをとって種々の会議で用いたこともあるが、意図と反対に「延焼」したこともあるし、「意見誘導」という見方でもめたこともある。ほとんどの人が賛意を持っている場合にはこのような誘導は有効であるのだが、膨張する予算削減を前提にする会議においては、研究の有効性がどうであろうと先行きの技術動向がどうであろうと、研究が成り立っても胴元が破産すれば、研究を用いる社会の構築自体が不可能になるという認識もある。このような視点では予算削減が最大の目標というわけで、相反する目標を前提としているメンバーが大量に居る場合は、反語的な言い方は相手を混乱させ、会議を無意味にさせる恐れがある。

次に、蓮舫氏がこの研究を強く推進することは意義がないと思っていたとして考える。
というのは、スーパーコンピュータは世界ではアメリカが強く、昨今は中国が高いレベルを持っている。日本がその中の一角を占めているのであるが、スポンサーとして軍用というローンチカスタマー・資金提供元がある他国に対し、日本は民生用に限定されている側面もあり資金源は文化的側面・将来の産業的視点しか言えないのである。このようなこともあるからか、欧州各国はすでにスーパーコンピュータの開発競争から降りており、アメリカ(時に日本)からの、スペックをやや落とした「経済的なスーパーコンピュータ」を複数購入するという形になっている。
更に、このプロジェクトはかかわっていた国内企業3社のうち2社が「自社技術への転用を考えてもコストがかかりすぎる」とかいう見方で撤退するという問題があった。(ちなみにこの2社はある意味語彙矛盾のある「経済的なスーパーコンピュータ」をその後も自社開発し、販売している。また、2社の離脱は研究管理部門のマネージメント能力の欠如の結果ともいえるのである)
もちろん分子化学等の研究に、1台で相当のスペックがあるスーパーコンピュータは必要であるが、これについても欧州は(これは倫理的側面・宗教的側面もあって)批判的に考えており、その意味でベンチマークとしての存在からしかスーパーコンピュータを位置つける物はないという認識を持っていた技術者もいたようである。
その意味で本当に一位の性能を維持することがコンピュータ業界以外の研究に有効であるのか、もしかするとやや手ごろな性能のコンピュータを複数台入れる方が運用上では有効ではないのか(・・・スピードが半分のコンピュータを導入するとした場合、4台のマシンを必要とするという概算が成り立つそうだが、その方が運営上も安価であるという視点)という汎用的な視点を持って検討しているのかを疑問視していたという見方もある。そこを問うたということなら、もう少し聞き方があったとは思う。(なお4台での運用だと実際には土地の買収・空調等インフラコストを含む運転コストはかなりかかり、運用も煩雑化し、経済性はかなり劣るということを聞いた)こうなると、基礎研究の達成としては代替技術で賄うしか資金源がない(海外の場合軍用予算の目的は公開さえないことが一般的である)現実で、分配先として妥当かという議論は、聞こえていたのだろうと思う。

ここを言葉尻で語ることは、意味があるようであまり意味がない事である。
物の本に、「議論できない人間にはバカは以下の特徴がある」というのが書いてあった。いわく

最初に自分の信じる内容を大げさに表現
この内容に歯向かうものには、議論そのものよりもその人の肩書や実績、権威性などに疑問を放ち攻撃
矛盾や論理破綻が指摘されると更に激高し、誹謗中傷にいたる

というのである(記憶であり、微細な差異があるかも)。
少なくとも、このような形で蓮舫氏も当該役人さんも対応したわけでない。むしろ、黙る・うろたえるということはまくしたてる・切れるよりは理性的である。
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「即座に的確な回答ができなかった役人の方がよほど問題」というのは確かについぞ追従しやすくなるのだが、どうもこの場合技官で研究専門職である場合がある。これは、官庁の研究職(研究所勤務)が配置転換で、キャリアのなかで研究のまとめを行うことが多い。そして、また研究所に戻ったり、大学の教官になるなど研究職のキャリアに戻ることになる)
一位になるというのは絶対的目標ではなく相対性のある目標である。つまり、「究極の科学技術を追求するのは社会自体の前提であるという研究者のモチベーションや社会的存在価値であるのにも関わらず、大本の前提条件を否定した質問」ということも一つだ。しかし、相対的のある目標として「 1番」をとるというなら、それが目指すべき「望目特性」であったとしても、それを逃した時に研究者内部から「不可能なこともありうる1番という言質をとられた」という側面で、研究者としての「研究」業務はコミニティー(=学会)の中ではできなくなる。つまり確かに研究管理職ということなら、「お金を確保する」ということで言えるのだろうが、このように研究者の信念・キャリアがあると、一位という表現にきわめて嫌悪感をえる可能性はある。
製品化研究でなく基礎研究の場合は、社会への研究の還元による社会の反映ということをモチベーションにするという視点よりも、自然科学の限界を探していく極限を探索することが目的である研究者が多いと感じている。そして彼らは社会的な高名を求めていないし、有名になることを求めていても収益・投資は、ほとんど研究費用に充当している人も少なくないようである。自分のなすべきことは、社会への反映を資する「源」を提供するのが目的であり、社会への対価の還元はその次のステージにしないと、すでに能力上疲弊してしまうと考える場合も多いようである。
「即座に的確な回答ができなかった役人」を問題にしても、「的確」な回答を期待して予算討議の場所に引き出された人材ではもともとない以上、結果的にスケープゴードになるしかなかったと思う。実際、自らの研究の正当性を語り予算獲得をした研究者が、この同じ研究をしている研究者との共同研究を避けられ、キャリアを高められなくなって、研究者としてのキャリアをつぶしてしまったという事例を、私は見たことがある。
また、このような立場に文官を据えるというのもあるが、これはこれで研究のモチベーションが高まらないので「やらされている」感覚になることもあり、表向け成果は出るが、研究者がこの内容を継承しないという、研究活動後の処置が破たんしていくというのあって、うまくいかないのには変わりがなかったりするのである。

私は、このような技術的な方針を透明化することにこだわり、判断できない内容を結果的に情報伝達(マスコミということではなくてベタ記事等のドキュメントのみ)した結果、私刑のごとき存在になってしまったことが、社会としての課題ではないかと考えている。この段階では燃料としての「マスコミ・みんなが叩くから叩こうと考える人」と考えるべきであろうと考えた方が、それなりにすっきりしていると思うと私は思ったのである。

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