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承認欲求よりも実務的な養成であろうが

きわめて誤解されやすい内容だが、なんだか複雑な側面があるなあと思ったので、書き溜めていく。
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先日NHKの定時ニュースを定食やで見ていた。いつもならこの時間は電車の中である。
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発達障害の方を専門に教え、事後フォローまでを大学の専門家や研究者の指導の下、構築して、其の人たちの専門コースを目指している栃木県鹿沼市の自動車教習所の事例を紹介していた。たしかに就労機会を得るという側面もあるのだと考えると、現在の発達障害者支援法の設定の意義、福祉制度の目指す姿にも合致している。

http://www.kanuma-ds.co.jp/pirot.htmlに説明がされているのだがピックアップしてみると

発達障害専門の教習指導の開発を目指しています!
★お客様の特性・個性に寄り添います。
★対人スキルや耐ストレス性に配慮します。
★宇都宮大学U教授・大学院生の皆さんとの地域連携.調査研究事業です。
★宇都宮大学大学院教育学部卒業の専門知識を持ったコーディネーター(社員)がサポート致します。
※参加されるお客様は、当所の仕組みづくりにご協力頂く側面と研究事業でもあることから、パイロット事業期間中は、一切営利を目的としておりません。一般教習料金(VIPコース)と同程度の料金で入校いただけます。
1.免許取得後、一般道路乗り出し前にご希望に応じ、2時間程度の運転練習(路上運転に当っての注意等ディスカッションを含む)を2回まで実施いたします。(無料)
2.免許取得「半年後」運転内容の観察評価・アドバイス(2時間予定)を実施いたします。有料となります。
3.免許取得「1年後」運転内容の観察評価・アドバイス(2時間予定)を実施いたします。有料となります。
という記載をみると、まあリサーチとはいえ、なかなか成果を社会に還元できることを選んだと感心するばかりである。
ただし、ちょっと気になるのは「運転免許を持っていない人には社会に参加できない社会」が構築されたというのは果たして望むべき社会構成のあり方なのかという疑念が私をよぎったのである。
というのは、たしかに発達障害の場合一般的な自動車運転においては、指導法において十分習熟された場合、運転業務自体には決して問題となることはないのだが、逆に言うと事故にあったり、イレギュラーな対応を迫られた場合には、よっぽど対人関係の認識を必要とする。そういいうことから、「運転内容の観察評価・アドバイス」ということも組み込まれていると推察するものの、むしろ不得意なものは不得意という形で生存権がある社会だと、(まあ、その人のやりたいことに進むのも自由意志ではあるのだが)其の分ちがう社会の中での活躍手法もあるんではとおもう。これは昨今、自動車免許が聴力障害者にもとれるというところでも多少は感じたことである。
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もちろん、発達障害に関しては誤解を基にした理解が、あらぬ問題を招いている。教育のしかたなどで自閉症になるという見方など、その後の学術的研究では有意性がない分析とて専門家は居なくても、種々のそれなりの知識層にはそれを基準に考えるひとがいる。それよりも、対応のコツがつかみにくいと思う行動から、特性を理解して、世の中に受け入れられやすい行動の仕方を丁寧に教えるという必要性自体が、健常者の認識の幅に収まらないことで、逆に全く対応できない健常な人がいるともいえる。
発達障害者の特徴としてこういう記載を見つけた。(参考:http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/129584.html
(1)「相手の気持ちが分からず、自分の気持ちもうまく伝えられないため、人間関係がうまく持てない」
(2)「考え方が杓子定規で、融通が利かないため、暗黙の了解が育ちにくく、社会性が育ちにくい」
(3)「言葉の意味を取り違えたり、多量の情報の処理が難しいため、コミュニケーションがうまくとれない」
(4)「特定の事柄にばかり注意が向かい、全体を見通した考え方が苦手である」
(5)「怠けているわけではないのに、知的水準に見合った学業成績が得られない」
(6)「感覚の感受性が特別で、特定の感覚が極端に過敏であったり鈍感であったりする」
(7)「自己コントロールが難しく、些細な事で切れ易いため関係性が持ちにくい」
(8)「自分が興味のあることにのみ注意が向かい、興味のないことへの注意の持続は難しい」
もちろんこれらの特性は「生まれた時から持っているその人の特性」というものだからバーニアで切り分けたり、白黒という二律で判断できるものではない。そして、発達障害とさえ疑われた者には、成長段階において、本人の特性を分かった支援者・サポーターを得て革新的な行動を成し遂げる人も知られる。(この事例は発達障害以外でも多数存在する)しかし自動車の運転は相手の動くべき動作を洞察していく活動(たとえば自動車の陰に子供が居た場合飛び出しを推察する)が常時必要であることから極めて凡庸な資質をあまねく持っているという前提があるわけで、教育指導で何とかなるという場合とそれでは収まらない事例が混在する。もちろん運転に向く人を選定してというのがあくまで免許取得の前提であるようだし、妥当であるとは認識するが、よき理解者の存在により、成長して業績を残すとはいえども、その理解者の見出しは組み合わせを試行して最適なものを選定することに、今のところなることを考えるとして、また教習時には専門知識のある指導者がいるとしても、自動車学校を出て公道での環境で、最適な人材と何時も一緒に自動車を運転するということになるかというと、ちょっと悩んでしまう。
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私は実は自動車技術者として仕事をしていた時期も長いのだが、従来なら自家用車しか免許が取れないというエリアといわれている。自動車免許取得の際の適性検査には赤色・青色・黄色の識別ができることでOKであるから、わたしの場合はさほど問題がない。今は2種免許でも色覚は問題にならないといわれているが、鉄道や航空の業務にかかわる場合は明らかに問題になるのが現状である。
しかし、私は若いころべたべたに疲れて運転していたとき、色覚の触れなのか青信号を赤信号と誤認して交差点で止まってしまった(ちなみにいずれも軽く雨が降っていた)ということが何回かあったことから、余り疲れるような運転はしないようにしている。そうなると2種免許は得られても、そしてバリアフリーに配慮した信号が出てきている現在でも、業務において自動車運転能力を活用することはわたしの場合躊躇することになろう。
さらに今ではいわれないが、電気工学を大学で勉強しても私のころは就職で問題になるといわれ(事実、抵抗のカラーバーは読めない)、専攻を変えて機械技術者を目指したという経緯もある。さらにCAD・CAEの階層の色わけは今なおかなり無理な業務である(いちいち色を確認することでできるが、自分も迅速な業務は不可能であった。このときは上司が気がつき、能力のあるオペレータと組んだ研究作業にして貰った。)
その意味で配慮されたユニバーサルデザインなどの採用により、業務を推進することができるというのもわかっており、できる限りそのような策を望むものであるが、現実の業務では、それに配慮するため、CADソフトを私専用でセットするためマシンの汎用性が壊れるとかいう、経費面や人事面を、実際に交渉ごととして経験してしまう。そうなると、むしろ人員の適正配置というほうに配慮を重点化したほうが、社会の構成上いいのではと私は思うのである。
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これとは異なった面で、発達障害の人に免許取得ができるならした「からかい」「いじめ」の対象になるうえに、当人はどうしてよいか分からず、さらに助けを求めるのが苦手になる。となると、外出が億劫で、引きこもり状態になってしまう傾向があるという。その誤解があらぬ揉め事(犯罪を意図せず起こしてしまう)とか、詐欺などの犯罪の被害者になるとかの元になってしまうと聞く。それに対して、鉄道などを用いた移動は「からかい」「いじめ」の対象の場所に自分をさらすという形で、外出や交流を嫌がる結果、社会性に乏しいことになってしまうことである。そのような閉じこもりを防ぐために自動車免許は取れるなら取るべきという意見は想定できる。
耳学問であるが、発達障害に向いている職業としては一律に決まらないがたとえば対人関係の苦手なアスペルガーやLD、ADHDでは比較的向いていると言われる職業があるようだ。
● プログラマー、エンジニア(沈思黙考を自分ひとりで完結できるもの)
● 製造ライン、在庫管理、清掃、(とことん自分ひとりで完結できるもの。漏れがないような仕事は向き)
● 定型業務(データ入力、ファイリング)、経理
当然、他人の要望を掴む素質が求められる、営業、接客などは向かないだろう。しかし優秀なプログラマー、エンジニアは他人の要望を掴む素質が求められる側面があるし、雇用サイドは業務分担をきっちりしなければならないということはいえそうである。そしてたとえば工場内で定型輸送業務などをするならば自動車の免許は雇用において有効なものになりうるともいえるのである。

かなり昔のことだが、お知り合いの多少知的発達障害のある人(女性)を自分の母親がほめていた。いわく、言語が極めて不自由だったのを私も知っていたのだが、まじめに一心不乱に仕事をする姿勢が評価され、一時期資格を取ることに専任していたという。今、彼女の家は建築材料としての洗い砂や砂利を卸売りしており、彼女は大型ダンプを使い、種々の砂や砂利を、近所の建築現場に1台(一杯)単位で配達しているというのである。つまり大型一種の免許を取ったということだそうである。
建築資材の仕入れは長距離になるうえ、お金の交渉もありオーナーが行っている。彼女は免許の都合や適性もあり、近距離の配送専門なんだそうだ。繁忙期には2台のトラックを用い、交互に運転することもある(もう一台は砂を定量積んで運送中固める作業を別の人がしておき、配送先からトラックが戻ってきたらトラックを取り替えるというシステム。日ごろは積み込みも彼女一人でやっているらしい)。まさにとことん自分ひとりで完結できるものに特化して、適性を見出すところが彼女の活躍に繋がったのだろう。当時はそこそこの収入を彼女の働きがたたき出していたとさえ聞いている。
そのような事例を思い出すと、じつは発達障害専門の教習指導という考え方は、きわめて健全かつ先行的ともいえる。ただその際に「適性」というジャッジメントを入れる方法がわかりにくいということで、いらぬ認識を上記ニュースだけで判断してしまうという問題が自分のなかにあったのかなあと、考えを直したのである。

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