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過剰反応ではあろうが

過剰反応といわれても、やっぱり現在の社会状況はBLOGにせよ何にせよ、自分の意見をいうこと自体をを考えさせられる。
つまり、まあ言い方を替えると
「自分の力で考えよう」としようとしている(ではそうなっているのかはかなり問題がありそうだが)人がここまで増えちゃって、各視点で勝手なことを言うことがシステムが立ち上がってしまうため、第三者への同意や共感による社会活動が即席ででき、すぐ崩壊するという変動をだれも制御できなくなってきた。
と言うことではないか。
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本年は他国との関係をとかく社会が詮索した年である。
---------------------引用
2013-12-16■[ネット][トンデモ]日本の観光に力を貸してくれた留学生をののしる人々

まず、広島にいる留学生11人が、観光スポットを外国人の視線でチェックし、改善点を提案したという地方記事があった。

観光案内の外国語表記改善を 広島の留学生、岡山の施設点検 - さんようタウンナビ - 山陽新聞
広島県内で学ぶ外国人留学生らが14日、岡山市の後楽園などの観光スポットで案内表示などをチェックし、外国人の視点から改善点を提案した。
中国、韓国、タイ、シンガポール、アメリカ、台湾の11人。JRや路面電車など公共交通機関を使い、後楽園のほか、岡山城、吉備津神社を巡った。
後楽園では、延養亭や流店などの建物で「由緒を知りたいのに外国語の案内がない」と改善を要望。岡山城前の案内図は英語、中国語、韓国語で周辺施設を紹介していたが、観光案内所だけ中、韓の表記がなかった。このほか、JR吉備津駅前では、吉備津神社への道のりが分からないとの指摘があった。
広島市立大2年の韓国人留学生(20)は「チケット売り場に韓国語表記がないなど、まだまだ改善点が多い」と話した。
観光庁が外国人受け入れ環境を向上させようと2011年度から実施。一行は15日も備前市の陶芸体験施設などを点検する。

最後まで読んでのとおり、日本の政府側が依頼して、留学生に協力してもらったという流れだ。さまざまな意見を出してもらって、日本側が取捨選択して考えていくわけだ。まったく改善点をあげてもらわなければ、むしろ日本側が困る。 コメントをとった韓国人留学生の視点が記事に明記されただけで、もちろん他の留学生もさまざまな指摘をしてくれたと考えるべきだろう。
 しかしこれが2ちゃんねるに転載されると、「韓国語案内がない」「韓国語表記がない」という部分がスレッドタイトルに追加されてしまう。(中略)たしかに記事内にそのような部分もあるが、案内所になかったのは中国の表記もだし、道のりがわからないという指摘は韓国語とは関係なさそうだ。ただ、中国への反感より韓国への反感をあおることを優先したのは、ある意味で興味深くはある。
そして2ちゃんねるまとめブログに転載されて、差別意識に満ちた反感が一気に拡散していく。(中略)さすがにコメントには日本側の要望であるという指摘も複数あるが、つくづく情けない「お・も・て・な・し」もあったものだ。
-------------------終了
 留学生にこのような指摘をお願いしたのは、ここにもあるように日本国政府(観光庁)なのである。つまり、海外留学生は日本に来ている目的(留学)のほかの行動をしているのである。だから、このような指摘を留学生たちにするのはお門違いでむしろ、このような排斥の文言は迷惑をかけていると言う判断であるべき。
ただし、上の筆者の指摘で『さすがにコメントには日本側の要望であるという指摘も複数あるが、つくづく情けない「お・も・て・な・し」もあったものだ。』というのは彼の意識としては当然あるべきだが、ここで文句を言っている人にはあたまから通じないと思う。
というのは、日本側の要望であるという指摘は、「自分の力で考えよう」としようとしているある意味キーマンとなる人には、すでに観光庁の存在意義への疑問まで及んでいるのである。もちろんまとめブログに転載されて、差別意識に満ちた反感が一気に拡散というには恣意的な意味が強いが、反対にまとめブログにあがるのは話が伸びたスレッドだけである。つまり便乗する輩がたきつけている側面があるとはいえ、一定の無視できない人数が支持し声高らかに言っていると言うことであろう。つまり、結局のところ経済的にどうこうという側面、国際的にどうこうと言う意見はあろうが、実際なんらかの形で否定的な経験を受けた人間には通じない。
以前書いたが、海外向けに活躍しているあるコンサルタントさんが、韓国に招聘されたものの現地で契約をことごとく破られた結果、金輪際韓国と仕事はしないと腹を立て、キムチさえ食べなくなったということがあったが、まさにこの人が「自分の力で考えよう」としている人というのが、なんか皮肉に聞こえる。(私の周りには、うまく言っている例もじつは多いのだが、この2つには技術的志向が見事に分かれている)
このようにスレッドにあげている人には、もちろん面白ければという感じの便乗者もきわめて多い。混在する中で、存在を第三者が切り分けられなくなっているのが社会のフラット化である側面の一つでもある。「自分の力で考えよう」としようとしている人以上に、なんちゃって「自分の力で考えよう」と言う人間が混在し、第三者への同意や共感による社会活動が柔軟であるがすぐ変質すると見えるものしか残っていないと言うことになるのだろう。そして意見の質を判断する人(マスコミだったり知識層であったり、学者であったり)自体がIT化の中で他者に対し優位性を語ることさえも、埋没するとか、むしろ肩書きで忌避されるとかということが出ているとおもう。
割り切る人には、世の中には「言わなくてもわかる人」が少しだけいて、そのまわりに「言えばわかる人」がある程度はいる。でも、残りは「いくら言ってもわからない人」ばかりだから、もうその層にはわかってもらえなくてもいいかな、というイメージという言い方をする。そして、訴求できるのは「言えばわかる人」に対してであり、「言わなくてもわかる人」は、ブログとツイッターだけでわかってくれるが、「言わないとわからないけど、言えばわかる人」に対しては、ネットだけでなく本の権威を借りて伝えるのが効率的だという意見。(例:これ
ただし、困ったことには Aと言う人はたとえばXと言うことに関しては「言わなくてもわかる人」であるが、Yということに対しては「いくら言ってもわからない人」ということが結構あるようなのだ。つまり知的訓練を受けていたところで、個人の心情にかかわるとか感受性にかかわるもの、さらには上記の韓国嫌いのコンサルさんみたいに、かなりの知的訓練を持っている人のように一夜で変わってしまったということが、実はかなりあるのである。
また、「いくら言ってもわからない人」が種々の経験から増えてきた結果、「言わなくてもわかる人」「言えばわかる人」の意見を圧迫するとか、これらの人が強烈な悪影響を受けて判断行動をあきらめたりすることがある。つまり人間の新陳代謝はあるから永続的にそうだとは言わないが、「いくら言ってもわからない人」が増加すると言うメカニズムがあるのではと推察する。
ことこのように、意見をいうこと自体が萎縮される傾向にはどうしてもあるわけで、そこを外的条件で抑制されるのはしかたがないにせよ、自ら萎縮することによってなんら展開が図れるものではないと私はおもうのである。
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さて、韓国は人口は日本よりは少ないが、現在のところ訪日韓国人はかなり多い。ビジネスとしては韓国語対応をすることは好ましいと思う。ただし、どうも私の知っているところでは、韓国人や中国人が増加したがその影響(忌避の場合もあるが多くは混雑の分散らしい)で日本人観光客が減少し、相対的にお金が落ちなくなり困っている観光地もあるようだ。けどそれは当座の問題であり、恒久性の議論はどっちにせよできないわけで、私としては中国・韓国対応は英語対応と同時に推進するのは経済的には正当性があると考える。ただし、観光客を増加させることが国の経済的発展と国際的認知度の向上と同等ではないという視点は無視できない。
となると、本質的には観光政策に対する制度設計に対しわかっている人は異議を唱えるというのいもあろう。しかし、上記のように多くの非難する人は当事者を非難する。非難するとしてもその対処するべき観光庁への指摘ではないのである。たしかに観光立国や国際的認知度の向上が彼らの収入の不安定化、社会基盤の崩壊(これとてきわめて我の強い内容で私は肯定できないとおもうが)が問題と言う意見は、それなりにロジックが立てられるなら言うべきなのだろうが、概してそういう発言をしないという錯誤が、やっぱりあるんではともいえる。

類似のもんだいなのだが・・・・
http://togetter.com/li/436309
京急品川駅では行き先表示に日本語→中文(簡体)→英語→ハングル→・・・とうかたちで表示がされているのだがこれはにたいして非難しているというものである。これは政府の政策で行われた経緯があるようだ。しかも中韓の利用者が多い、(かつアメリカ線も多いし、本線とて横須賀も沿線でありアメリカ人はもとより多い)羽田空港直通路線の表記である。利便性を考えてこれを設置すると言うのはわからなくはないし、国際化を意図するということを国策が進めている以上、理解できることではある。
ただし、なれた私でもと簡体とハングルは行き先の推量がつかない。本当か不明だが

実際に京急に乗る際、ハングルの表示しか出て来ず電車に乗り遅れ飛行機に乗り遅れそうに..。抗議をしたら現場ではハングル表記は不便との認識でしたが上層部が決めたそうです。どしどし、抗議電話して欲しいと現場で言われました。
と言う記載はわからなくはない、乗り換え改札でずーっと表記を見て困っている人(特に地方から国内線のためにやってきたお年寄り)は多いし、実は2009年には始まってたサービスだが、そのころに、2・3回表示の見損ないで乗り間違いをしたと言うことも私はあるのだ。(で今は・・・っていうと、急いでいるときこそ表示を見ないでさっさと入り、日本語入線アナウンスを聞いて決めるようにしている)また、京急蒲田などこの後設備が入ったところは、表示を大型化し日本語常時表示+英中韓ローテーションとなり苦情は聞かない。
こうなると、 駅名看板とか駅構内の方向案内で「日本語、英語、ハングル」の三ヶ国語表記とか増えてきているのに、なぜ電光掲示板に非難が集まるのかと言うと、視野に入るもの全部が一瞬で読めない言語だけになってしまうように見えるということが、マン-マシンインターフェースとして問題であるからであろう。表記が3つ並んでいる場合なら手前で選択できることだから不平はないだろう。 読めるところを読めば良い多言語表記の文書と違い, 読みたい時に読めない・表記の選択権無い・暫く待てはたしかに苦痛感覚は出る。
わたしの場合、本線の電車と間違って空港線のノンストップに乗ってしまった(またはその逆)のだが、このホームが他国では余りない行き先の種別が多いことにも繋がるわけで、東京モノレールなどでは問題になりえないようだ。ただし、品川の場合は表示装置の不整合と、狭い表示装置に過剰なほどデータを出させると言うロジックと視認性が検討されきれなかったと言う側面がある。そしてその反省を持ってそのあとの設備は反映されているのだが品川はもともとのマシン形状もあっていまさら反映しにくいのだろう。となるとこれらの問題は、あくまで技術的問題と、すこしの経費の投下として考えれば、大方の問題は解決できる内容ではないかとおもう。(問題は国家予算をおろした場合はそう簡単に改良ができないということがあろうが)
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意見の多いことはまず認めるとして、その意見が一つの論理的理由が成り立っているなら、自由主義社会では意見を抑制させたり情報漏えいをことさらに処罰したりすることは萎縮を招くため、私はさけるべきと考える。ただし上の事例でもわかるように問題の抽出内容が直感的なものに偏ったり、(マン-マシンインターフェースというのも結果的には統計的に処理することで直感的ではないように見えるが、判断基準は基本定性的・直感に支配されるものである)
となると、「いくら言ってもわからない人」の割合が増加するということは、定性的・直感に支配される場面が増加していくに従い、ますます「いくら言ってもわからない人」が多数派を支えるようなシステムになるわけで、その対策として、意見を抑制させたり情報漏えいをことさらに処罰したりという対抗手段をとらなければならないというのが、日米ともにあるんではとおもう。法律については憤りを覚えるが、なえそうなったかを考えるとこれはむなしい。

来るべき年が少なくともいい年に成ろうとする意識に満ち溢れてほしいものである。

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