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政治家に求めるものは何か(1/2)

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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38058
政治家にプロを選ぶドイツ人、タレントを選ぶ日本人
枯れ木も山の賑わいは百害あって一利なし  2013.06.26(水)   川口マーン 惠美:
日本にあって、ドイツにない物はたくさんある。きめ細かいサービス、時間に正確な電車、24時間営業のコンビニ、そして、タレント議員etc。
 私の考えでは、よいサービスと、正確に走る電車は◎。コンビニは便利だけれど、24時間営業でなくてもいいので△。しかし、タレント議員は×の3乗だ。
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 先日、ぼんやりとネットのニュースを見ていたら、「アントニオ猪木氏が参院選に出馬」という見出しが飛び込んできてビックリ。
自分の税金と運命を根性だけの政治家に託すのか
 読んでみると、それを石原慎太郎都知事が心強いことだと大歓迎しているという。なんだか眩暈で椅子から落ちそうになった。最近、日本はまだまだ捨てたものじゃないと思い始めていたのに、もう、何が何だか訳が分からない。

 まず考えたのは、日本の有権者も、石原都知事と同じように、アントニオ猪木氏が日本の国政に携わるのを頼もしいことだと歓迎しているのだろうかということだ。
 日本には石原氏の他にも、「アントニオ猪木が出るなら、維新の会を応援しよう!」と思う人がいるのだろうか?
 政治というのは、私が言うまでもないが、とても重要なことだ。政治家は、国民の税金を使って、日本国を運営する。しかも、それは膨大な額のお金だ。
 そして、外交にせよ、財務にせよ、エネルギー問題にせよ、そこで失策があれば、その膨大な税金が失われるだけでなく、国が発展しない。あるいは、弱小化する。生活が苦しくなる。
 言い換えれば、私たち国民は政治家に、自らの膨大なお金と運命を託していると言っても過言ではない。
 だから政治家は、その重要な任務を遂行する能力のあるとびきり優秀な人でないと困る。普通の優等生ぐらいではだめだ。庶民感覚も要らない。政治についての知識を十分に持ち、さらに、それを実行に移す実力を兼ね備えた人でなければならない。
 政治についての知識というと、広範な、しかも専門的な知識である。法律も、経済も、外交も、国防も、それがどういう仕組みになっていて、どこで決定され、どういうふうに機能するのかを知っていなければならない。知っているだけではなく、実行できなくてはいけない。
 もちろん、国を良くしようという理念も持ち合わせていてほしいが、しかし、おそらく理念だけでは政治はできないので、さらに権謀術数といったようなことにも長けていてほしい。また、ポーカーフェイスや、人心を掌握する力も重要だ。冷静な理論で相手をやっつける弁論の能力も要る。ただし、腕力は要らない。
 これだけの条件を備えた人は、なかなかいない。とはいえ、そういう、総合的な能力を有した、優秀で、心身ともに頑強で、政治家向きの人が政治家になってくれなければ困るのだ。
 幸いなことに、政治家を選ぶ権利は、私たち国民に預けられている。だから、私たちはその権利を十二分に利用し、気合を入れて、政治のプロを選ぶべきなのである。それなのに、その貴重なチャンスをかなぐり捨てて、政治の知識など全くなさそうな素人候補者をわざわざ選ぶ人がいるというのが、私には理解できない。
------------------------------------------------中断
まあ、たしかに懸念があるのは私も同じだった。そして彼は議員になってしまった。
政治家は、国民に膨大なお金と運命を託されている以上、広範な政治知識があり、実行に移す実力を兼ね備えた、優秀な人であるべきだろう。少なくとも私も、広範な政治知識に対しては不足しているだろう。
ただし、前回彼が議員を勤めたという経験を考えると、少なくとも「国を良くしようという理念」はむしろ庶民感覚に近い視点で持ち合わせているようだし、理念にかなり偏っているが権謀術数には長けているとみなされるし、少なくとも人心を掌握する力もはありそうだ。
彼は湾岸戦争で邦人人質の解放をほとんど一人でやってのけたという成果がある。当時イラクは日本を含む国際連合からの非難や制裁措置から、当時クウェートにいた日本人41人らを事実上の人質としてイラクヘ連行・国外移動禁止処分にするが、政府間の人質解放交渉はほとんど頓挫する。ここで、彼は外務省の反対を押し切り、個人で費用を負担してトルコ航空機を自力でチャーター、関係者や人質被害者41人の家族46人と共にトルコ経由でバグダードへ入り、在留日本人と全人質が解放されることに成功した。このことや、余り日本国としてはかかわりたくない国に独自のコネクションを持っているというのは、日本のほかの政治家にない点である。また、これらの宗教的な面が強い国では冷静な理論で相手をやっつける弁論能力は、むしろ弊害になることもあろう(北朝鮮もこの点は似ている)。
もっとも、この人質解放(ちなみに日本国民以外の人質も含む)については、むしろ「余計なことを・・・・」という視点なのか、他国でもまったく評価されていないどころか事実記載をを抹殺されている。実際不測事態が発生した際の問題等、この行動には国内でも賛否両論あった。だが、このことを考えると素人とはいえない資質があるというのを感じるのである。
さらにここで感じるのは、「政治のプロ」にはこのようなかなり絡め手な行動ができないのである。政治家を選ぶ国民の意見を損ねる(この場合も損ねる可能性が十分あった)場合に、失うものが落選・失職となり大きすぎる。このようなことを考えると、まあそれなりの議員活動への支援が民意としてあり、国民の預信があるとみなすべきではと思う。
理想的な政治家はなかなかいないし、政治家向きの人が政治家になってほしいというのは私もわかるのだが、大概の政治家はこれらをすべて備えているわけでないし、政治家向きの人が政治家にならないし政治に魅力を感じずむしろ政治に不満なら他国に移住するなどという事例も多くある。「政治の知識など全くなさそうな素人候補者」というなら、議員段階では大方の政治家が成り立たないということになる。
つまり、「政治のプロ」というもの自体をそもそも懐疑的に見ている人が多いともいえるのではないだろうか。
----------------------------------再開
政治の素人を当選させるのは国民主権をどぶに捨てるようなもの
 タレントや落語家やプロレスラーや柔道の選手が、それぞれの道で立派に活躍していたとしても、まさか政治のプロであるはずがない。石原都知事本人も政治を勉強した人ではないが、だからといって、誰もが根性だけで政治家になれると思っているわけではないだろう。
 ピアニストでも、野球の選手でも、科学者でも、成功の背後には、天賦の才能に加えて、果てしない練習(研究)と一方ならぬ努力がある。努力をしても、皆が頂点に立てるわけではない。
 もちろん、やる気だけでは話にならない。教師や弁護士や薬剤師といった、比較的普通の職業でも、やる気だけではなれない。やはり、基礎からの勉強と専門知識が必要だ。
 アントニオ猪木氏が1989年に参院選に立候補した時のキャッチコピーは「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」だったそうだ。ちょっと書くのも恥ずかしい。
 そして、その卍固めを叫んだ人間に、たくさんの人が投票したということを書くのは、もっと恥ずかしい。立候補した本人も、そして、投票した人たちも、政治家だけは、他の職業と違って、別に政治のことなど知らなくても、やる気があればいいと思っていたのだろうか。
 やる気だけでなれる職業は、世の中にあまりない。特に、重要な職業にはたいてい試験がある。医者になって人助けをしたい人も、やる気だけではだめだ。人命にかかわる。ピストルを持って悪者を追いかけたいからといって、誰もが警官になることもできない。
 間違った人が行使しては、一般公衆に迷惑のかかる職業は、やる気だけではできないようになっている。
 やる気だけでなれるのは、それが上手く行使できなくても、公衆にたいした被害のない職業だ。歌が下手な歌手は、売れないだけで、別に株価が下がるわけではない。料理の不味いレストランには客が来ないが、だからといって、外国に領土を取られるわけではない。
 しかし、政治家という重要な職業に、能力のない人がやる気だけで就いては、国難を招く。
 だから、小沢一郎氏が参院選に柔道の選手を担ぎ出したときには、その無責任さに腹が立ったが、選挙結果を見ると、有権者も同じく無責任だった。政治の素人を当選させるような国民は、せっかくの国民主権をどぶに捨てているようなものだ。知的な行為とは言えない。これでは、民主主義が浮かばれない。
----------------------------------中断
オヤッと思ったのはプロというものに対する意識の違いである。
だれでも根性だけで政治家になれると思っているわけではないだろうが、たとえばタレントにはプレゼン能力があり、運動選手に代表される人々には才能と努力、さらには努力を行う姿勢がある。また、弁護士や何とか政経塾のようなところでの学習ノウハウは基礎知識の習得だったともいえる。つまりOJTでの学習や技術が横展開できるという場面が世の中にいっぱいある。其のほかにも市井で技能を磨いたなかに政治家に用いる資質があるかを評価できるという場所になっているようである。過去、この資質がないという人が自覚して、1期で議員を退く(出馬しない)という事例は多い。つまり、政治家という職務に対し求めるのは基礎からの勉強と専門知識が必要ではあっても、基本プロに徹することは、国民の信頼を損ねる場合もある。さらに、個人以上に国全体を良くする理念、権謀術数に長けること、人心を掌握する力、弁論能力は下手をすると、市井の人々にとってはむしろ不審・不信の対象になってしまう場面が特に増加しているのである。沢一郎氏のようにある意味政治家としての資質は基礎からの勉強と専門知識があり、権謀に長ける人が、社会からあそこまで非難の対象になるのは、其の側面もあるのではと思っている。歌が下手な歌手が歌手以外の要素含みで売れ、料理の不味いレストランにものめずらしさで客が来て、それが民間レベルで親善大使になっているということが実際にはあるのは、其の反証ではといえる。小沢一郎氏のようにある意味政治家としての資質は基礎からの勉強と専門知識があり、権謀に長ける人が、社会からあそこまで非難の対象になるのは、その因子にこういう側面があろう。知的行為も衆愚行為も容認することが国民主権であり、その結果として民主主義があるといえる認識がある。このあたりは階層認識が強いゲルマン系の欧州社会ではないことだと思っている。(ラテン系ではこのあたりは雑な感じがある)
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社会的に重要な職業にはたいてい試験があると筆者は言っている。
基礎からの勉強と専門知識は、医師・薬剤師には課せられている。弁護士・教師もそれなりの学習機関と試験による選別、そして弁護士は一定期間の学習が課せられる。そして警官は、基礎からの勉強と専門知識は採用されてからになる。そのように「間違った人が行使しては、一般公衆に迷惑のかかる職業は、やる気だけではできない」のは、やる気がすべての専門職取得の前提条件である。しかし、実際問題このような期間のかかる、資質の流用できる資格取得を行った人間に対する信用が日本社会ではだんだん低下しているというのも事実である。やる気だけでできないといっても資質の維持・さらには資質維持にかかわる意識…やる気…の維持に対しては一定期間の学習では担保できないというのである。
医師・薬剤師に関しては、学校卒業が前提な職業として社会的なシステムが国際的な共通概念として定められているため、当然その学習前提は定められ、またそれなりの社会生活をやっていたものが医師・薬剤師になるには30歳・40歳になっても社会での職業活動をあきらめ学校に行くということになる。これはある意味当然のことであるのだが、その間の生活費を捻出するのは相当幸運な人に限られ、そのなかで市井の人の認識とはかなりずれてしまうのである。
そのため、むしろ弁護士などになってくると、初期の学習機関の学習を学校以外のシステム(自己学習)でこなす人が増えているなど、専門教育という視点より、業務経験を生かすということに重視されている場合がどうしても多くなる。つまり専門家というものは本当は必要ないことが前提で、どうしても必要なことがおきたことに対し、「必要に迫られて」お付き合いするという意識があるというわけだろう。もともと一般的資質が担保されている社会を基本としている以上専門職というものに対する要求は高くても、その必要性はそこまで高くなりえないということではと思っている。
さらに、専門職になった人たちが政治を進め、その結果国益と称して突き進むことで、部分最適化を図るが全体最適化をできなくするという過去の政治に対する不信感が、市井の意見の代弁による「大衆政治家」をむしろ歓迎する側面がある。その昔はこれらの大衆政治家には腕力は必要という時期もあったぐらいである。それも、「政治のプロ」自体をそもそも懐疑的に見ている証左ともいえるのではないだろうか。
医師も薬剤師も第三者から見ると専門職ということで「私たちの知らないことや知る能力にないことをいいことに、独自の社会構築に動いている」という疑念を持つ人が、最近極めて多くなった。同じことは弁護士に対してはかねてから言われることで、「裁判になったら弁護士が必要だが、日々には付き合う人ではない」という人も多く聞く。いくら「いつ裁判に巻き込まれるかわからないよ」と助言してもである。
そもそも楽観的に他人の知己に関与する行為は個人レベルではもうあきらめ、嫌がっているのである。(民間人も対企業レベルではむしろ相互監視があるということからむしろ好む傾向にある)これでは「プロ」の政治家を忌避するのはむしろ当然である。(続く)

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