« 政治家に求めるものは何か(1/2) | トップページ | なーんだ、人材育成か »

政治家に求めるものは何か(2/2)

(承前)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38058
政治家にプロを選ぶドイツ人、タレントを選ぶ日本人
枯れ木も山の賑わいは百害あって一利なし  2013.06.26(水)   川口マーン 惠美:
-------------------------------再開
強力な政治大国になったドイツの政治家は「国益」を忘れない
 一方、ドイツである。サービスがなく、電車がいつも遅れているこの国で、注目に値するのは政治家だ。日本とドイツの戦後史は、両国が経済大国になったころまでは非常に似ているが、その後、大きな差がついた。
 今ではドイツは経済だけではなく、政治大国でもある。アメリカもロシアも中国も、そして、かつてあれだけドイツを苦しめたフランスもイギリスも、ドイツを無視して何かを決めることはすでにできない。
ブログランキング・にほんブログ村へ
 しかも、多くの発展途上国がドイツを頼っている。その一方、環境問題や人権問題でも、ドイツはそれなりのポーズと、地位を保つ。私の目には理想的な発展に見えるが、これは、ことごとく政治家の力である。世界の舞台からどんどんフェードアウトしていく日本とは比べ物にならない。

 ドイツの政治家は優秀だ。討論を聞いても立て板に水、しかも理路整然としていて、そのまま印刷してもいいほど、文章がしっかりしている。理念一筋で正義を貫く政治家もいれば、商売熱心なやわらかい政治家もいるが、どちらも国益などと声高に強調することなしに、しかし、国益を決して忘れてはいない。
 彼らが優秀な理由は簡単だ。たいていは各政党の青年部出身で、若いころから政治の第2軍と言える舞台で鍛えられ、伸し上がってくる。学歴も高い。政治に必要な知識はことごとく勉強しているし、スピーチや討論の仕方も十分に訓練されている。
 政治のプロになりたい者が努力した結果、なるべくしてなるというケースがとても多いのである。
 ドイツという国は、よく見ると立派なことばかりしているわけではない。しかし、イメージ作りはことのほか上手だ。例えば、原発が半分近くに減って以来(半分以上はまだ動いている)、火力発電を増やしており、二酸化炭素の放出は増えているが、クリーンな環境大国というイメージはすでにでき上がっている。
 日本では、ドイツの原発はすべて止まり、自然エネルギーで頑張っていると思い込んでいる人は多い。環境会議では大気汚染をなくすための旗振り役を務めているが、一方で、中国にとても熱心に車を売っている。
 第2次世界大戦の戦争犯罪に対しても、賠償はすべて拒否しているが、世界はそんなことはつゆ知らず、ドイツの誠実さはいつも尊敬の的だ。世界平和を説きつつ、アメリカ、ロシアに次ぐ世界第3の武器の輸出国であることも、あまり知られていない。
-------------------------------中断
政治のプロになりたい者が努力した結果、なるべくしてなるというケースは日本でも党人派という形であったり、また政治家の秘書であったりというパターンに近い。(ちなみに政治家秘書は本当に実力の有無が影響するともいえるし、だめなのはここで落っこちて行く)また青年団の運動から転じ政治家になったという人は竹下登・野中広務・浜田幸一・加藤六月・小里貞利というように、与党野党問わず事例もある。そして、若いころから鍛えられ、政治に必要な知識はことごとく勉強している。まあレベルはあろうがスピーチや討論の仕方も比較的うまいほうである。
しかし、ここで資質に求められるのが地域の直接的利益であることはほとんどなく、地域の意見調整の結果地域の利益になるという副次的な意味での利益が結果となっている。評価されるのは調整能力であって提案能力は其の次である。まして、討論を聞いても立て板に水、しかも理路整然というのはむしろ調整行動に対してはマイナスにしかならない(一時的には評価されるが・・・というのは某大阪市長の例が典型的)し、政治家に対する革新的意識を求める変化についていける層には評価されても、そのような体力も、資力も、知力も不足気味な人にはかなり空論かつ対抗勢力としか聞こえないのである。さらに討論のうまさ、演説のうまさを「おためごかし」と認識する多くの庶民にいたっては、むしろ信用されないものの代名詞にしかならないのである。
さらに「国益」というものを前提に社会を構築することは日本人の場合は、個人の窮乏と表裏一体という場面を想定するし、むしろ「国益のために世界を敵に回した(ナチス)ドイツは(・・・それ自体誤解も多いが・・・)、おなじ方向性をたどってないのか」という懸念をする日本人もいるようだ。その「国益」にいぶかしさを感じるのはナチスと同じ時期の国家主義化の経験というのがあると思う。
論理力がなければ文化人とみなされないというのは欧州は特に強いという。しかし、そのような人ばかりで構成されている社会ではないわけで一定の量、情緒的な思考を前提にする人もいると思う。それを環境問題で日本企業の支援を受け、ドイツに勉強に行ってきたある専門技術者さんの話を聞いてたときに感じたのである。
-----------------
日本の地震後、ドイツは原発を半分近くに減らし(つまり半分以上はまだ動いている)、火力発電を増やしており、二酸化炭素の放出は増えている。露天掘りの炭鉱の石炭は電力に使われているのだが、この炭鉱跡は大きなため池にするということになっているというのだ。しかし実は生活している人がそれを信じている節はないという。コスト面でも技術面無理くさいと思っているのである。このような意見が政治に反映されるかということになると、少なくとも政治家には「できないことはできない」という論拠で納められてしまうようである。このため、むしろあきらめで政治よりも別の方向性に個人の生きがいを目指すという形、ないしは地域を離れるという選択を取るという意見が意外と多いと認識していた。つまり、ドイツでも各政党の青年部出身という人たちには「国益」というロジックでこれらの意見が通らないのも、また「民主主義」であると、はじめからあきらめている場合もまた多いのである。
------------------
つまり、政治家に対するのみならず専門家に求める資質自体が頭から異なっており、またいいアナウンス・プレゼンよりも其の本質自体を磨くことが、いいことという独特の倫理観が成り立っている前提であろ。これでは、国際社会でのプレゼンスを政治のリーダーシップに帰結させることは、頭からなりたたないのであろう。
実際、オリンピックに対し圧倒的なプレゼンによって獲得したという昨今の事例に対しても、「プレゼンというものは必要かもしれないが戦略的なプレゼンは、他国に対する日本の売り込みという姿勢によって、国民の倫理観を損なう行為」と否定する意見さえあった。消極的にデータを提示したうえで、価値を認めてもらって結果日本が得たという形でない以上、利益や名声をよそから奪取しただけで、これこそが国民性を損なうという意味での「国益」に反するという意見まで聞こえる始末。
そうかんがえると、日本国民は鉄道・コンビニの例を持ち出すと、至近なところ、ローカライズな側面ではきわめて完璧なものを要求するが、過去の戦争以降対外的問題に対してはむしろすり合わせでの解決しか成り立たない事象が多くなっている気なする。コミニュティーの構成を比較的信頼し、リーダーというものを頭から信用しないところが強い。リーダーを信頼するのもまずコミニュティーとしての位置づけ前提で見ている。つまり「全体利益」というもの自体も構築することを否定する形に社会が成り立ってきたということは言えるように思う。たぶんドイツはローカライズな側面では完璧なものを要求としても日本ほどではなく、むしろ「国益」という意味での総合力向上に対し、各自の考えを抑えて目指すという力を求めているように思う。無論この環境がいやな人は外国に出て行くことも昨今のドイツは普通であるし、反対に来る人もいるのである。
------------------------------------再開
世界の好感度No.1国はドイツ、英BBC調査
 イギリスのBBC放送恒例の国別好感度の世論調査の結果によると、2013年の1位はドイツである。これら様々なよいイメージ作りは、まさに政治家の実力であると私は思っている。
 政治の下部組織でしっかり鍛えられた者が、競争に勝ち抜いて伸し上がってくるという意味では、民主主義を取っていない中国やロシアも同じだ。
 おそらく、これらの国々の政治家も、ものすごく優秀だろうと想像する。日本も、そういう政治家を選ばなければ、太刀打ちできないのは、自明の理だ。
 だから、今度の選挙では候補者をよく吟味して、本当に日本のために働いてくれる優秀な人を選びたい。知名度のあるタレントやスポーツ選手が候補者として目の前に投げられても、そんな餌に食いついてはいけない。
 変革を遂げつつあるかと思っていた自民党まで、また、そういう餌を投げているので、私はいささかがっかりしているが、これはつくづく有権者をバカにした行為だ。 2013年の今、有権者の意識が変わっていることを、餌を投げた政治家に示してやろうではないか。
-----------------------------------終了
政治の下部組織でしっかり鍛えられた者という定義自体で、鍛えられる方向性が全く異なると私は考えている。しかも知名度のあるタレントやスポーツ選手が候補者としてでていても、意外なことにたとえば何らかの業界団体の中で政治以外の場面の調整能力を果たしてる場合が多く、これは日本人としての議員の求められる能力にむしろ合致する事例のほうが多いわけである。たしかにおいおいという人材はおおいが、大概こういう人は連続的には政治家になれないし、またなっていかないというちがう場面のジャッジをされるようである。
さらに好感度等は、国の本質的な働きとしては傍証にはなっても重視するべきものとは、多くの場合思われていないと考える。世界の好感度No.1に日本はなろうとする意識はないのではと思う。
実は昨今、それなりに政治を勉強した知人が2名ほど議員に立候補した。どっちも役人OBで政治の勉強をしている人物である。もちろんタレントではない。そして政治家の秘書経験もあるし優秀であるが、このことが「民意を聞くことができない」とみなされて評価が低い、当選できないということになるのである。
たぶん「国益」をことさら重視することでプレゼンスを高めるのは日本では不可能である。むしろ足元を見れば日本が居たというような「位置」を訴求する方向にしか、プレゼンスが働く方向はなく、しかるべき方向にしか政治家も育たないのである。そしてほとんどの日本人は「本当に日本のために働いてくれる優秀な人」がこの調整役に徹する人という認識が、倫理通念ではもっともリーダーシップがある人材と認識しているのである。さらにスポーツ界で少なくとも人を集めて調整しながら、かつ欧米式のリーダーシップを発揮できうる人材として、アントニオ猪木氏を「議員としては」ふさわしいと視ている人もまた多いのであるのだろう。
欧州の政治家・そして中国の政治家は意外と技術畑や技術研究者であって、論理に基づいたリーダーシップを図る場合が多い。(メルケル氏は理学博士である)ところが日本ではあまり技術畑の人が政治家で活躍はしないようである(もっとも昨今の首相2名は技術系だが・・・)。これは論理性のある業務を政治が求めないという調整型の政治感覚が市民に定着しきっているのであろう。
参考;http://toyokeizai.net/articles/-/23411

|

« 政治家に求めるものは何か(1/2) | トップページ | なーんだ、人材育成か »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/100146/58383149

この記事へのトラックバック一覧です: 政治家に求めるものは何か(2/2) :

« 政治家に求めるものは何か(1/2) | トップページ | なーんだ、人材育成か »