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知性の上澄みはどこにある

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プーチン 元CIA職員スノーデン氏を「子豚」「ゴミ」呼ばわり 2013年8月17日(土)16時0分配信 NEWSポストセブン(SAPIO2013年9月号から)
 アメリカの個人情報収集活動の実態を暴露し、世界を震撼させた元CIA職員のエドワード・スノーデン氏。ロシアへの一時亡命が認められるまで、モスクワの空港に1か月以上の滞在を強いられた。現在の状況を正しく理解するにはプーチン露大統領をはじめ各国トップと諜報機関が共有する「インテリジェンスの掟」を知る必要がある。作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏が解説する。
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 ロシアのプーチン大統領は、「元インテリジェンス・オフィサーという言葉は存在しない」とよく口にする。インテリジェンス機関(情報機関(Intelligence agency)の意味)に勤務した経験のある者は、たとえその職務を離れても一生、国家のために尽くすべきであるという掟に縛られるというのがKGB(ソ連国家保安委員会)将校だったプーチンの職業倫理だ。

 米国の国家機密をマスメディアに暴露した、元CIA(米中央情報局)職員で、NSA(米国家安全保障局)の契約職員であったエドワード・スノーデンに対して、プーチンは極めて冷淡な態度を取っている。8月1日にロシアへの1年間の一時亡命が認められたものの、これはロシア国内におけるスノーデンの身の安全を保障する措置では決してない。プーチンがインテリジェンスの掟に従わないスノーデンを心の底から軽蔑し、嫌っているからだ。
 7月1日の記者会見でプーチンは、スノーデンについて、「ロシアに残りたいのなら条件がひとつある。われわれのパートナーの米国に損害を与えるような活動をやめなければならない」と述べた。
 プーチンは、スノーデンに受け入れ不能と思われた条件をあえて提示し、ロシアから離れることを促している。6月28日付のロシア有力日刊紙「トルード(労働)」電子版に掲載された記事が、プーチンの心象風景を見事に表現している。

〈米国指導部は、うろたえ、興奮して、中国人がいうところでのメンツを失ってしまっている。大洋越しに、何か呂律の回らない調子で、また脅迫調を押し隠す余裕もなく、エクアドルや中国やロシアに対し、もぐもぐ言っている。(中略)
 ウラジミール・プーチンの反応が、米国人の自尊心をとりわけ傷つけた。プーチンはすでにスノーデンとアサンジは「人権活動家だ」と明言した。スノーデンたちと戦っている連中は「全員、子豚の体毛を刈っているようなものだ。ブヒブヒたくさん鳴くが、刈り取れる毛は少ない」と述べた。
 こういう表現で、プーチンは人権侵害(こういうことに米国人は50年も懸念を表明している)や人権活動家に対する圧迫という口実でロシアを締め付けてきた米国に対して意趣返しをしているのだ。「アメリカ小屋から外にゴミが出てきたら、家主がすぐに常軌を逸してしまった……」〉

 プーチンは、スノーデンを「子豚」「ゴミ」と呼んでいる。CIAのスノーデン拘束作戦が、子豚の体毛刈りであると揶揄し、インテリジェンス機関からスノーデンのようなゴミが出てきただけで、なぜそんなにうろたえるんだと旧KGB将校の視座に立ってこの問題を見ている。
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intelligence を辞書で調べると
【名詞】1【不可算名詞】a  知能,理解力,思考力.  b  知性,聡明,すぐれた知恵. c  〔+to do〕[the intelligence] 〈…する〉機転,知恵,賢明にも〈…する〉こと[力].
     2【可算名詞】 知性的存在; 天使.
     3【不可算名詞】  a  (特に,重要な事柄の)報道,諜報.  b  諜報機関.

とある。
諜報行為と知性・聡明というのは日本人では繋がらならないと思う。産業スパイというのは、知能,理解力,思考力はあると思うが、これらをするものに対して知性,聡明,すぐれた知恵.があるという認識はむしろなかろう。知性がある人は概して倫理的だという概念があり、それを前提だとすると基本的に特殊な意図がない限り知性のあるものは行わないという感覚を持つのだろうと思う。ここではスノーデン氏の仕事と能力、倫理観に対しては一次資料がない以上述べないが、佐藤優氏は別の機会に「おこちゃまの正義」しかもちえない人間を諜報行為に用いるしか得なかったが、その分高い専門的IT能力という言い方もしている。
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ただし、この知性というものに関する見方を考えるに従い、日本の社会では『反社会行為』を行う段階で知性がないという認識を強くし、その反社会行為には倫理的に課題の多い諜報活動も含むわけだ。つまりこの段階で大衆に支持され、共益性をもつ技術・技能をもつということでは、自国を守る(と信じて行動する)ことが反社会的行為になることも十分あるといえる。
海外の製品と日本の設計手法の差異でも同じことが言えるのだが、日本の設計は細かなリソースをむちゃくちゃ積み上げ(その中には不要なものも結構あるにもかかわらず)かつそのリソースを加除していくことで、製品構成を積んでいく、積み上げ型の設計でなければ製品品質などを細かく構成することが、少なくともハード設計では必要であろう。ただこのような設計手法をとることは、変革を常に求める業態では成立ちにくい。
たとえば本邦の自動車メーカーではホンダでは海外のトップダウン式かつ作家主義的な設計手法を、製品設計においてはとっているが、この結果欧米での現地設計手法が楽であるし、現地対応が容易であるものの、継続性のある製品という日本人のハードユーザの多くのニーズに対してはすこし異なった側面がある。(ただしそれを補って余りある、複雑な設計ルーチンを組んでいるというのもあるのだが。)知性に関してもその構築方法がボトムアップで構成されているからこそ、多くの人がコンセンサスを図れるということである。

これとは異なった形で、特定の人に師事しいろんな人の教示を受ける機会を存分に受けるというのもある。これは欧米の教育でのたとえば「グランドツアー」などにその影響があるようだ。(幼い時には家庭教師で基礎教養を身につけ、実地知識を旅行の過程で仕上げる)しかし、この教育システムは欧州でもドイツなどでは否定される傾向にの見方もでき、日本はこのドイツ的システムを中等教育以下に取り入れていることもある。
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そう見ていくと、知識層という概念、政治に対しての指導層、政治家に対する市民・公衆が担うべき認識自体がおのおの異なっていて、その概念を共通化させない前提で、単に憲法を変えてどうこうということを言い出しても、基礎的な指導者に対する信頼度や、嘱託する姿勢が異なる。また、またボトムアップ的姿勢ながら体質改善的方向でとどまり革命という発想には行かない社会的な拘束条件があったということから、日本以外の国との意識差を公衆が認識する。残念ながらこれらのバックボーンが異なる文化に合っては意思疎通に限界があるということを、われわれは意識する必要があろう。

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