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法治国家になってない

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丸山弁護士、韓国“反日判決”に怒りの激白「法治国家になっていない」 2013.08.08  ZAKZAK
 日韓関係に絡み、韓国で常軌を逸した司法判断が相次いでいる。今月早々、近代法の原則である「事後法の禁止」を逸脱する憲法裁判所の判断が下されたほか、7月には1965年に消滅した個人賠償請求権を認める高裁判決が2件も出た。国際弁護士として活躍し、テレビ番組「行列のできる法律相談所」で人気を集めた自民党の丸山和也参院議員は「韓国は法治国家になっていない」と怒りの声を上げた。
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 サッカー東アジア・カップ男子の日韓戦(7月28日)で、韓国側がスポーツに政治を持ち込み、テロリストを称賛したことが問題視されているが、韓国では、平等・公正であるべき司法権もおかしくなっている。

 各国の司法に精通する丸山氏は「国際的に見て、韓国は法治国家とは言いづらい。政治的非難をそのまま法律にしている。法的体裁をとった『政治的反日報復行為』というしかない。あり得ないですよ。先進国から『文化レベルの低い国だ』と思われても仕方ない」という。
 丸山氏がまず指摘したのは、4日に韓国憲法裁判所が下した判断だ。
 日本による統治支配時代に爵位を得た「親日派」の財産を没収し、国有化する法律を合憲としたのだ。当時は何ら違法ではなかった行為を、後に作った法律で断罪する“禁じ手”を司法が認めてしまったといえる。
 「日本の韓国統治は西欧諸国の収奪型支配と異なり、韓国の資本家や有力者と一緒になって道路、電力、学校などのインフラを整備した。財産を没収される『親日派』は朝鮮の近代化に貢献した人たちだ」(丸山氏)
 韓国司法の異常さはこれだけにとどまらない。
 7月10日と30日には、日本統治時代に戦時徴用された韓国人に未払い賃金などの個人補償を命じる高裁判決があった。賠償問題は1965年の日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決した」とされており、韓国政府も元徴用工の対日請求権を認めてこなかったが、12年5月に憲法裁判所が認める判決を下し、今回の高裁判決につながった。
 丸山氏は「請求権協定で解決したのに、裁判所が請求を認めるのは国際的な合意に韓国国内法を優先させるもので話にならない。韓国の司法が政治の道具になっている証拠だ」と指弾する。
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まあ、確かに前提として「司法権が平等・公正であるべき」というのはあるのだが、何に対して平等・公正なのかという前提を考えると、すでに国民の中で国際的な平等・公正という概念と違うものが前提となっている可能性があろうと考える。個々人の概念というよりも「社会的な立場として・・・」という議論が裁判を支配するのは、法治国家としては問題といえよう。
ただ、(この場合は憲法裁判所の事例であるのだが)2008年からは下級審では、重大犯罪のうち被告人が希望した事件では、陪審制に参審制を組み合わせた国民参与裁判制度を実施している。陪審員のみで評議を行い、原則として全員一致で評決を行うが、意見が分かれた場合は裁判官と協議の上、多数決で評決を行う点、裁判官は陪審の評決と異なる判決を言い渡すことができる。日本では陪審制(英米法で用いられることが多く、諸国市民からの陪審員が、刑事訴訟や民事訴訟の審理に参加し、裁判官の加わらない評議によって事実認定と法の適用を行う)は戦前に一時活用されたが、現在では参審制(欧州法で用いられることが多く、刑事訴訟にて、一般市民から選出された参審員と職業裁判官が共同で評議を行い、事実認定及び量刑判断を行う制度)に近いシステムといえるようである。
これは当然、市民の通念・概念に対しおもねる形になることを認めるわけである。もちろん過去日本でも一般市民感情と法的決定が乖離することにより、一応全うという裁判でも市民の信頼・順法概念を損なうということも多かったことが、裁判員制度の導入につながったといえるが、このことが法的に民意という感情論に配慮することで、政治などによる影響を得やすいという結果を指摘するものもある。
つまり、この場合は、「法的体裁をとった報復行為」という丸山氏の見方は尊重するべきと考えるが、一方民意が強固で法的体制を政府に迫る行為を行うのが、憲法裁判所に迫られた業務にされてしまったというのもあるだろう。
丸山氏の「国際的な合意に韓国国内法を優先させるもの」という指摘は裁判所があくまで実務的執行を、政府に訴えることでしかない現実では、今のところそういう前提でものが動いているという話でしかなく、韓国の司法が政治の道具になっているとは思えない。韓国の司法が国民感情の現実的反映(つまり現実的な補償金取得)のための道具にされてしまったという印象を持つ。結果、社会に発言力を持たせるための政府機関という前提では、意見の行使能力を(順法意識ということ以外で)訴求すると、こういう発言を、政府の行使能力を別として出さなければならないという見方を、私はするのである。
では日本ではこのような民意により、裁判の内容を異ならせた事例があるのかというと、実は戦後の一部の裁判では特に人権と私刑(自衛)とのあいだによる問題などいくつかの課題があったようである。だから、決して他国の問題が日本でないといいまくるのは不当だが、現実に見られる発言にはおおむねこの面での指摘は少ないという憂いはある。
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 実は、丸山氏は国際弁護士時代、韓国との事件で苦い経験をしている。
約15年前、丸山氏は韓国企業を相手取った国際仲裁事件の日本企業代理人となり、数千万円の債権を勝ち取った。韓国の裁判所でも判決の効力が承認されたが、なかなか判決の執行ができない。裁判所が債権回収に動こうとしなかったのだ。四方八方に手を尽くしたものの、債権回収ができなかった丸山氏に対し、検事OBの韓国人弁護士はこう教え諭したという。
 「韓国では日本への恨みがあって、日本人のために韓国人の財産を没収するなんてことはやりたくない。そういうレベルなんだよ」
 もはや法治国家のレベルを超えて、韓国は「善悪の判断」すらできないのではないか。
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よく似た行動は、私も経験している。まあそのときは賠償責任は当方側にあったのだが、討議の席でいったん応分の負担を決めたのに、慰安婦問題を相手側の幹部が出し、全額以上の賠償金を支払うということになったものである。私自身はこれ自体は海外の業務としてはまあ適切な裁判などを行うことがこのときの情勢で不可能だったことによることであろうと認識しているが、この際の交渉がかなり屈辱的であったのだろうが、会社(というかその上の経営的見地からみた主要株主の意向)により、追認することになった主要な担当者たちが帰国後辞表をたたきつけたという経緯もあり、今でもいい記憶がない。
一方その中では、日本の立場を理解する韓国人もいたのだが、概してこの人たちは(日本とは限らず)海外の教育、特にアメリカの学校に行ったり、そうでない場合は日本を含め海外の業務経験があったり、親族に在日韓国人がいたりという人が多かった気もする。(とはいえ、昨今は日本で仕事をする韓国人に、平気で日本人を見下げた言動をして商売している人間、またそれに従わなければならないような状況下の人間もいる。先日そういうことに遭遇しのだが。)
とはいえ、裁判所が債権回収に動こうとしないというのは、別に裁判所の職員の意思がどうなっているかは別である。債権回収を実行すると騒乱が起きるという可能性もあるし、実際騒乱に関しては日本が国際的にも極めて少ないともいえるため、日本人的視点ではこの意見は分かりかねる。 「そういうレベルなんだよ」というのは国民がなのか裁判官がなのか、この文章では???であるのでこれをもって法治国家どうこうという判断はできないと思うが、善意という概念をベースに行動しても善意の定義自体も異なっている可能性がある。
つまり、韓国と業務を行う必要性があるのは、まあ現実には必要であろうが
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 安倍晋三首相は、民主主義や「法の支配」を共有する国との連携を強化する価値観外交を進めるが、丸山氏は「司法と政治の区別すら確立できていないようでは、価値観外交のパートナーとして、韓国は合格点に達していない」という。
 それでも韓国は、日本にとって輸出相手国第3位で、北朝鮮をめぐる安全保障上の利害も共有している。
 一方、安倍首相は就任以来、朴槿恵(パク・クネ)大統領と会談を行っておらず、閣僚による靖国参拝に韓国政府は批判を強めている。
 丸山氏は「韓国の歴史認識を是正するために毅然として対応し、経済や安全保障の協力関係は実務重視で淡々と進めるべきだ」と指摘し、安倍首相に「毅然とした平和主義」を貫くよう求める。
 「日韓首脳会談はそれなりのメドが立たないとやっても意味がない。焦る必要はない。靖国参拝はあくまで国内問題であり、他国から内政干渉を受けるべきものではない。安倍首相は少し遠慮しているかもしれないが、どうせ参拝するというなら365日、靖国神社を参拝すればいい」
 朴大統領は、首席秘書官に知日派を起用するなど、雪解けに向けた期待も日本政府内にはあるが、今月15日の終戦記念日(韓国では「光復節」)には反日機運が盛り上がるのが確実。安倍首相には腰を据えた対韓姿勢が求められそうだ。
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実のところ、『民主主義や「法の支配」を共有する国との連携を強化する価値観外交』というのは文言としてはもっともらしいが、価値観の議論をしても収斂するような一意性を乱せないといういことは、別にどこの国でもあろうし、果たして国内とて利害を共通化する前提がなければ同じことになる。少なくとも価値観外交というのは意味合いとしては選別の意味合いとしてもまったく意味のない内容だという認識を私は持っている。毅然とした対応というのは、時として相手に謝った戦闘意識をもたせるのであろうし、その意味では「毅然とした平和主義」というのが語彙にかなり自己矛盾があるきもするのだが。

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