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なんかふれてる

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昔昔亭桃太郎、“フラ”がある高座! 最初から最後までグイグイ  ★落語は異端児が面白い(3)  2012.11.01 夕刊フジ
 落語界には“フラ”という言葉がある。 理屈では計算できないおかしさを身にまとっている芸人のことを、芸人仲間が羨望の眼差しでもって「フラがある」とたたえる。 けいこによって噺はうまくなるが、フラだけはどうにもならない。持ってうまれた先天的なものだからである。
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 昔昔亭桃太郎には、それがたっぷりとある。現在67(歳)だが、「もっと早くおじいちゃんになってほしい落語家の筆頭」だ。 満面に笑みを浮かべることもなく、その日の客席の様子を探りながら噺を進めるようなサービス精神も、高座からは一切感じられない。最初からぐいぐい。最後までぐいぐい。聴く側が引きずりまわされ、ペースにはめられ、やがて訪れるニンマリとした後味。装飾のないむき身の言葉のつぶやきと、ぼやきが、桃太郎の真骨頂だ。

 ロンドン五輪開催中の高座では、早速五輪ネタを取り入れる。ビーチ・ボーイズのコンサートに行けば、それをネタにする。 「ポール・マッカートニーはいいですよ、歌が歌えて。落語家がオリンピックに引っ張り出されても、何もできないから困る」というようなことを、本気とも冗談ともつかない口調でしゃべる。 「私のことをハンサムだと思う人?」と客席に拍手を求めることもある。「私なんか、これだけの二枚目ですからね」という口調が、これまたとぼけていて、客席を戸惑わせる。 自宅でけがをして、救急車を呼んだときの様子さえも「料金はかかるんですか」「看護師に、こんなにきれいな顔を縫うことになって大変ですね、と心配された」と真顔でおしゃべりする。 客席に広がる、くすくすくす…という笑い。
 持ちネタは新作、古典入り乱れ「裕次郎物語」「金満家族」「寝床」「不動坊」など。師匠の故春風亭柳昇が晩年得意にしていた「カラオケ病院」も継承している。 代表作のひとつ「結婚相談所」では、女房のことをぼやき、家族写真付きで送られてくる年賀状をバッサリ切り捨て、「うちの女房には弱っちゃう、面食いで」というようなナンセンスギャグを連発する。 古典落語「代書屋」に匹敵するような筋だが、桃太郎はひとせりふひとせりふにギャグをまぶす。若い芸人が狙うような一発の大爆笑ではなく、連続したギャグ。笑いをつなげる。そのおかしさを、桃太郎の持つフラが増幅する。
 どこからどう見ても本寸法の落語家ではないが、爆笑の系譜に欠かせない一人として年々存在感を増している。
 桃太郎のおかしさを味わうには、実演に限る。 (落語コラムニスト・渡邉寧久)
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というのだが、昔昔亭桃太郎は、実はかなり計算して話をしている様子が見える。というのは1・2回定席で見ているのだが、結構話の持っていきかたを探るような話を振ることもある。笑いの収まりを待っているというところで、収まりかけてきた笑いの渦を見計らって、またすこしぽつっと笑いになるネタを放り込まれる。それはやや上級者にとっては一般的な技量であるが、そこに「なんかセンスが違うなあ」というボケをボケと感じていない様で提供するのだから、ますます、こいつは何だという感じになるのである。確かに名人という話し方でないが、楽しい席を共有させるというより大衆芸能的な人物である。

世の中には、当代 瀧川鯉昇のように、「まくら」を振るまでもなく高座に上がり座布団に座ってお辞儀をして頭を上げた後、数秒間自分の顔を見せびらかすかのごとく客席を見渡すだけでつかみになる、「おいしい」人、正統派の「フラ」のある落語家もいるのだが(そういえばこの2人とも「わたくしは、春風亭柳昇と申しまして、大きなことを言うようですが、今や春風亭柳昇と言えば、我が国では、わたし一人でございます…」という、とぼけた味のつかみで知られた5代目春風亭柳昇の門下である)まあ、そこまで行かなくても、この人なんか変だな・・・という印象を与える場合、不条理な話(頭山・さくらんぼ)とてスムーズになるという見方がある。
まあ、持って生まれたおかしみや愛嬌があることをいう言葉で元来は落語用語であるという。どこともいえないおかしさは、天分のようなもので、稽古で得られるものではない。フラがあるから名人というわけでもない。しかしその芸人の素質としては褒め言葉になるものだろう。もっともこれをカタカナで表記するというのは「フラワー」・・・花(華)という意味でその芸人を評価できる一つにツールになると思う。
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たとえば、植木等は、後年の芸風から見ると不思議に思われるらしいが真面目な性格で、代表作「無責任男シリーズ」の演技を「無理矢理作ったキャラクター」という知人もいたようである。「スーダラ節」の楽譜をみて自分の人生が変わってしまうのではと悩んだという話もある。(ただ宗教家で社会運動家でもあった父親に相談すると、これは親鸞聖人の教えに通じていると諭されたらしい。)しかし、そもそもの独特の高笑いは「植木本来のモノ」で、座談もなんかおかしさがあったという。生真面目な性格ながらも独特のフラがあったという。

先日、「徳井と後藤と麗しのSHELLYが今夜くらべてみました」を見ていたら 川栄李奈、高橋真麻、北斗晶の3人がでていた。まあ、3人三様であるからこれはいいとして、最近フリーになった高橋真麻がこれまた、生真面目な性格ながらも独特のフラがあると感じてしまった。
アナウンス技術は確かに優れているといわれ、報道がメインだったのだが、まあお父さんの存在もあるということからどうしても色物の評価が出てしまう。
宝塚歌劇団の大ファンで、アナウンス学校とともにボイストレーニングにも通っていた。そのためたしかに社内でも歌唱力を誇る存在だったようである。しかし番組のカラオケ企画などで歌を歌うということは子とこの放送局ではあり、そこで歌唱力を称賛される方向性がちょっと異なり、歌の世界観への入り込み方、本番への気合の入り方(自費で服を買うなど)から称賛されてもその後に(笑)ということになってしまうのであろう。たしかにまじめにやっているのに(笑)と書かれるところもある。意外とアナウンスの方向性(たとえばナレーションなど)よりも、基礎的の憂いハウを持ちながらむちゃくちゃなことをしているというのが、実はそれなりの存在価値を保つキーなのかなあと思ったのである。

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