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道義にのっとった恫喝(2/2)

(承前)
ここまでの議論でわかるように橋下氏の提案は実現性があるとは言わないが、こっちもすこし譲歩するからあんたのところも譲歩することができるような自己犠牲をしてくれというロジックである。しかし、海外の交渉ごとをやって思うのは、このような譲歩や中庸・取引を行う交渉は、当事者が前もって裁量をもらっているような場合(たとえば知的所有権など)以外はまず想定することはむずかしくいようである。そのような課題が挙がった場合は、席を立つことを覚悟しなければならない。つまりこれらの会議にたいして譲歩などという行為がない以上、このような場合相手の情報を期待し、態度を変えることを迫るのはすでに恫喝と同等の行為であるとみなされるようだ。
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欧米の交渉においては、私は交換条件的な行動は、よっぽど下打ち合わせをする結果、交換条件的な妥協が得られることはあれども、基本的には1かゼロかになるという傾向があると考える。
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このような問題を避け、意見の対立を解決する手段として、合議というやりかたがあるのだがこれまたはどこか危うい。最終的に歩み寄る余地のない対立に至った段階になるまでに合意ができてれば問題なさそうだが・・・ってそれはもともとの定義から事実認識から、事実認識をする前提条件から合意ができていればさほど問題ないわけであるが、そもそもそういう状態では最初から対立軸に乗らない。インターネットがどうしてもかかわる現代ではどこもかしこも会議室であり、議事録以前に発言内容が無加工に記録・公開される。対立したお互いが各自の立場・視点に基づいた「正論しか言えない」場所は、合意をさらに難しくする。そういう意味ではNPO NGOのように利潤・利益・姿勢誇示・名誉という動機が不純でも得られるものが明確なものならまだ交渉余地があるが、何かの正義や大義由来では、合意に到達するのが難しい。こういう場合誰もが何か正義を持ち、意見が対立したときに譲歩する余地を持たない。そしてここに結果としてのお金がすこし関与していればもう解決は困難である。このような慰安婦問題にかんしても事実にさかのぼることが難しい以前に、各自の正義の定義内容がそもそも重なっていないのである。しかも相手の正義が間違っている証明は、その正義に基づいた判断が失敗するという「成果」であるから、ネガティブキャンペーンが正当化されるという論旨さえ出てくる。

もっとも「お金で解決できる」問題でも、この行為過程が誰かの正義に反しているのなら、議論はやはりスタッグする。そこから動けなくなる。内部闘争で正義の競合・衝突が発生すると、少数の側に回った正義が、多数の正義にとって最悪の敵に変貌する。まさに新左翼の内ゲバである。
そうなると、独断的でなく合議で事項を決定するとなれば『すべてに公平な非公平性』を持ち込むというのもあるのだろう。それこそ天の声とか神託とか(宇佐八幡宮神託事件というのもありましたな)、太占(ふとまに)とかしかなくなるわけだ。おのおの倫理を背負っているから意見の相違が明晰化する徹底的な議論の結果の多数決による意思決定は、市民団体とかNGOとかならば、組織の自壊となるトリガーがいっぱいある。負けた側は運が悪かっただけとしておけばあるいみ動機付けになり、組織でしか仕事ができない事業においては組織の安定性を増す。
逆に言うと、実務遂行上のストーリーが論理性を求めない感情労働の特性があり、事象の個々対応でしかなりたたない側面がある業務(サービス業の一部)とかは、『すべてに公平な非公平性』をもう会得している脳みそまで筋肉というタイプとか、軽薄に見えあまり深く考えない人を求めるという企業がときにあるのはこのような理由もあるのだろう。まあ、そうでなければ、お金や資産・社会的評価(役職・資格)など、具体性があるものを目的に掲げるということで、にんじんをぶら下げるということで、組織を維持するというのも必要悪である。NPO・NGOのように社会に対し「正論」を普及させるというように目標が抽象的成果によるものだと、「頑張る」ことが目的になってしまう。これでは目標が変質する形になった場合、正義の意味が異なったのだから組織を「殲滅解体一掃」することに注進することのほうが、頑張る人の目的に変質する。
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そう考えると、正義をおのおの持ち寄る結果が、ウィーン会議を揶揄した「会議は踊る、されど進まず」(会議の合間に懇親のための舞踏会が連日開かれたことにかけている)のようなことになるものであろう。このときに会議がまとまったのはナポレオンが幽閉から脱獄したということで安定する前提が崩れ、理不尽な事になりそうだったからである。
特に緊急時において、議論をしてもかえって対策が遅延するということはあるようだ。少なくとも会議において短期・中期・後期と施策を積む場合短期策については合理的思考は必要であるが合議を行うことは実質上難しいようである。たとえばトリアージを必要とする場合に、議論を徹底したり事例から説得行動を試みるのは問題を悪化させることが多いようである。まあ、どっちにせよ団体が断裂するのなら、その後の憂いを残さないような状況にとりあえずするというのが全体最適化の行動ではあるのだが。さらに、大概の場合、このような場合に論破合戦する場合、よく見てみると、本質とは関係ない行動が思わず推進能力になっていることもある。(まさに戦時行動でアメリカについていくという行動をした国には、単純に国がでかいからというような功利主義を考える以前に、まったく関係ない政治家の知り合いがアメリカにいるからとか言う理由で決めてしまう国もあるのである)そして、後から見るとまさに前述の橋下氏のように批判されるべき内容のほうが多かったりする。そう考えると、少なくともここまで社会の議論が勝手に固定化され収斂されている場合、丁寧に事後説明すれども(この後日の説明は、誠意的ということと言い訳に終始したという判断が分かれているようである)他国が理解できるのは、伝える姿勢だけである。
そうかんがえると、私は橋下氏の政治にかかわるすべての論理構成はおおよそ理性判断として忌避され、むしろ排除するべきものと思っているが、取り繕うとしてもQ&Aに2時間を丁寧に費やしたという行動だけは、一部の海外メディアいわく国内向けというものでは不必要である行動であり、少なくとも誠実な行動という行動としては評価するしかないと思っている。
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もっとも、「下らない理不尽を共有する」社会ができてしまいその中で、独断で突っ走るリーダーに、まわりのメンバーは従わされるのではなく、屈服するのではなく、いやいやついていく行動は、その社会なり団体の新陳代謝を損なうのも事実である。大航海時代、帆船で近代的チーム運営を行ったら、早期に船員が全滅したという話は聞くのであるが、そもそも帆船で近代的チーム運営を行う知識を持っている人材がいたかといういとこれは別だ。むしろこれは近代的チーム運営を行ったとしても阻害されない、アクシデントそのものに遭遇しなかったと考えるのが自然である。逃げ場のない場所で生じた決定的な意志の対立が偶然なかったのであろう。
むしろ、いやいやついていく行動をずっとやっていた社会や団体は、少しずつすこしずつ衰退し、独断で突っ走るリーダーに徹底的な議論を尽くし相互に正当な評価を得ない社会や団体は、簡単に壊滅する。(分社とか一斉退社とか) どっちにせよ単に意見の集合を行うだけならどの道団体は衰退するだけであり、時々は独断といえる構成に縛りなおすということにしないと今の社会は成り立たないのかもしれない。企業の継続性を保つためにその資質に合った人材を選択し採用するという行動は職務としては存在意義が高いが、その行為の中に自己矛盾をがあってそれを前提としてあえて捨てさるという行動もまた有意ということはわかっているであろうか。
政策遂行、特に震災復興などはスピードが求められても住民の相違は激しく合意がなかなか得られない上に、いずれの立場にも説得力がある。現実社会では人は意見を開陳することによって、自分の意見を客観視する行為もある。何でも多数決で決定するのが最良の選択ではないとするならボトムアップ的意識は崩壊する。
むしろ、衰退をする選択を受け入れる社会も民主主義と資本主義との齟齬としてある。民主主義の選択の中にはこういう側面も多くあるということのほうが社会資本の育成よりも必要という視点もあろう。
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社会活動を維持するために、誠意の皮をかぶりその実恫喝を行うという行動は、そもそも共通規範をもたない国際社会では一つの手であるが、それは倫理というものや規範というものという視点からはおおよそ理解することができない。卑怯なやつというのはちびまる子ちゃんの藤木君を思い出すが、彼は新規な世界にトライ出来ない臆病だからであるという。つまりこれも誠意の皮をかぶったその実恫喝行動ができないのと通じるのである。
道義にのっとった恫喝という文章は自己矛盾のようであるが、実際は恫喝は道義にのっとった「顔をして」何時もやってくるのである。

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