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ヘイトスピーチ(1/2)

人種、民族、国籍、宗教・思想、性別、性的指向、障害、職業、社会的地位・経済レベル、外見などといった欠点を取り上げ、これをある人種や民族の固有の特質であると定義し、その存在をおとしめ、憎悪、暴力をかき立てるような主張をすることをヘイトスピーチという。まだ確定した概念ではない。
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基本的には“自ら能動的に変えることの出来ない”特質に対する言動である。能動的に変更することのできる言動を対象としている場合でも、その否定的な側面が固有の欠陥から生じるという側面がある。つまり、これらのスピーチを対象とされる人が素直に受け入れるならば、そもそもその人間自体の存在を否定するしかないことになる。

大量な圧迫性のあるスピーチがショックとなり冷静な判断が出来なくなることで、発言者にとっては意図通りの結果を得てしまうことがある。
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在日コリアン街で旭日旗掲げ街宣    2013年3月31日(日)18時23分配信 共同通信
 在日コリアンが多く住む大阪市のJR鶴橋駅近くで31日、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)のメンバーら約40人が街宣活動をした。通りを挟んだ向かい側では、地域住民ら200人以上が抗議活動を展開。警察官も200人近くが警備に当たり、物々しい雰囲気に包まれた。午後1時すぎ。旭日旗と日の丸を掲げた在特会側が「国に帰れ」「駆除するぞ」などと、罵詈雑言を浴びせかけた。
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ヘイトスピーチは匿名化されてインターネットなどの世界で発信されることがあり、これは皆がそのように思っているのではという錯覚を生じさせることもある。この意味から見るといわゆる「洗脳」というものに近い側面があると考える。
一方ヘイトスピーチを確信的に行う人・信念として行う場合には、完全実名の場合もあるし匿名でない形で行う人(顔出しをするがペンネームだとか個人確定がしにくい)もある。その意図のためにある程度意図する目的に沿った意見・出来事・特徴の提示は正当性を持つ発言をしながら、その目的に沿わないものは、「洗脳されている」「買収されている」「捏造している」などいいがちな人が多い。このように政治的主張として行っている場合もある。
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一般的には、「ヘイトスピーチ」とは、「人種、宗教、ジェンダーなどの要素に起因する憎悪や嫌悪の表現」を指すとされる。ヘイトスピーチは差別の一形態ともいえるが、言論の自由・思想の自由とのを侵害するものではないかとして論争が起こった。他方、政治・行政・司法か運用を誤ると、思想統制・言論統制として機能する。そして日本でも戦時中には明らかに官主導によるヘイトスピーチの定義に該当する内容があった。このようなことから、米国では、言論の内容が差別的であるという理由から言論を規制する法律は違憲とされている。日本では現行憲法がアメリカと同様に憲法において言論の自由を強く保障する立場であるため、ヘイトスピーチ自体を特別に取り締まる法律はないものの、個々の「行政指導」や付帯する「示威運動」の制御で達成しているのが実情である。
ここは米国でもにていて、「政府は言論の内容を取り締まることはできないが、中傷や名誉毀損、暴動の煽動など言論が引き起こす弊害については規制できる」と解釈しているが、その分言論の内容に対する市民からの批判も容赦なくあるし、発言のガイドライン(コード)も存在する。(むしろアメリカではヘイトスピーチ規制が違憲とされた経緯もある)日本もこのパターンの考え方になるが、この法規体制は世界ではむしろ少数派である。
国境が明確化し常に民族による紛争・国境紛争が、社会の構成に影響をしていた欧州では、むしろ「ヘイトスピーチ」自体が社会不安と隣り合わせになる。(同じ事はアフリカでも多い。ルワンダ紛争・ルワンダ虐殺など特に後者は報道機関がヘイトスピーチを繰り返して、なかば人為的に庶民をあおった側面もあるといわれる。)
ドイツでは、意見の自由は保障されるが、治安を妨害するような言論の濫用の規制や、民族集団に対する憎悪を煽動するような行為を刑法で特に禁止している。後者はナチスの一連の行動(例:ホロコースト)からの反省によるものであるため、仕方がないとも言えるがドイツ特有の法的感覚(自国の方針に抵抗がある個人は、むしろ国外への移住を勧めるような方針もある)が、影響しているため、あんまり汎用性はない。表現の自由が法律等により制約されている例として大日本帝國憲法、中国・イラン・北朝鮮の現行憲法・自民党改憲案が昨今は話題になる。しかし、統制を取るための表現の自由の法律等による制約のほかに、「思想の自由を守るという理由の上での表現の自由の制約」なるなんかレトリック・矛盾満載なものが、欧州では普通になっている。というか、明治憲法のような制限的自由に近いモードになっている事例のほうがむしろ普通であり、欧州人権宣言や国際人権規約にも普通に明記されてるのである。これは表現の自由が正負の二面性をもっているということにもなる。道義的という側面も否定されないが 、イギリス・カナダ・オーストラリアのビクトリア州など法制化された地域も多い。
ドイツでは、意見の自由は保障されるが、治安を妨害するような言論の濫用の規制や、民族集団に対する憎悪を煽動するような行為を刑法で特に禁止している。後者はナチスの一連の行動(例:ホロコースト)からの反省によるものであるため、経緯上仕方がないとも言える。ただドイツ特有の法的感覚(自国の方針に抵抗がある個人は、むしろ国外への移住を勧めるような方針もある。多様な意見の出現は否定しないが、其の実施後の責任を求める)も影響しているため、あんまり汎用性はない。イギリス・カナダ・オーストラリアのビクトリア州など法制化された地域も多い。
表現の自由が法律等により制約されている例として大日本帝國憲法、中国・イラン・北朝鮮の現行憲法・自民党改憲案が昨今は話題になる。しかし、統制を取るための表現の自由の法律等による制約のほかに、「思想の自由を守るという理由の上での表現の自由の制約」なるなんかレトリック・矛盾満載なものが、欧州では普通になっている
明治憲法第2章の「言論の自由」が制限下(法律の留保のもとで)結社の自由や信書の秘密など、臣民の権利が法律の留保のもと「恩恵的権利」で保障されていること自体は、後の基本的人権の制約を永久不可侵の「基本的人権」とし、其の上で「公共の福祉」に求める日本国憲法と比べると制限的である。しかし、このドイツの場合は「恩恵的権利」で保障されていることはないにせよ、「法律の留保」「安寧秩序」によって制限するという視点はどっちかというと明治憲法に近いようである。
また、欧州人権宣言や国際人権規約にも「思想の自由を守るという理由の上での表現の自由の制約」は普通に明記されてるのである。これは表現の自由が正負の二面性をもっているということにもなる。
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ヘイトスピーチの非合法化自体は表現の自由との関係で日本では難しい議論があり得るし、これを法で禁圧する難しさもある。その意味では「ヘイトスピーチ」自体が倫理的にも社会通念的にも問題であるという意見を知識層の意見として見るが、それをどうするかという議論にはなっていかない。
今後社会が不安定化すれば、ナショナリズムが高揚するというのは歴史を見ると、概しておおむねあたっているようであるし、どうも日本だけではないようである。貧困層が増え失業者が増える。就職率も落ちるし、ニートやひきこもりも増える上に、ニートやひきこもりを支える社会も成り立たなくなる。それが、ヘイトスピーチの増加につながっているという言説もあるようだ。
 日本ではここ最近、全国各所でいろんな要素を含んだ形で「嫌韓デモ」が行われている。一部のデモでは、あまりに激しい罵詈雑言の書かれたプラカードが掲げられることもある。これなんぞは1946年の食糧メーデー(飯米獲得人民大会)の有名なプラカード「詔書 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」が不敬罪(不敬罪が有効なのかが問われた)などの特定個人の責任に問われた事件と考えると、質的レベルがあまりにもことなる。
2月9日に東京・新大久保で行われたデモでは日の丸や旭日旗を掲げ、「朝鮮人をガス室に送れ」というシュプレヒコールや「朝鮮人 首吊レ 毒飲メ 飛ビ降リロ」と書かれたプラカードを掲げる人が出た。知人がこのデモにたまたま遭遇しあきれたという経緯もある。「ガス室」がナチスの民族絶滅政策のひとつであったことは知られており、この言動はそれを出自にしている。聞くところ、2月24日に行われた大阪・鶴橋のデモは「鶴橋大虐殺をするぞ」といったコールも出たとか、枚挙するのも恥ずかしいものもある。(もちろん、この動きに反対する集会が3月になって行われたようである。)
日本の場合、過去の政治的発言の抹殺事例というのが今の国民感情の構築に影響を持っている。このため、副次的内容の中で良否を評価するしかない。したがって政策的制御は次元の異なる問題を誘発しかねず、人権の面からの議論のアプローチしか手段がないとも言える。意外なことには旧来の極右勢力にも、これを日本的寛容の精神と相容れないとも考える人がいるようだ。
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基本、私は韓国や北朝鮮との間の国際問題を交渉によって解決していくという姿勢で、私は国際社会の人間として「国是として」堅持する姿勢を持つべきと思っていて、在日韓国・朝鮮人などを差別し侮蔑する行為とは本質的に別であるとおもっている。そのような人の論理としては、
「数々の特権を持った在日韓国・朝鮮人によって、日本人が逆差別され、むしろ虐げられている」
「在日韓国・朝鮮人の多くは反日の思想を持っているにもかかわらず、日本に居座り続けている。」
「少数民族の在日韓国・朝鮮人が日本の政財界やメディアを牛耳る。」
といったものがある。しかし、これらは。合理性のある論理で導かれているのだろうか。数々の特権を持った在日韓国・朝鮮人というのは、戦時中に移動した人間に対しての議論であろうが、しかし、鶴橋でによって、日本人が逆差別を語るとなってもすでに日本人の産業として業務を行っているわけである。納税をしている。植民地ということから考えると特権は確かに歴史的に与えないわけにはいかなかった(印度に対してのイギリス国内の特権などもそう)なのだが、例えば民族系金融企業の成立と破綻を考えると必ずしも特に優遇されているという判断にはならない気がする。
さらに、これが最近定着した地域(まあ、多少は新大久保は其の傾向があるのだが)であれば、ある意味上記のようなすでに定住し生計の基盤がある地域においては、必ずしも反日思想を持っているひとが多いとはいえないはずなのにという側面がある。
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それはそうなのだが、韓国とに業務に関わることもわたしも多くあり、このような関係はお互いに無駄な対立をしている非生産的な行為という気もする。愛国的な人間なあんまり知識層でない人たちに中国韓国を異様に嫌う人間が多いという話が言われている。だが、このような得失をよく知っているはずの知識層に対し、韓国を異様に嫌う人間が非常に目立ってきているのは感じる。(続く)

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