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話し合えばなんでもなるのかなあ

http://blogos.com/article/62213/
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液晶テレビの二の舞を演じていないか?次世代スパコン開発 大西宏  2013年05月13日 13:03  (BLOGOS)
スーパーコンピュータ「京」の100倍高い性能を持つ次世代スパコン開発で、再び世界最速を2020年に実現する計画を文部科学省の有識者会議がまとめたそうです。(中略)「京」といえば、事業仕分けで蓮舫さんが「2位じゃだめなんでしょうか?」というツッコミをやったことが波紋を呼び、こぞってバッシングが起こったことが思い出されます。その後、国産スーパーコンピュータ「京」は2011年に二期連続で世界最速を実現したものの、今や演算速度はクレイ社やIBMに抜かれ、第3位となったことはご存じの通りだと思います。世界最速は実現できたものの一年で記録は抜かれてしまっています。
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さて、あの当時、蓮舫さんへの批判が渦巻いていたのですが、ちょっと待てよと感じたものです。情けないと思いました。特に国威発揚を是とする一部のマスコミや政治家の人たちの批判は聞くに耐えないものでした。まるで世界一を目指さないことは科学技術立国ニッポンの敵だという勢いで、スーパーコンピュータの開発戦略そのものを問いなおすことすら抹殺しようと世論操作をやったのですから。そういえば、消えた年金問題で、3ヶ月で突合システムができると明言してシステム音痴ぶりを披露された片山さつきさんが激しくつっこんでいたのがまた面白いところでした。

それよりは批判されるべきは、蓮舫さんの素朴な疑問にただちに反論できなかった当事者の人たちではなかったのかと今でも思っています。今の時代は、「WHY?(なんのために)」が非常に重要になってきています。そこに新しい発想や切り口が生まれることでブレークスルーが起こってくるからです。それを議論し、より深め、また共有することが大切になってきているのではないでしょうか。
冷水を浴びせかけるようで申し訳ないのですが、専門家でなくとも、日本のスーパーコンピュータは敗北に敗北を重ね、失敗の歴史をたどってきたことをご存知の人も多いと思います。今や最速でしか競えないということなのでしょうか。(中略)
今やスーパーコンピュータの日本のシェアは数%しかありません。
この図を見れば、それでも演算速度1番なんですか、もっとほんとうの課題は別のところにあるのではないですか、最新のスーパーコンピュータを導入していくユーザーの裾野を広げるほうが重要ではないですかという疑問を感じてしまいます。
-----------------------------------後略
この話に関しては各々に人に数々の議論があるのではないかと思う。まあ、その意味で少し独断を入れさせていただく。
蓮舫氏の疑問は必ずしも、この予算を落とそうとしていったという認識はちょっとうがっているような気もする。それはそうとしても、だといってにただちに反論できなかった当事者の研究者たちには、そこを議論するということは、研究者のテリトリーを凌駕するということがあるのではと思う。そもそも研究の主担当にはまず「世界に通用する技術を育てるためには其の要素技術として計算において世界を凌駕する環境を整える必要がある。」という前提で動いていると思う。つまり使われる目的を決めずに、むしろこのシステムを基盤技術として、次世代の技術を見出しいてくれというのがあるののだろうと思う。
よくよく考えると、研究という行為のうち基礎研究においては、課題探索という(ブラウジングというのも似ているか)可能性のあるものを見出すというサーベイ内容があるのだが、これは第三者に価値が見出せないというところがあり、課題を見つけるための仕事の価値が投資に値するかというのは、研究業務のフローが見えないと、まったく意味がないものとしてみなされるところがある。更にここに対して具体的でないということで投資をしないということもいえる。なにしろ課題探索の成果は、即お金というものにはまったくならないものであるからだ。そしてこの立場を見ている人が説明するには「少なくとも他国に対して競争が出来るクラスの計算速度(=計算量   だいたいこのような計算機は「バッチ式」で扱うため少し仕事の滞貨をさせているかったいが運用効率を最大化できる)を維持したい」ということで、少なくとも世界最高水準の計算量というのはどうせ開発するなら高くしたいと思っているだろう。なお、計算機の(ハードよりもソフト)技術者・研究者においてはまったくこれは「応用研究」の範囲であり、むしろ製品に直結(ここまでのスペックを必要としない使用の決定は技術ダウングレードで処理できるわけで、限界設計の雛形としてこの計算機開発が扱われる)しており、ちょっと目的が異なる上にそれなりに難易度の高い開発である。

もう一つは、公開して「何のために」ということを公的に語ることは社会のコンセンサスを得るのには重要になってきている。ところが、「公開している」という段階で競合相手は、それよりも上に目標を定めるということをする。更に予算の獲得に時間をえている間に先行的に開発されるということもあるのである。つまり手の内を見せるからやすやすと一位の座を短期間で取られるのであろう。
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次世代計画での研究コストは1,000億円かかるという。もちろん研究成果が一番であることと、計算速度が一番なのは同じ事ではない。
世界最速のスパコンを動かしたいというのに、そこそこ速いコンピューターで十分に研究できるケースも多い。それには、用途別にスパコンを作り変える(当然シーケンスまで独自性を持たせる)というのもある。たとえば2010年では米空軍研究所で1760台のPlayStation 3を接続して当時最精鋭のスパコンの1/4の速度を、200万ドル程度で実現したらしい。類似事例を日本の長崎大学で行ったこともある。運営コストとして電気代は問題だ。汎用スパコンの汎用性をこだわると、、費用対演算速度は決してよいものにならない。そういうことを考えると、最速のスパコン1台よりも、使い勝手の良い中小規模計算グリッド数百台を併用運用したほうがの方が意外と使い勝手がいいという見方もあるようである。したがって、汎用システムにこだわらないほうが専用システムの方が、目的を廉価に達するということには実用上はなりがちである。その意味でカスタマイズ化というのは一種の技術計算の上では「こと日本における計算体制においては」ひとつのブレークスルーになる可能性は大きいのである・・・がこれは、逆に言うと貧者にスパコンを無条件に与えてしまうということ、またコンピュータ素子などの最適化の可能性抽出にはつながつながらないことを推奨してしまうわけで自己矛盾になってしまうことにもつながる。

私はかつて64ノード(64台のボードPCと1台の制御用PCを組み合わせた中型計算システム)の運用で形状解析を行う演算環境を作ることを行ったことがあった。同じことは複数のPCをつないで擬似的にはできるらしく、私が着手する前には32ノードのスパコンに効果があるのかを検討するのにリアルに各人のPC33台をつないで土日に検討したらしい。その意味では、ある程度行う計算(この場合は破損解析でした)が決まっている場合は、使い勝手の良い中小規模計算グリッドの方が、コストや運用を考えると効率的である。
だからといって統計計算などを行う文型の研究者が、このようなマシンを使う場合、解析ルーチンが定性的でないことを考えると、私が行った手法では実は専門家がいちいち最適ルーチンを考えるということが実は人材という面では厄介である。その意味で定性的検討が際限なく繰り返されるものにおいては専用機を構築したほうがいいと思うけれども、かなりルーチン的なものを期待できないような用途、(たとえばいわゆる「ビッグデータ」(笑)のようなもの)ではカスタマイズ化が普及するには時間がかかると思われる。

もうひとついえるのは、日本の企業においては「最小限の投資」といいうことがすべてのところまで言われており、すでに研究意欲をそぐところまで来ている(これは研究費用という中で直接かかわる人材資質が平均的に高いことが必要な給与・人件費にかなり配分されているなどの人材のかけ方に多少癖があるということはあろう)が、たとえば演算をするにあたっても、より精度が高くなるような工夫や検討を予備段階で結構行ってから算出に入るようにすることがあり、したがって計算量の割りにコンピュータのスペックが低くて済むとも言われているようだ。これがアメリカにおいては、予備検討に時間を割くことはそこで人件費の増大を招くわけで、多少雑な計算で無駄に大量の計算をしたり(実は計算が成り立たない、答えが得られないばあいが一番コンピュータの占有時間が長くなる)するのにスペックの極めて高い計算機を使い、結果をより分けるところで人間が関与するという手法にすることにするという傾向がどうもあるようだ。つまりスペックが高い計算機を多く使うということは、多少経費がかかっても人件費(関与工数)を削減するという方向に仕事の仕方を向けていることで、狭いが深い専門家を使うためにスパコンが多くニーズがあるように見えるという考え方もある。(この点は中国でも同じである)。最新のスーパーコンピュータを導入していくユーザーの裾野を広げるとしても、投資回収という意識を強く持ちすぎた日本ではスーパーコンピュータは現場の運用技術者の技術や人材を捨て去る側面が出てきてしまうと思う。
国内では200~400人程度の研究者しか本格的にスパコンを利用していないという実態があるそうで、利用環境を改善するのは科学技術の発展には役立つともいえるというが、専用機においては私は今後は市販PCの組み合わせというカスタマイズ化がひとつの方向性として確立されていくだろう。すでにこれ自体が物量作戦で押し捲る手法がとれない状況という理由でもある。また、このような物量を確保する体力がないからか、意外と欧州ではスパコン(というかPCなども)の本体開発は手薄で、むしろアプリケーションに特化する傾向があると感じる。
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毎年毎年何百億円の国費を投じて、それで1~2年だけ1番をとってというのは投資効率が悪いとは言えるが、あくまでカスタマイズ化することができない定量的把握が初期に期待できない科学技術部門(この関与人員が高々200~400人程度というのは桁数ははずれていない(<1000人以下ということ)と思っている)に関しては、やっぱり逃れられないものである。このように1年で負けるように敗因を分析せず、過去の延長線でせっせとひたすら性能を追っているのを間違った戦略というのはあるいみ同意するところもある。しかし、設計現場の技術者や、製品収益を見るとわかるが、実際には研究開発を安価な方法で行うというには、すでにすべての固定費が高止まりしているとなると、成功した同じ路線でただ改良することを追求しつづけ、さらに改良の幅を広くするぐらいしかなかろう。(実際、社会に新しい市場を求めるという形で革新的な製品を売り出した企業は、新規性のある製品に対する社会からの排除によって廃業してしまったりしている。社会の中で革新性を求める余裕がまったくなく、むしろ排斥する傾向があることが、既存スキームの延長の製品で固めるしかないという経営上の問題である。)結果的に技術力があっても、それがニーズとあっていないわけでなくても、耐久性が低くても値段の安さという至近の理由で一時的にも国内市場が衰退し、やっぱり品質が必要だなといったときには、そのような品質を担える資質のある国内企業が全部なくなっており、海外企業はノウハウもなければニーズにあわせる必要性が経営上ないため消極的な市場の消滅を招くというのは、昨今しばしばある。その意味ではスーパーコンピュータの近年の足跡や目標は、液晶テレビと似ているという指摘をする人もいる。

スーパーコンピュータでいくら世界一の演算速度を実現しても、それが汎用コンピュータの技術には役立ちそうにないとも言える場合もあるが、それでも「京」の実績を基にして富士通は国外でスペックダウンしたものの高速のシステムを売っているようであり、逆にアメリカ製しか選択肢がないため・・・という特に欧州のユーザーに対しては売れているようである。一方日立やNECは「京」から最終的には降りた経緯があり、すでにロースペックの電算機の廉価販売で数量でカバーするほうに走っている。投じた国費の大きさと事業計画のギャップはお金として国庫にリターンするということにならないから問題である。
つまり、かかわっている市場が汎用超高速型と中量中速型に二分し、目指すものと戦略も違う上に、少なくとも一位をとることができる能力を持っているということが、ほかの電気計算機全体開発ニーズにつながっている。それならば、いくら、スーパーコンピュータの開発のあり方について成長戦略として、文部科学省が選んだ「有識者」・「スーパーコンピュータの専門家」「ユーザー」も含めた場で議論しても、両論成立しかならないと思う。
特に市場要望・極論すれば不満があり、それを調整するように企業と専門家・ユーザーがあっても昨今はユーザーが求める要求と社会や国家認識が実行できる能力や現実の技術力の隔たりは大きくなりがちで、双方の歩みよりが難しい(というか歩み寄りを求めずその分投資回収を期待しない収益性の悪い事業しか道がなくなり、すべてがデスマーチに陥る)というのは、すべての国内外の動向で言われている。
研究の目的はが実はニーズがあまりにも多様なものに対しては、一意に決めることがほとんど無理な情勢にある。選択と集中で短期的な収益を保ちつつ開発をするという投資回収サイクルの高回転化をすると、実は意図的に他社がつぶしにかかったりするとすぐこけるとか、選択するときにきわどい判断のなかで無理して(・・・ほとんどの開発ってそうである・・・)集中したらそこを全力でつぶすということが行われると始末がつかないというのがある。(どっちかというとシャープは選択と集中のリスクを踏んだらそこをピンポイントでやられたとも言え、そこはパナソニックとはまったく異なる傾向が見える)

そうなると、本当は「国家戦略として」コンピュータを育成するという手法にもともと無理筋があると考える。(しかも国防・軍隊という投資目的は日本では取れない制約もある)もちろん一部の投資を国家が投資として行うとしても、特定目的会社をユーザー・メーカーが出資しあくまで国家という「統制の取れた責任があるがために、突飛な活動ができず、そのために計画人件費を増やしているよりも、投資回収サイクルの高回転化という形で収支をとんとんにするような形にするほうが、まだ日本社会での着地点を得やすいのではないか。

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