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栄光ある滅却

http://diamond.jp/articles/-/35311
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相川俊英の地方自治“腰砕け”通信記 【第68回】 2013年5月7日
新生児の数は年間でわずか1~2人急激な過疎化に襲われる南牧村
 連休の谷間に、ある山村を訪ねてみた。電車を何度も乗り継ぎ、辿りついた終着駅から小さな乗合バス(ワゴン車)に乗り込んだ。乗客は1人。車窓から街なみがあっという間に姿を消し、鮮やかな新緑が目の前に広がった。
 小さな乗合バスは、急峻な山の間を蛇行する川沿いをひた走った。右へ左へと曲がりながら、川を遡っていった。20分ほどすると曲がりくねった道沿いに人家が現れた。それらはまるで細い一本道の両側にへばりつくように立っていた。
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 視線を上に向けると、山の斜面にも人家が点在していた。狭い谷間に肩寄せ合うように集落が形成されていた。
 バスを降り、村役場へと向かった。訪れた先は、群馬県甘楽郡南牧(なんもく)村。長野県境に広がるコンニャクと林業の村である。
「去年はわずかに1人でしたが、今年は4人になりました」
 こう語るのは、南牧村の幹部職員。村全体の小学1年生の数だという。子どもの数が激減し、かつて3校あった村の小学校は現在、1校のみ。新入生がひとケタという寂しい年が続いているという。それどころか、新生児の数が年間で1人から2人という状況になっているという。子どもの姿が村の中から消えつつあるのである。(中略)

 たとえば、日本全体が人口を大きく減らすなかで、人口増が予測される自治体だ。全体の4.8%にあたる80市町村が該当するが、いくつかの傾向がうかがえる。1つは、大都市の郊外に広がるベットタウンや交通の便に恵まれた自治体が多い点だ。福岡県粕屋町(29.8%増)や石川県川北町(24.8%増)、宮城県富谷町(24.4%増)、沖縄県豊見城市(23.7%増)、愛知県長久手市(22.2%増)などだ。また、地域的には沖縄と福岡、愛知、埼玉に集中している。しかし、子どもの数が増えると予測された自治体は全国で9つしかない。全自治体の0.5%にすぎず、ほとんどの市区町村が子ども人口を減らすと見られている。(中略)
 総人口を大きく減らすと予測された自治体にも共通点がうかがえる。1つは、山間部の小規模自治体で、合併しなかった、ないしはできなかったという自治体が多い点だ。(群馬県)南牧村や奈良県川上村(67.9.%減)、群馬県神流町(66.8%減、合併自治体)、奈良県東吉野村(65.8%減)、高知県大豊町(65.3%減)などだ。もう1つは、北海道夕張市(64.4%減)や北海道歌志内市(63.3%減)、北海道三笠市(61.3%減)といった旧産炭地域である。いずれも人口流出に以前から直面している過疎自治体と言える。
 注目すべきは、自治体別の高齢者人口の将来推計である。65歳以上人口は全体で1.31倍に増える。また、約3分の2の自治体が2025年までに65歳以上人口のピークを迎える。今から12年後の近未来である。(中略)人口増の大都市圏では高齢者数も激増すると見られている。
過疎地域に指定された村の歩みは 人口流出との果てなき戦いの歴史
 ここで話を群馬県南牧村に戻そう。1955年に3村合併で誕生した南牧村。1971年に過疎地域に指定された村の歩みは、人口流出との果てなき戦いの歴史と言ってよい。これまでも、地域の活性化を図るべく様々な施策を展開させてきた。(中略)だが、村のこうした「至れり尽くせり」のサービスも良い結果を生み出せなかった。担当者は「村内に雇用の場があれば、もっと人はやってくると思うのですが……」と、歯がみする。南牧村が企業誘致に力を入れた時期もあった。実際に成功し、工場が進出してきたこともあったが、撤退という憂き目にあってしまった。平坦地の少ない、山間部の小規模自治体である。グローバルに活動する企業が食指を動かすような条件下にはなかった。
 地域の生き残りを賭けて市町村合併になだれ込んだ自治体が少なくない。いわゆる「平成の大合併」である。南牧村の周辺でも合併構想が浮上した。甘楽郡内の3町1村と富岡市と広域合併である。
 しかし、5市町村での協議は進まず、富岡市と妙義町の1市1町での合併となった。高崎市と隣接することになった甘楽町は単独を選択し、下仁田町と南牧村が残された。1町1村での合併も模索されたが、南牧村の住民から「我々が生きている間はそっとしておいてもらいたい」との声が多く寄せられ、単独路線を進むことになったという。
 南牧村の場合、どのような合併枠組みになっても、中心部から遠く離れた周縁部となってしまう。このため、住民は「合併することでかえって地域の衰退化に拍車がかかってしまうのではないか」と、危惧したのではないか。(後略)
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 南牧村は昭和の大合併で誕生した。1955年の人口は10892人。しかし2013年3月末の人口は2366人である。58年間で人口が約8割も減少してしまった。2040年には人口71%減、高齢化率69.5%になるという予測もあるようだ。確かに空気はうまいということで健康的生活という側面があろうが、要するに金銭対価に交換できないものは生活の足しにはならない以上、新規に若年者が定住することを期待することは、廉価な住居の提案だけでは不十分であることを示す。また、生産物に対して載せられる付加価値(利潤)はコンテンツのような物的形状に依存しない生産物に高く振り分けられていき、必要なものでも代替が利くものなら比較優位性の少ないものが利潤の付加が低くなっている現実では、よっぽど代替不能なものを生産しない限り、生産能力の高い人材が成りたたないのであろう。
 隣の長野県にも同じ字を書く南佐久郡南牧(みなみまき)村という村がある。こちらもそれなりに環境の厳しい地域のはずなのだがこちらは観光地の野辺山があって、避暑などのニーズがたかいということ以上に高原野菜の産地として大規模農業によりかなり高い所得水準になっていることから、人口が多いとはいえないけれども、増減が殆どない状態である。つまり比較優位性のある経済活動を行っており、一戸あたりの平均年収もきわめて高いため、気象や都市環境とはかけ離れた場所にありながら、過疎化や少子高齢化とは縁がないようである。
こうなると、所謂経済活動を行うことにより成功した事例が昨今なく、物的資産は相対的価値を減じ(そのむかしなら木材というだけでも相当価値があったのだろうが)、それをリカバーする人材も資本蓄積も、運もすべて得られなかったというべきである。

まあ、少子高齢化の同時進行のほうが問題で、14歳以下の子どもの数はわずかに82人なのに、65歳以上は1355人と高齢化率は57.27%に達する。人口減と少子高齢化では日本社会のもっとも極端な事例である。そのため村としても種々の策を講じてはきたようである。しかし、このように主権者に老人が多く、また子供の数が少ないということはその親である30台ぐらいの人も少ないということであるわけで、勢い革新的なことができず、現状維持が総意になってしまったということだろう。問題解決の必要性よりも模索された結果が「我々が生きている間はそっとしておいてもらいたい」との声となるというのは、少なくとも将来性がこの地域には得られないし、そのための革新性を持つ行為に対しても追従する能力がない(気力がないという見方もできるのだが)ということにしかならないのである。また逆なことを言うと、革新性を人生に求める人はすでにその多くが村の外に出てしまっているということであもあろう。
一般に継続性がある社会を目指すのが企業なり地域社会の存立意義という。しかし、企業でもそうだが、存立意義が変質していくこと自体が企業の社会的活動の志向と異なる場合、そもそもその企業体を維持するという活動は必要かを検討しなおす必要はあろうかと考える。そこで、業態が変わるというのは製造業から金融業に変化した企業などいくつかあったが、このような企業のあり方は資本家や投資家にとってはアメーバのごとく形を変える柔軟性をもつともいえるが、追従できない人が多い企業(それは内部というより企業の取引先だったり、地域社会だったりする)により、生き残るということが先にたち、社会的な意義がどこにあるかを失ってしまっているともいえる。むしろ、投資家の責任ということだけで意義を見出せない写真が粛々と動いている(働いているといわない)企業は存立意義がないという見方もあろう。
その意味では、社会的に継続の意味合いが見出せない社団を維持することに関し、すでにその可能性を失ったような企業は社員の統制を取ることもできない以上、黒字でもいいから解散するというような行動を否定できないような気がしている。もしかしたらこの村において急激な高齢化は、資質を維持する姿勢を放棄するほど継続性に嫌疑がある社会になっているのかもしれないし、その下で村役場の人ががんばるというのは姿勢維持にむりがある行為ではと思っている。「我々が生きている間はそっとしておいてもらいたい」と考えるがすでに後継者がいないことが明確な場合、少なくとも「自治」という行為自体に対する責任を住民が放棄しているというみなし方をするべき何かもしれないと思っている。
おなじような小さな村落においても、それなりの産業をえて人口が少なくても年齢の人口バランスを改善させ、継続性を持ってる村落もあるのだから。

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