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続 畳の上の水練

ちょっと前に書いた体罰事件の件であるが、書いた当人も、もやもやがどうも残ってた。
体罰は否定する姿勢はいいとして、話し合いのみによる指導にはついていけないという人は、社会が取り残すことしかできないねえと、苦悩していたのである。
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そこに偶然この記事を見て、うーむ・・・と示唆してくれた記載に出会った。感動と共に、胸の使えが取れ、ちょっとすっきりしたのである。が、其の後就寝の時間になって思い出し、ますますおねおねと悩むるようになった側面もあることも付記しておく。
--------------------------------引用
http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/02/05/160949
24時間残念営業  2013-02-05  体罰について書いていたが、あまり関係なくなった
あー、体罰の話。を枕にした自分語り(追記)。

 すごい長いです。もう途中でブログって長さじゃなくなってるのわかってたんですけど、もうここまで来たら開き直って自分のペースで最後まで書くことにしました、と冒頭に追記しにきた7216文字目。
 結局、9340文字です……。
--------------------------中断
この方はコンビニ経営をされている(BLOGのの名称が示すか・・・)ようで、其の視点に立った足に地がついた、現実的な議論をいつもされているようである。ただこの文はあまりにも長いので要約しかできない。ぜひとも原典を読むことをお薦めする。
以下私の責任下で要約する。
筆者は家族間では多少容認の余地はあるかもしれないといいながらも、親子以外の社会の中での体罰は許されないと考えている。とはいえ昨今の事例を見ると広い意味での暴力というものはどこにでも存在していると思っているのが前提である。
さて、彼の経営するコンビニで従業員に仕事を覚えてもらうには、自分の生年を西暦でいえない人にも仕事を教え、単語2000語の範囲で発注の技術について教え、ものごとを「概念」でまとめることがうまくできないため、グルーピングで陳列するということをいつまで経っても覚えられない人に、その概念を日常語から一歩も出ない範囲で理解してもらう苦労、データと自分の作業の関連性について理解できる人が極めて少ない業界の中での苦労はある。
指導に工夫をこらした結果、従業員はうちの店は居心地がいいと言う。最初の数ヶ月でやめなかったバイトの人は、その後、たいてい数年間働き続ける。逆に最初の2ヶ月くらいでやめる人がかなり多く、其の点は定着率が低いともいえるらしい。
最低限の業務のルールの先は、各自が自身の得意なことで、いい店を作ることに協力してとし、其のあと、いま、店のなかで問題のあることはなにかを発見することを重点的に教えていくが、やめる人はこのへんが習熟しないし、教育過程そのものがプレッシャーになり、やめていく。単純に問題発見能力が低いパターンが考えられるが、やめていく圧倒的多数派は、単純作業について何度教えても一定レベルよりも上にはいかず要求基準を充たせない。
このタイプの人を動かす方法の一つはは、怒鳴って、恐怖を与えことだが、怒る人間のいる職場は雰囲気のいい店にはならないという経験をしたようで筆者には過去の悔いがあるようだ。
しかし・・・
--------------------------再開
 先日、うちの店を「つまんないから」という理由でやめて、別のところで働きはじめたバイトの話を人づてに聞いた。どうやらその人は、世のなか的にブラックとしかいえない業種で働いているらしい。
「もうずいぶんと続いてるらしいですよ」
 その話をしてくれた店長補佐が言った。
「え、あいつが?」
「あれじゃないですかね、私も一度この店やめたときに、ほかのバイトやったんですけど、意味ない規則多すぎていらいらしたんすよ。しかもこれやれば売れるってわかりきってることぜんぜんやんないし。だから戻ってきたんですけど、この店のほうがやっぱ楽っすね」
「仕事はどっちがきつい?」
「立場が違うからなんともいえないけど、忙しいのはまちがいなくこっちっすよ。やることだらけじゃないですか」
「でも楽なんだ」
「そりゃあ、やりたいようにやれますから」
「じゃああいつは、なんでその職場のほうが続いてるんだ」
そっちのほうが楽だからじゃないですか。そういう人もけっこういましたよ
 そのやりとりでなるほど、と思った。
 うちの店に脅迫めいたものは基本的にない。ノルマもない。最低限の仕事、つまりレジ打って揚げ物作って、売場のフェースアップ(デハボ注:商品品だし販売用棚の品物前だしなどのメンテナンス)をやっていれば叱られることもない。じゃあヒマな時間はなにをやっているかというと、それぞれがPOPを書いたり、自分の担当の売場を作りなおしたり、掃除が好きなヤツはコピー機を磨きあげたり、レジを光らせたりしている。それをしてみんな「忙しい」と称する。(中略)
 この根底にあるのは「時給をもらっている時間は仕事をする」というモラルだ。俺はなにも脅迫めいたことはしていないと書いた。可能な限り強制もしない。しかしたったひとつ、無言のうちに強要しているものがひとつだけあった。それがモラルだ。
 やめていったバイトは、その環境に耐えられなかった。そうしてそのうちのひとりが、最初からルールとノルマで縛り上げた業種でうまく働いている。もともと接客は悪くはなかった子だ。やりがいがある、と言っていたらしい。仕事はマニュアルの丸暗記から始まって、対応も決まっている。そしていかに押し込んで契約を取るかが勝負らしい。もちろん歩合給だ。
俺にはこれが、体罰の延長線上(あるいは手前)にある構造に見える。そしておそらくは、そうしたものは常に必要とされている。なにしろ俺は、あまりに多くの「怒鳴らなければ動かない」事例を見過ぎた。もちろん、読む人はこのことを俺の指導力不足だとみなしてもかまわない。本当はまだやれることはあるのに、それを実行しないで体のいい逃げを打っているだけだろうと、そう思ってかまわない。原理的には俺もそうだと思う。(後略)
--------------------------------終了
どうも体罰を肯定する人は、ルールとノルマががんじがらめになっているからこそ、仕事の形が決まりその枠の中でこそ自我が見え、生き生きする人が多いということがある。逆もまたしかりである。
私の場合を書こう。工場で新規設計品を、試作ライン専門の職工さん(つまり初物を試験的に200個ぐらい仮設の生産ラインでつくり問題点を見つけて改良し・・・(もちろんこれらは生産初頭品として販売するがほとんどはショールームに飾られたり、導入先の見本として使い勝手を見るために貸し出されたりというのが多かったのだが)・・・しかるべきのちに試作ラインの職工さんは量産ラインにこの製品を作ってもらうための指導とかを行う。そして其の指導する職工さんの指導者としては設計者(といっても若造であった)の私が立会うのである。製作要領を書いた書面(これは私たちが試作ライン職工さんの意見を取り込みながら作ったものである)のを片手に組み立て、其のうち作り方をラインの職工さんは頭に入れていくわけである。
ただし、考えて作る試作専門の職工さんは、一度生産ラインが立ち上がってしまって、何らかの社内事情でこのラインに後にだれかの代わりに入る(急な病気とかもあるしね)とラインスピードを落とさざるを得ないのである。
というのは、試作の職工さんは、これこうするかなとかねじ回しのもち方はこのラインの姿勢ならこの方が・・・とか、仕事に考慮・提案・低減による付加価値をつけようとする。ところが、試作ラインの職工さんは仕事の目的が「決まった仕事をどれだけかっちり、時間をオーバーせず、かといって無駄な力も使わずやり続けるかで、生産台数というノルマに対してどうよりそうかなので、同じようjな仕事(一応工程内のローテーションはあるため少しの変化はある)だからこそ安心して、スピーディーにやり遂げるのである。
さすがにこの話を聞いて、無心の境地だとそれこそねじが組めないなどたまーにある前工程の不良が来たときにも気が付かないはずと思ったが、生産報告書でも製造ラインでの前工程不良報告でており、憂慮することでもない。
かといっている間に、ある日、インフルと飛石連休ということで職工さんがたくさん休むということがおき、設計者たる私までが半日ラインに立つことになった。で、いやほど試作時には評価のため組んだりばらしたりをしていたから、それなりにはと思ったが、要するに私も考えてしまうんである。
其のときにもしかしてと思ったのは、これは雛形などを全部お膳立てしてさあどうぞとなれば、一生懸命動くという人(趣味でも、全部道具を買って、形からしか入れない人がいますね)と、雛形などを全部お膳立てしてしまったらおもろないとへそをまげる人がいるなあと。つまり志向するのが、其のときのタスクの源流・上流側か、其のときのタスクの下流・出先側かということかもしれない。そして結果的には癖の強い私は其のあと源流側である応用研究の部署に転勤になるのだが、一緒にがんばった職工さんの中でも私と話があった人、付き合いが長かった人、定時後に社内電話で呼ばれて会社の食堂でビールをおごってもらった人(福利厚生施設として、従業員食堂で定時後ビールを出すのだ)には『あんたはむしろ発想を生かせる場所のほうがいいかの知れない』ということを言う人が多かった。後々聞くと、設計の細かい工夫があると、ラインの人には前例と違うため「おや」っと思われ、次に図面に記載するあまりない苗字を見てあいつの設計かあ・・と彼らはわらっていたんだそうだから。

このような話は、廃液の分析技術者の話、昨今では設備管理メンテナンスサービスにおける事業所管理職ごとの意識の高め方の成功失敗例などその後もさまざまな場所で、経験し聞かされてきたことだった。
あるとき私は仕事で本田技術研究所の栃木研究所(自動車の企画・設計・応用研究)に出入りすることがあり、一段落して今度は本田技研工業の狭山工場(自動車の生産・生産管理・品質基準などの管理)に出入りすることになった。このとき互いの仕事を見て、ああそうか各々の目指す職業志向をと業務の流れからすれば、多少業務引継ぎの効率は落ちようとも、一緒に仕事をしたらこの2部署では従事者の志向がずれ、足を引っ張ってパフォーマンスは出ないなあとおもった。そしてこの場合「川下」として頭を使わないように見える(そんなことはまったくないのだが)製造工程のほうが親会社なのである。
まあこのあたりは人事労務系の議論もあるから、断定などしないが、見事に相互の齟齬を、組織的にも物理的にも(この2つの事業所は首都圏外郭を回る国道16号線に近いというつながりはあるが、車で3時間はかかる距離である)あえて作ったのではと思ったものである。
体罰は否定されてしかるべきであると考えたあと、ではそもそも意欲志向が、「自分で考えること」自体が苦痛で仕方がないロジックを持つ人が絶対いるわけだ。コンビニの従業員は高校生とそう年齢的にかわらないであろう。そうなると、今回の体罰の事件で橋下市長が善意を未来志向を持って、過去の自己の発言を決別し強い信念から言った「口頭指導による教育・社会にしたい」というのはには、それなりに評価できる。しかし、ロールモデルにするには貧困層に関する社会分断に加えて認知力の個人差は少なくともある。7歳で家庭を離れ共同生活を送り12歳から本格的肉体的訓練と教育を受けるなど古代都市国家スパルタのシステムでも生じただろう。もちろん出所門閥の差異とて有意な再現性があるかは疑問である。スパルタのシステムでは新生児は部族長老の面接を受け、虚弱者は山奥の洞穴に遺棄されたという。しかし、橋下市長の善意の行動は「認知力が低い人間で、指示を持って動くことを旨としたモチベーションの人間を、矯正もできず、山奥の洞穴に生かしもせず殺しもせずとする結果になる」可能性もあるなあと、さらに末恐ろしさを増してしまったのである。

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