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国際標準との比較では自虐的にさせられる(2/2)

(承前)
このようなビジネスモデルを前提にすれば、当然、自虐的な行動がいつかエスカレートするというのはあろうが、それまでに少なくとも売れなくなる(中堅位置に存在するようになる。モーニング娘。が近いか)ため、ビジネスモデルのほうが終焉を迎えるのかもしれない。また、そのような考慮は伝統芸能となれば、必然的に「そういうものか」と第三者が納得するようになるという宝塚歌劇団のようなスキームになってしまう。
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元々宝塚歌劇団がこのロールモデルともいえる(このことは後述)わけであるが、これを雛形にしている限り、本質は変わりようがない。問題は同調圧力を元にしたから、芸能・演劇活動するような場所が各個人に発生するという場合、体育会系的な文化が社会に残っていること自体を批判することは、そもそも日本的なものを取捨選択余地もなくすべて否定することになる。階層性の少ない社会の平坦性を維持するために、体育会系的な文化がのこっている側面があるといえるからである。

さて、カルトの定義は

指導者の無謬性
指導者は絶対に間違いを犯さないという確信。
指導者の知識の広さ
哲学的な事柄から日常の些細なことまで、指導者の信条や口にすることはなんでも無条件に受け入れる。
金融面および性的な利用
入信者や信徒は、その金銭およびそのほかの資産を差し出すよう説得され、指導者には一人かそれ以上の信徒との性的関係が許されている。
絶対的な真理
さまざまなテーマにおいて、指導者、あるいは集団が見いだした究極の知識に対する盲信。
絶対的な道徳観
指導者、あるいは集団が確立した、組織の内外を問わず等しくあてはまる、思考および行動に関する善悪の基準への盲信。その道徳の基準にきちんと従えば、組織の一員としていられるが、そうでない者は破門されるか罰せられる

というのだが、この原則をがちがちに考えれば創業者の社訓を掲げている企業は本田技研にしかりパナソニックにしかりかなりのテーマが重なっているし、(まあ、性的な利用というのは本例でもないが、中規模オーナー企業ではこの場面がないとはいえないね)優秀な政治家にはまさにこれを使う側面がある。そしてこれを言い出したら宝塚歌劇団(そして彼女らは芸能人一般によくあるマネージメント契約でなく、阪急電鉄創遊事業本部直轄の社員なのである)だってはいってしまう。
このため、非常に感情労働という内容を求める業界を知っているコメンテーターが「20歳の子が、恋愛して、デートして、YouTubeで坊主にして涙ながらに謝罪してるっていう状況が異常」なとと本心で言っているなら、それは単なる社会への迎合でしかないと思う。
もっとも、体育会系的な文化が社会に残っていること自体を批判することは、少なくとも日本的文化や志向形態、論理構成の手法が海外とはおのずから違うため、珍重されるか避けられるかの二元性を持つことは必要である。
-----------------------------引用
北海道大学教授の町村泰貴氏はブログで、「YouTubeの公式チャンネルに彼女が独断でビデオを公開することができるはずもなく、AKB48としてこの映像を晒し者にしていると評価できる」「このビデオで見られることはセクハラ、パワハラ、いじめ、リンチ、そして体罰と呼ぶべき行為だ。例えてみれば、小学生とか中学生とかが、仲間内で気に入らない逸脱行動(仲間内のルール違反も含む)をしたメンバーに対して、制裁だといって性的に屈辱的な格好をさせて謝罪させ、それをビデオにとってネットにアップするという、いわゆるサイバーブーリングと全く同じである」と厳しく糾弾している。
-----------------------------終了
前段は、何らかの隠蔽すれば問題になるし、公表しないわけにいかないところまですすんでしまった(つまり丸刈りをした経緯を説明する必要にさらされてしまった)のでAKB48としてこの映像を公式に出さないわけにいかなくなったということであるだろう。ただ後半は、否定できないもののサイバーブーリング自体は、すでに人間が外部に意欲を発散できずという社会ではもれなく起こっているか萌芽があるところであり、法的サポート(イギリスなどではこういうトラブルによる労働審判が明確化している)という意味があっても、それは潜在的に起こっているという可能性を否定できないわけで、逆にサイバーブーリング類似行為を不公正と思う人が、日常生活で業務遂行をする内容でサイバーブーリングに近い内容を確信的にやらなければならないということになっている気がする。
そうである。これを突き詰めるとAKB関係のスキャンダルをことごとく展開している雑誌社は、若年者をさらし者にしているのではないかという別の視点もあるわけだ。
このようなアイドル活動は感情労働の特性が強く、定量的評価や論理的思考の導出は其の存在価値と相関性が薄すぎ、指標とならない。だから、 「坊主で謝る」という体育会系的な文化が社会に残っていることを批判するのは私も同感だが、それを展開するのに感情労働ないしは労働のうち感情労働に依存するものを否定することは、説得しても理解のテーブルに着かない人が大半であろう。文化人が震災後存在を失ったのは感性基準だけでの判断行為が、よしんば間違いであっても相対的に理解されやすくなってしまったからではないか。なお、これは彼女の精神的ケアをしなければならないということを意図する。(一応同僚が配慮しているとか)どうも暴走しやすい特性が彼女にはあるようだということは、たぶん想像つかなかったのだろう。

さて、日本の法人は概してカルト的なものに一部ひっかかる内容があるというが、これを言い出すとロールモデルとなったところまで戻る必要がある。 そう宝塚歌劇団である。
歴史の重みもあるのと、其のビジネスモデルが今なお続いているということを考える必要がある。そして本当は卒業なり贖罪なりという行為、また恋愛禁止と対処ということは、「契約に明文化」するということで、行われてきたのである。そう考えると、少なくとも自ら丸刈りにできるということは意思を外部に見せるという意味では、自由意志であるという感じをする。(宝塚においては、そのような行為は外部に出ないようであるが、基本これらは統制という見方もできる)そうなると、ロールモデル自体に社会適合性があるなしを議論してしまうといえる。宝塚歌劇団の劇団員や従業員も含め阪急電鉄の従業員(つまり、阪急阪神HDの子会社である事業会社の事業部における従業員で、大手企業直雇用の従業員なのである)であるということはまねされていないが、其のほかは基本そうかわらないわけで、これは、マスコミからの反論ができにくい。もっとも全般的に批判される体育会系というのはやっぱりあるようで、いじめの話が報道されたことはある。
そう考えると、外部から見た意見として、こういう声があるのはわからなくもない。ただし信条の自由は個人にあるが其の信条を持っているから社会が受け入れないというのもまた自由である。
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イジメはあるが祝福する文化のない日本   谷本 真由美
http://wirelesswire.jp/london_wave/201302010745.html
彼女は有名なネット上の論壇人材かつ技術者であり、またこれだったら交渉事や技術基準構築の腕はすごいなあと推察する。其の反面、認証技術者に割りと類型的にある独善性がにおう。(まあその意味で、私は向かないようで、実際レギュレーション構築・認証業務は仕事としては面白いがストレスでつぶれかかるところが私はあった。)たとえば「現代」という文言の定義自体に、欧州的な視点のみしか見ようとしない独善性が見られ、日ごろの記載に解しては「人物は確かだが、心理的に協調性をなくして引き換えに自我を確立しており、一緒に仕事に関わったら私が壊れる」と思っていた。たぶん日本ではエッジが立ちすぎ、残念と思うがなにかと非難・いじめにあっていたというのは、あるのかなあと同情を禁じえない。ただこの記載ではきわめて頭のいい人だけに、欧州的な見方ではこうなるのかなあというのは腑に落ちた説明をしていた。
もっとも、アイドルグループ所属者にたいする、社会の要求が「社会の要求に従った人材であるべく振舞う」以上、雇用契約違反だとしても、公衆の面前で恥ずかしめを与える必要などは本来ない。(実は契約条項として・・という解釈はあまり触れた人がいなくて、実務に長けた人というのもここでわかる。)しかし原因がすでに報道されできなくなってしまっている以上とうにそこで非難を受けているわけである。こっそり処理すれば良いとはいえず、そこに火を注いだというのが彼女の思い切った行動であり、各々が最適解をとろうとしてこうなったといえよう。
さらに「仕事のために私生活を犠牲にして当たり前」が前提になっている、というのは、すべてを会社に捧げるのが当たり前、という日本の滅私奉公の考え方というのはある意味当たっているが、むしろアイドル自体が飽和して、それを他の業界が虎視眈々と狙っている状況で、昭和的な価値観は不適といえども「食えるか・将来食える下地が壊れないか」というところに着目すればもっと低レベルの段階での生活権の問題、かつ単線的キャリア構築を彼女がしていた(というか、壇蜜さんのようなエッジの立った事例以外、アイドル・そしてそれ以降の芸能界におけるっキャリア構築の場合適した時期がかなり限られる)ということは、選択余地をなくす原因になる。だとすると儲かるなら何をやってもいい、と彼らにいうことはできないと思っている。
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良い人に来てもらいたいとかいうのは大方の場合日本人にとってという前提である。日本の物を外に売りたいと思っているのは突き詰めれば日本人にとって生きられれば(生活が充実すればということではない。もっと下の世界である)というなかでの話である。
技術士の仕事をしていると、公的責務として公益性の確保という議論がある。いわんや技術者もそうであるが、称号を与えている発行元を考えると、日本の産業発展のためが「公益」(国益とは似てるが同意ではない)であり、外国のためではないという議論が出てくる。実はこのあたりの問題は悩ましく、海外支援業務に関してお互いの益をが相克した場合、国籍条項のほうが先に出るのかが不明である。(技術士でも大概の業務資格の場合、永住権には資格取得はリンクする場合もあるが、国籍とはリンクしない。実際日本でも他国籍の弁護士・技術士がいるし、逆にアメリカには日本国籍の弁護士・技術士がいるのだ。)そしてそこからは信条にもとるしかないのだが、その結果が社会の通念から外れると結構悲惨なことになってしまうことがまた、大きくなっている。私自身は間接的にしても海外の産業支援に関わることは、その意図が通じる限りの相手に対しては、リバースして何らかの利得を得ることがあると考えるが、その意図が通じる国が少なくなり投資対効果としてみると損だという意見に対しては、無力だというのも感じているのである。
つまり、私生活を楽しんでいる人、大人として自由にやっている人を相互に祝福することうれしさを感じる反面、マーケットが限定された中では自分を貶め、心は錦でも清貧以上に飢える現象につながる。(というのは、その結果という人はドヤ街にも結構いるようである)わけで、畢竟、いじめが根絶されるときは、人々の希望や欲望という感情行動をなくしたときと思っているからである。祝福の文化があるというのは、哀れみや優位に立ったという差別化感情を自己肯定しその裏返しの言動と贖罪行為としての代替結果という側面はないのか。
こう考えると、自虐史観は日本文化が他国の文化と親和性がないということをから現実的対応で生まれた、暫定対策という見方さえしてしまう。
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さて、このことがおこる少し前の話である。
AKB成人式 峯岸みなみ“大人の自覚”も「この人数は指原さんが稼いだ」  2013年1月14日 12:00 スポニチ
 「AKB48」、「SKE48」など、ことし成人となるメンバー17人が14日、東京・秋葉原に近い神田明神で振袖姿を披露した。
 13歳で「AKB」入りした峯岸みなみ(20)は「二十歳を迎える時にまだAKBでいると思わなかった。壁のない先輩を目指したい」と大人の誓いを掲げた。
 昨年は卒業した前田敦子をはじめ、柏木由紀、板野友美といった豪華メンバーが成人。上の世代と比較し、自分たちを「イケてない」と嘆く峯岸は、集まった報道陣の多さに一安心。この日、“センター”を務めた「HKT」の指原莉乃の方を向き、「去年は何かとあって、この報道の人数も指原さんが稼いでくれた」と笑わせた。
 1期生から在籍し、ベテランとしての自覚も高く、「何かAKBの役に立たないといちゃいけないという焦りもある。後輩メンバーに自分の得意分野を指導していきたい」と話した。(後略)
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そうか、13歳からこの世界だと、思い込み激しいことになるのも仕方ないかな、そして他の道にもすすみにくいよなというのがある。(しかし、このネタは・・・・)まさに「去年は何かとあって、この報道の人数も指原さんが稼いでくれた」と思い切り恋愛ネタをやっていた。まさか類似の問題に落ち、自虐ネタになってしまうのか、その意味では運の悪さを感じてしまう。
いや、自虐ネタが今の世の中では多く、またAKBのバラエティー班(笑)は、そのネタの特性から人を傷つけないということもあってか、特におおいんですよね。たとえばこれ。

指原莉乃 秘密を守る人がタイプです← 121025 ホンマでっか... 投稿者 Rino48JJ
もしかしたらよそに傷をつけない手法としてはもう自虐ネタしかないという覚悟で望んでいるのかもしれないが、それさえ文化が異なると、マジにとられ自虐にならなくなった(自虐ネタは楽屋落ちの傾向が残るため、そこがわからないと通じない。特に他国だと・・・)というのもちょっと感じるのである。

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