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似たようなことを

空耳というものがある。それ自体は楽しみも深めなかなか意義深いものであるが、時に悪意を持って伝わるとやっかいなものになる。たとえばこれである
こういうような悪意のある空耳を、冗談と取れればそんなことはないのだが、時として罵倒合戦に発展することがあるような場面がときに見られる。これはさけられないものもあろう。
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さて、この上であげた歌は、翻訳するとこうなるらしい。

捧げ銃(ささげつつ・・と読む例がおい)は軍隊儀礼のひとつであり、これ自身は自衛隊でも、どの軍隊でも類似のものが今でもある。
たしかに冷静に曲を聴いてみると、かの国の一流の演奏家を用いてるのか曲と合唱・演奏の出来がいい。また古典的な行進曲のフォーマットを踏まえている。だから、下手をすると欧州の言語で歌って歌詞を其のようにすれば、聞けたりする可能性を考えなければならないのだろう。(もっとも北朝鮮ではある程度聞くことのできる曲も制限されているとは思うが)
そもそも、日本人も其の経緯から笑ってられるものではない。
伏見宮 博恭王(1875-1946年)は、日本の皇族であり海軍軍人。皇族であることから軍令部総長を務めるのだが、実は軍人としての教育を受けて、船の操舵など実務にも相当長けているなど、よくも悪しくも(逆に彼が進めた結果航空中心の最新の戦略に乗り遅れた)日本の戦争に対し影響を与えた人物である。
皇族の軍人は、皇族という政治側の体制にもあるわけで、下記を含め軍人としてはお飾りの事例が多いようだが、彼に関しては自ら率先垂範ということで最前線に立ち、常に部下と苦楽を共にするのを厭わないという話が多かった。さらに皇族の風習をむしろ軍隊内では持ち込まない(昼食が他の軍人と同じにぎりめしだったとか)、さらには優秀な人材を選ぶ目を持っていたということでリーダーシップを取れる人材であったようである。
ただ一方この出自もあって、カリスマ性ということを第三者が使うようになってしまったことは不幸だったようである。このようなカリスマ性にからんで北原白秋作詞、海軍軍楽隊作曲による国民歌「伏見軍令部總長宮を讃え奉る」も作られている。なお国民歌というのはNHKラジオやレコードしかない時代背景から、この場合海軍のコマーシャルソングと考えるのがいいだろう。
同時期、陸軍には閑院宮載仁親王という皇族の陸軍軍人がいた。現場(戦闘)経験はあるものの皇族ということもあってこちらは実務にはあまり関与しなかったようであるが、こちらはイケメンということから、其の見方でそれなりに人気もあったようで、北原白秋作詞(またか)、陸軍戸山学校軍楽隊作曲による国民歌「閑院参謀總長宮を讃え奉る」も作られた。
つまり、こういうのは本当は宗首国だった日本のやってることをむしろ踏襲しているということもいえる。まあ、中国でも過去東方紅の一時期の歌詞のように事例がないわけでないから、類似例は結構世界にある。
ただ、其のことを知って「トップをたたえる歌を流布させるのは、いまやそれは国際的には通じない」とか言うなら意味もあろうが、其のあたりの文化的バックボーンを述べずして、単に揶揄するような行動は批判を受けることもある意味当然であるというう覚悟は持って、其のうえで行うべきである。

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