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人生目標をフライングゲットするのではないか(2/2)

(承前)
ところで年末年始のTVの中には、新人の女性ピン芸人キンタロー。が31歳になって養成学校に入って1年で売れれ始めたのに対して、「なぜこの年齢になって(こんなつらい業界に)」ということを言う人はいた。
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けど、考えればこの年齢で新たな世界に挑戦するのか、しなければならないという問題になったのかはおいておいて、そのような一回別の仕事をしていて賞を得ているというなら、それのみでいくというのも歩きもする。前歴の資質をある程度再活用して新たな世界を拓するというのは、ある意味今のキャリア構築の手法かもしれない。
案の定こういう記載がある。
----------------引用
【エンタがビタミン♪】「29歳で全てを捨てた」。前田敦子ファンから叩かれても決してめげない! キンタロー。の覚悟。  Techinsight Japan 2013年01月12日16時00分
昨年、お笑い芸人のスギちゃんがブレイクしたばかりの頃、彼と共演した芸能人が自身のブログでよく話題にしていたものだ。それと同じ状況が今、元AKB48前田敦子のモノマネで話題のキンタロー。にも起き始めている。
まずは、1月4日付の品川祐(品川庄司)のブログ『品川blog』。題名はズバリ“キンタロー”だ。彼女の顔面の大きさが「オリラジのあっちゃん並み」だと驚きつつ、モノマネの面白さとキレのあるダンスを褒めている。

また、元モーニング娘。の久住小春が1月11日付の自身のブログ『Koharu』で、キンタロー。と食事を共にしたことを写真付きで報告している。仕事で共演し、連絡先を交換した仲だという。他にもバラエティ番組で活躍するアイドルらが、「ぜひ、会いたかった!」とキンタロー。と共演できたことを喜んでいるのだ。
昨年末に一部の前田敦子ファンから激しい抗議を受け、ブログが炎上状態になったキンタロー。数は減ったが、今でも彼女を誹謗中傷するコメントが入っている。この件について彼女は1月2日の自身のブログ『キンタロー。の人生はキンキンキラキラや~』で、“新年の御挨拶”としてこう述べている。
「私はお笑い芸人になることに全てをかけ、29歳で仕事を辞めて上京してきました。」
学生時代には社交ダンスの全国大会で第4位に入り、大学卒業後は社交ダンスの講師をしていたという現在31歳の彼女。その安定していた生活を捨て今から2年前、夢だった「お笑いタレント」を目指したという。このブログからキンタロー。の並々ならぬ、“お笑いの世界で生きて行く覚悟”が伝わってくるのだ。
スギちゃんが昨年準優勝したピン芸コンクール「R-1ぐらんぷり」に、キンタロー。は今回から参戦し予選を勝ち抜いている。彼女には松竹芸能として初の優勝を目指し、頑張って欲しいものだ。
---------------------終了
「その安定していた生活を捨て」というのは推測が混ざっているが、同じようなことを考えてる人がいるようだ。
さて、そういう表層的視点ではなく、キャリア形成の重層化という視点で見てみよう。
---------------------引用
http://diamond.jp/articles/-/30109(抄)
これからのビジネスマンも、人生は2回やってくる
伊賀泰代氏 アスリートの方は、人生(キャリア)が2回あるといわれますよね。そういう意味で、為末さんは引退後もさまざまなこと、独自のことをなさっていて、興味深く拝見しました。
為末 大氏 ありがとうございます。そうですね、アスリートは選手としての人生、そしてその後の人生、人生が2回あるということをよく言われます。
 僕たちは競技人生では勝利設定がとてもハッキリしていて、目標との距離感も明確なんです。そんな環境で生きてきた選手が引退するときに悩むのは、社会に出たときに、勝利条件の設定が明確ではないということです。お金持ちになりたいのか、家庭を大事にしたいのか、今まで見えていたような明確なゴールと同じようなものを社会にも探してしまうというか。
伊賀 自分の位置が把握しにくいってことですよね。世界ランキングやタイムという明確な基準がアスリートの世界にはありますが、引退すると、そこまでハッキリしたものはそうそう見つからないですよね。偏差値で大学を選んで来た学生が、人気ランキングの上位にある企業に就職したがるのも、自分の基準が見つけられないからなんです。アスリートの方は、最初の人生での基準が一般の人に比べても相当に強烈な分、2回目の人生での勝利設定が難しいのだと思います。
為末 はい。僕自身も、今はそれを設定する途中でもあるんですよね。 割と乱れ打ちのようなところもありますが(笑)。でも、そういうときこそ「自分で選んでいく」ことが重要なんじゃないかって思うんです。
2回目は、自分の意志で切り開く人生
為末 自分の人生を「自分のもの」として捉えることの苦しさの面と、実は面白い面、人生をコントロールしていいんだということも、伊賀さんは『採用基準』で書かれていましたよね。自分の人生を自分の人生だって思うことって、実はとても難しいと思うんです。つい人って、何かがやってくるのを、誰かが言ってくれるのを待ってしまうんですよね。「自分ごと」として自ら選びにいかないというか。
伊賀 多くの人に言えることですよね。
 最近思っているのは、アスリートに限らず、私たち一般の社会人にも2回目の人生を自分で設計することが必要だと言うことです。寿命も長くなっているし、定年が延びるなか、ひとつの会社で65歳、70歳まで働ける人は必ずしも多くありません。1回目の人生は、良い大学に入って、良い会社に就職して、ばりばり働いてと、親とか家庭の環境、もともと持っていた才能によって「自然に選ぶ」人生です。なんとなく、流れでそうなったキャリアとも言えます。
 一方、2回目の人生というのは、自分の意志で作る、切り開いていく人生です。マッキンゼーの卒業生でも、若い人が自分のやりたいことをゼロから考え、ビジネスとは全く違うキャリアを選ぶようなことも多いんです。一方、安定した大企業に入ると、配属で部署も決まるし、やるべき仕事も指示されるので、自分の人生を選んでいくっていう感覚を忘れてしまうんですよね。(後略)
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もっとも私は、この伊賀さんの意見を必ずしも的を得ているとは思わない。偏差値で大学を選んで来た学生が、人気ランキングの上位にある企業に就職したがるのが、自分の基準が見つけられないというのは短絡性が高いと思う。
MBAに進んだアメリカの学生が、積み重ねてきた学資ローンの返済を円滑に行うには、人気ランキングよりも高値で自分の価値を買う企業に売ることのほうが優先であるときくが、本邦でも学資などで投資を、家族(お金の面)なり自分(時間的投資)がしてきた以上、投資済み資金の回収を確実に行うことのできるのは、給与のランキングも高い人気企業に集まるとも言える。また、おいしいと思う物を作っていても評価手法によって評価は社会に取り入られるかで、生活できるか否かが決まるように、若者には自分の基準というもの自体は、第三者にの汎用性がもともとないという判断基準を持っている場合も大きいと思う。人って、何かがやってくるのを、誰かが言ってくれるのを待ってしまうのは確かに問題なのだが、自分からことを起こすこと自体が社会の調和を乱すと認定されて排斥されるというのが多くの現象であり、これを愚直にこなすことは、単に飢え死にするだけというほど、確率論の社会になっているのもまた事実だと思う。
ただし、安定した大企業に入ると、配属で部署も決まるし、やるべき仕事も指示されるとしても、もし途中で管理業務に昇進していたり、急遽業務内容が変化したとした場合、其の段階である意味、君子豹変するなりの意識改革をしなければ放逐されることが多いと思う。だから、安定した企業でも意識を持つ人は意識を持つし(管理職になったらいきなり「ある意味悪人」に豹変したという人も知っている)、これはあくまで当人の意識の持ち方である。

このように安定した大企業としても結果的に異動で関連ない業務をこなす羽目になることは、其の時々の社会情勢で起こりうる。それが自分の描いた人生でないと感じたら、考えることをするものの中には企業を辞めることにより意欲を持った人生を持つことになるし、それで切り替えができずやめたまではともかく以降は・・・ということにはなりそうである。
まあこのことを認識するのは私も、企業の技術者から技術者の知識を持って独立した人間だからである。もっとも私は企業にいて、問題意識を持っていた中で、結果的に独立を余儀なくされた側面があるから、純粋な意味では異なるがかれこれ10年、企業に関わりながらもそれに従属する姿勢は持たずにやってきた人間である。だから、伊賀さんの理由導出は全面的には賛同できるとは言わないが、少なくとも資質は溜め込み、志向はリセットを時々行うことで、攻めの人生を歩む意図を持っている限りは、生きてる実感を味わうことができるという姿勢は、同感するところである。
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そういう見方をするとしても、彼女はダンスをやっていて実績を一応残し、郷里で(社交)ダンスの指導員をやっていた(資格も持っている)というのなら、まあ苦労はするだろうが食っていけないというのではなかったと思う(アルバイトなどもしていたようだが)。ただし、そこは、もしかしたら大学に入って、就職をして(企業ということではないようだが)、ばりばり働いてと、環境やもともと持っていた経験・才能によって選ぶ人生であるというのはあながち間違いでもなかろう。競技ダンスというならまさに運動部と同じメンタルであろうから、アスリート的なのだろう(まあ、キレキレの踊りを見ると、一定のレベルは確保しているのだろうし。)
そして30になって、、自分の意志で仕事を作る、切り開いていくということになって、競技人生では勝利設定がとてもハッキリしていて、目標との距離感も明確なのだが、教授稼業ではこの点に明確さが見出せないとかあるのだろう。その意味では演芸は、社会に出たときの勝利条件の設定がある意味明確といえる。だから、彼女が31歳になって養成学校に入ってというのは、リスクもあるがある意味社会人経験をしているから大化けするのではという見方もできそうである。
社会人経験をかなりしてから演芸界に入ったという人は実は多く、モノマネでは桜井長一郎(歴代総理大臣のモノマネがおなじみ)を含め枚挙がない。タモリもそうだし、エド・ハルミもそう。実は比較的いるものである。ただこの人たちはサラリーマン生活が、直線的志向ではいられなくなった問題意識を持っており、これが顕在化しただけではと思う。

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