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洋鬼運動場

http://www.jcp.or.jp/faq_box/001/990429_faq.html
〈問い〉 東京都知事になった石原慎太郎氏が中国を「シナ」と呼んだことについて、「差別的だ」という批判がでました。このことばは、なぜ差別的なのでしょう。(和歌山・一読者)
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 〈答え〉 「シナ(支那)」ということばは、中国古代の王朝の一つ「秦」が語源といわれ、英語の「チャイナ」も同じ出所だとされています。日本にも、仏典を通じてこの名称が伝えられ、江戸時代にしだいに普及し、明治時代にも引き継がれました。

 このように、「シナ」は、外国人が中国を呼ぶ用語として、それなりの歴史的根拠をもっています。しかし、問題は、それが、戦前・戦中、日本の中国侵略と結びついて、中国にたいする侮蔑語として使用されたことであり、中国国民はこの呼称を拒否しています。当時、日本政府は、「中華民国(中国)」というその時期の正式国号を無視し、ことさら「シナ」、「シナ人」などと呼んで、中国と中国人をさげすむ態度をとりました。これは、中国侵略戦争のさい唱えられた「膺懲支那」(「支那を懲罰せよ」)などというスローガンに端的に示されています。
 戦後は、侵略戦争への反省を重要な柱とする憲法が施行され、中国(1949年10月以降、正式名称=「中華人民共和国」)との関係でも、日本は「戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」(1972年の日中共同声明)ことを確認しています。
 こうした歴史の真実を直視すれば、中国を「シナ」と呼ぶことは、単に時代錯誤というだけでなく、過去の侵略戦争への無反省がその根底にあることは明らかでしょう。
 中国の当局やマスコミは今いっせいに石原氏の一連の発言を批判しています。三月十二日の新華社電は、「戦時中日本が中国を侮辱するために使った『支那』」を口にしている石原氏は「大日本帝国の思想を持った」人物である、と指摘しました。(平)〔1999/4/29(木)〕 
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「シナ」は地域名を指す言葉としては英語の表現(果てはインターネットの名前などでも)からみるとも問題ないが、今は国家や民族に対してはこの言葉を使っておらず、むしろ言葉としては不適切とする意見が多い。とりわけ、漢字表記の「支那」について否定的な意見が多く、日本のメディアでも意図なくして基本的に使用されない。
こう考えると地域の特産物を意識したのなら「支那そば」ならいいものの、それを食したりして文化としている人をベースに考えると「中華そば」としなければならないんだろう。(そしていまや「支那そば」は本家中国のものとは(一部の例外を除くと)別物といえる状況になっている)
しかし、この場合の「シナ」が「差別的だ」というのは、過去の日本の行動がそれを忌避する言語にさせたということになってしまうわけである。しかも正式国号を呼ばないとなるというところに関してはでは英文呼称ではChinaが入るんではないかということになる。
まあ政治的意図という側面で文句をつけているだけという意見がないわけではないが、現状の場合は両方の認識のずれがあり、あえて使用する人間の反中国アピールのためにツールと化してしまっている。かくて恣意性を持ってしまうような言語は使わないほうが生産的という気は私はする。とはいえ、しょうゆ味のさっぱりしたラーメンに限っては、「支那そば」のほうがぴったりくるなあという感じも捨てきれないのがつらいこと。
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けど、中には明らかに文句がでたら問題なのに、あまり苦情が見当たらないというものもある。

見た目はちょっぴりヤンキー、心はガラスのハートのたかみなこと高橋みなみ
まあ、高橋みなみがこの言葉に相等しいかは別として、ヤンキーは、アメリカ合衆国北東部に住む白人に対する俗称で、アメリカ人全体に対する言葉にもなっている場合もある。この語彙は米国国内でも蔑称となっている場合もあり複雑だが、一方ニューヨーク・ヤンキースとか、新旧のヤンキー・スタジアム というのがあるということを考えると、蔑称という見方もあるようだが、「それがおいらの生き様さ」というようなプライド・ダンディズムも感じるところがある。
アメリカと経済格差がある国々、非白人がマジョリティの国々(特にラテンアメリカ諸国)では 現在もアメリカ人などに対する蔑称として使われるケースも多い。そして、日本においても戦中からしばらくはアメリカ人への侮蔑的意味合いを持つ言葉として用いられ、その際日本ではヤンキーを洋鬼という漢字で充当するほどであった。どうも、北朝鮮などでは「アメリカ人」全体の蔑視語として今もこの言葉を用いているのは、この当時の流れも伝わってる可能性もある(まあ敵対している以上そうなるのかも)。
けど、蔑称はまあプライドから甘んじるとしても、これがもし不良少年少女というか粋がっている若者という表現になっていると聞いたら、アメリカ人は、頭抱えるだろうなあ。
ヤンキーの兄ちゃんのうた 嘉門達夫 歌詞情報 - goo 音楽


そうかんがえると、そもそも国の間の蔑称などは、あくまでその国のあいだの文化的社会認識の間の積み重ね、そしてそれを事大に構えないという心理的特性によるような心がけをしなければならない。けど、それはお互いに心理的に代替できるものがあるという余裕があって、多少斜め上の対応というもの出てくれば、これはひとつの対応である。
日本鬼子は、主に中国語圏(中国・台湾・シンガポール)で使われる日本人に対する最大級の蔑称で、「鬼子」は中国語圏において「人でなし」という蔑称である。だが、日本では「鬼」を「力強い象徴」として崇めるうえにあまつさえ「ラム」のようなアニメの事例もある。そのため、「萌えキャラ」として侮蔑の意味を無くす活動が始まって中国でも知られるようになった。
このような斜め上の視点が相互に成り立つのはごく珍しいものである。そして概して小さいな恨みは無意味な意識の急激な拡大を生じる。そして其のネタはどこの国同士でも顕在的にあるようなのである。

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