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理念先行

あらためて、「蟹工船」をよんでみた。
死後50年たって著作権フリーになっており、いまではサイトからダウンロードして読める時代である。http://www.aozora.gr.jp/cards/000156/files/1465_16805.html
1929年に雑誌『戦旗』で発表された小林多喜二の小説で、いわゆるプロレタリア文学の代表作とされている。
国際的評価も高く、いくつかの言語に翻訳されて出版されている。また、一般的な小説と異なり、この小説には特定の主人公がおらず、蟹工船にて酷使される貧しい労働者達が群像として描かれている点が特徴的である。
船は当時の労働法規の適用外だったようで、東北一円の貧困層の出稼ぎ労働者に対する政府・資本側の酷使がまかり通っていた。劣悪で過酷な労働環境の中、暴力・虐待・過労や病気で次々と倒れる。労働者は権利意識に覚醒し、指導者のもとストライキに踏み切る。
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再脚光のきっかけは作者の没後75年にあたる2008年(平成20年)、毎日新聞の朝刊文化面に掲載された労働環境の悪化に関する対談といわれる。これで古典としては例年の100倍の勢いで新潮文庫が売れたと言う。またこのあと各国の言葉の翻訳がでているようである。

私がよんだ20年以上前、いまひとつ私には印象が薄かった本である。まあ脚本の底本としてはイメージしやすいしいいのだろうが、このような過酷な労働条件が当時の私にはぴんと来なかったのかなとおもうことがある。だからこの年齢になれば意義がわかるかなとおもったのである。
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けどわからないものはわからないものだと思った。
確かに、其の書き方に関し、論理的なり筋道を立ててこれは『手の届く社会の中での問題要因を抽出する』ということは成功しており着眼点は非常にいいのであろう。(ちなみに実在の事件を題材にしている)しかし、ここでは理念先行の問題解決論に終止し、特に現場監督の立場に対し(『最後の最後にこれとて「監督や雑夫長等が、漁期中にストライキの如き不祥事を惹起させ、製品高に多大の影響を与えたという理由のもとに、会社があの忠実な犬を「無慈悲」に涙銭一文くれず、(漁夫達よりも惨めに!)首を切ってしまったということ。』と言う記載がある。)結果的には同胞であると言う認識はあるようだが。
今、このような生命の存続が危ういほどの搾取非道は滅多にないように見える。この物語は、民衆が貧困であったという前提なくしては説得力を持たない。貧困のベースが当時よりかなり底上げされたことから実感がわかないというのである。しかし、何日も徹夜した結果納入するSEたちのプログラムと言う場合も下手すると生命の存続が危ういほどの状況を「搾取と言う状況を意図せず、真綿で首を締めるごとく」とみなすことを考えると、貧困が相対的であるだけで問題はそう代わっていないとも言える。
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現在の日本は、過度の貧困というものはなく、少なくとも今のところは生きることが出来る。社会の底辺が当時よりかなり底上げされたとおもっている。確かに全体にかさ上げされたというのはあろう。過去状況の蓄積が今の私たちの生活であるということを認識するためにこの本の存在価値は正当である。
ただし、人は確かに今目の前でパンがなければ其の先がないと言う現実に遭遇するもの。

「人の生くるはパンのみに由るにあらず。神の口から出ずる一つ一つの言葉で生きる」(新約聖書マタイ4:4)

真で至らない貧困や騒乱状況で食事とて無理な段階では成り立たないともいえる。神の口から出ずる言葉というものは直接的には神の御言葉に養われた言葉、広義には倫理規範や道徳的価値観というものになるだろう。このことは聖書で示されたガイドラインを意識して生きてくださいということであろう。また、パンとは何をしめしているかは、物質的な利益という解釈が普通なのだそうだ。

しかし、そのキリスト教自体もすべての国・地域で同じ倫理規範や道徳的価値観になるかというと、環境・社会通念などで、まず矛盾しない構成は無理である。各々相反を許容しながらばましだましということになっているのではないか。
たとえば、経済的に厳しい情勢にある現在、実は公平性の議論は残るが一番明快な解決法は、なんと現在の香港のような境遇で日本が中国に管理されることという計算も単純に心理状況や隷属意識を無視したら、経済建て直しの成功率が一番高いという見解さえあるのだから、こうなると「生きる」と言う根本的な定義の問題に係わってくる。ようするに、「パン」すなわち物質的な利益全般を得ることを第一義方針と定めた世界に私たちが生きている場合、人間個々の道徳的価値観をなくすことで目標が達成されると言うことでは、中庸をとるのが一番双方の利得を有効に得られないことになるわけである。
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当時の帝国主義の本質には弱者を作り出すことが前提で社会が回るものであると言う前提が付きまとっている。しかし、その後のいかなる無産主義においても、これらの平滑化を行った行為が逆に新たな差別をおこなうことになり、そこをエンジンとして社会が回ることは避けられない。原始共産制に限っては確かにないことになっているが、原始共産制の社会を回しているのが資本主義社会の経済活動に組み込まれた資産を使っているわけで、其の希少価値性を使って内部と外部の矛盾を存置したまま動かしているの過ぎないし、それさえも否定した原始共産制は社会を急激に衰退するものにしかならなかったのだから。つまり、どのみち弱者を作り出すことが前提で社会が回るということを前提にしてと言うことを考えると、実は明確な「敵」を設定し、団結することはひとつの過渡的な姿であるが、それ以上の確実な実現性の有る問題解決には至らないおのずからの限界がある。
つまり、これらの戦いは当時の水準では正当性を訴求するべきものであったが、連関が相当遠くの世界・・・国際社会とか・・・に繋がっていることが認知された段階では、理念先行でしかなく空理空論の影響を無視したものに他ならない。倫理規範や道徳的価値観を設定していった場合、其の資本をまわすべき「パン」とどう折り合いをつけるのかということである。
当時は衣食住の質が低いが、また低くてもかまわない価値観を容認するしかなかったのだが、現在は資本形成がされうる環境になければこれらの争議は該当者の命を摩滅するまで繋がるところがある。連関がかなり深くなっており、ローカルで背負える範囲を超えている。(もちろん自虐自暴的な場合もあるのだが)

 現在は過去の蓄積(正負両方の)だ。現在に生きるには過去の状況を知っておくという意味でこれは良書である。しかし矛盾を内包しているのと、頭の中だけで、身近なところだけで考えたという倫理構成の限界も見えているという解析的手法も伴わないと意味がないという、熱気の裏にある感性的推論の危うさが筆者はまったく認識していない怖さと言う、むずかしい立ち位置の小説であることを、気にして読むことが出来るであろうか。

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