« 気仙沼線が・・・かわる(2/2) | トップページ | 妄想「力」自慢(1/2) »

最後にラッシュのごとく

自虐の詩:業田良家による4コマ漫画作品。『週刊宝石』(2001年に廃刊)に1985年1月4・11日合併号~1990年8月2日号連載。あらためて本が手に入ったのでこの休みに読んでいる。
(上)http://www.amazon.co.jp/%E8%87%AA%E8%99%90%E3%81%AE%E8%A9%A9-%E4%B8%8A-%E7%AB%B9%E6%9B%B8%E6%88%BF%E6%96%87%E5%BA%AB%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88-%E6%A5%AD%E7%94%B0-%E8%89%AF%E5%AE%B6/dp/4812401267
(下)http://www.amazon.co.jp/%E8%87%AA%E8%99%90%E3%81%AE%E8%A9%A9-%E4%B8%8B-%E7%AB%B9%E6%9B%B8%E6%88%BF%E6%96%87%E5%BA%AB%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88-%E6%A5%AD%E7%94%B0-%E8%89%AF%E5%AE%B6/dp/4812401275/ref=pd_bxgy_b_img_b

男性サラリーマン向け週刊誌『週刊宝石』のショートコミック枠に掲載したもののうち人気のあった「幸江とイサオ」シリーズに一本化され連載。
ブログランキング・にほんブログ村へ
シリーズ初期は、怒るとすぐにちゃぶ台をひっくり返したり、金をせびるばかりのイサオとそれに従う幸江といった構図のギャグ(一般的4コママンガ)だったが、中期以降(下巻に相当)幸江の子供時代の回想が混ざっていく。現在と過去の対比という形のもなるにしたがって ストーリー4コマ (各4コマごとにオチをつけながら、物語としては完結させずに次の4コマに連続させ、複数本の4コマが総体として1つの物語をなす表現形式)になってくる。幸江の小学生編・中学生編を経て最終回に突入していくドラマチックな展開はある意味連載後期に心理的に変わってきたという可能性もあるのだが、上巻でギャグとして読者をマンネリの世界で安心させておいて、あとでじわじわと言いたいことにひきずりこんで「顧客を一定量捕まえてからかく乱して、本当の妙味を出して」いくというのは巧妙である。

ただ筆者に最初からこのようなストーリーで締める発想があったのかというと、私は疑問に感じている。というのは、古谷三敏による『ダメおやじ』(1970~82)のように、親父が威厳がなく奥さんにドメスティックバイオレンスを受けているという当時としては常識外の世界のギャグとして成立していたもの(今なら無理ですね)から、10年の連載の後性格的なダメっぷりは相変わらずだが暖かい人間性から大会社社長に雇われることで内容は大転換するという方向に変わっていき最後にファミリードラマ的なギャグマンガになって終了するというのもあるわけだ。
そう考えると、このマンガを映画化したものはちょっと見たが商業的な意味では展開しにくい題材だなあと思ったのであるし、実際同じ中身であるはずの映画はなまなましすぎて評価しにくいと思っている。なにも主人公の郷里がWetな内陸だ適していたのに、映画では海岸地域に持ってきたこと自体に、守旧的「ムラ」的存在が原作のバックにあるのを理解してないなあとさえ思った(原作は福岡県朝倉市(旧、甘木市域)と言われ、映画は宮城県気仙沼市。まああまり出身地がいい場所と書かれていないためしかたがないところもあるんだが。映画はアジャ・コングがいいチョイス・適役だなと思ったぐらいで、阿部寛は役者の花と腕はあるが、私にはもうすこし無口な役者向けで配役ミスと思った。)。
---------------------------------------
まあ、上巻は前提条件を現状から展開しているだけで、ギャグも一本調子。苦痛に思う人がいると思う。時代背景を考えると仕方がないとは言え、あまりうまくない絵ということもあってその繰り返しのくどさにいささか飽き飽きする可能性もある。(これが出来たのは雑誌の連載と言う事情もあろう。)一気に読むのはかなり苦痛であるのだが、下巻に行くちょっと前からカットバックによる過去のストーリーが少しずつ混ぜ込まれてくる(過去の回想は二重線の枠で囲まれているので気がつくとわかる仕掛けになっている)このカットバック手法がとられたのは当初の複数のシリーズのオムニバス作品から人気のあった「幸江とイサオ」シリーズに一本化された時期から始まったのではと思う。つまりここで作者のほうにも、書きたいものがやっと見えてきたという感覚があったのかもしれない。

長い間研究をやっていたり、文章を書いていたりするとダレを生じるところはやっぱりある。たくさんのお仕事を同時並行的にしなければならない場合はそうだろう。業田良家氏が其の試行錯誤をしているのがチラッと見えてきたというのは、面白い感覚であった。ただそれが固まった時期の作品(たとえば 新・自虐の詩 ロボット小雪など)まではまだ手に取るのに私は時間がかかりそうである。
それでも最後の一文は、最初から読んだ人間だから心を打つ側面がある。
2
--------------------------------
少なくともこの「だめんず」の仕様は少なくとも『天体戦士サンレッド』に影響を与えてると感じる。いやそもそも「だめんず」を扱うとこうなるのかもしれないが。

|

« 気仙沼線が・・・かわる(2/2) | トップページ | 妄想「力」自慢(1/2) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/100146/55460923

この記事へのトラックバック一覧です: 最後にラッシュのごとく:

« 気仙沼線が・・・かわる(2/2) | トップページ | 妄想「力」自慢(1/2) »