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国家観自体融通無碍(1/2)

この前の月曜日の夜は眠れなかった。
こら、夜中に事務所の前の幹線道路を「怪獣大戦争のテーマ」所謂「自衛隊マーチ」を派手に流して走ったやつ。あまりにも時節柄気分が悪い。
第二次世界大戦の折技官の職にあり、軍事研究に協力したがその戦時研究での無理な実験計画の中で被爆した経験を持つ、作曲家伊福部昭氏の墓前に謝れ・・・・(怒)。
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まあそういう時期であるが、現下の対中国の状況に合わせて種々の意見がネット上に見られる。

(面白いのは対韓国に対する議論が今まったくないのである。これはどういうことであろうか。)もとよりこれらの意見は無償開放しており、また新聞などの公器の役割を持っていない。そして、これらを無責任だとか報恩感謝の念がないとか突っ込むのは、ブログ記事の本質的に第三者の意見を求める場所なる存在を履き違えてるなと思う意見さえ出ている。いかがかと思う。(意見を言うこと自体を否定はしないが、主義主張に個人の差異を認めにくい趣旨の書き方をするのはいかがなものか)
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以下4つを抄録するが、基本原典を参照いただきたく。
(1)http://kirik.tea-nifty.com/diary/2012/09/post-6e06.html
中国に対して理性的な態度を取るといっても、どう取ったらいいのか分からない人のために
(抄)尖閣諸島は日本の領土であり、領土問題は本来なく、日本の実効支配下にあるという従来の主張を是とする前提を延べて・・・
■中国人が尖閣諸島問題で怒る理由をよく理解すること
■中国の破壊的な反日デモと同じ民度で日本が反中デモをしないこと   『友好も抗議も国益を推進するための手段であって、手段を目的化させることがあってはなりません。・・・政治的なアピールをする以外の破壊的なデモに発展しないよう、留意』
■尖閣諸島を守り抜く民主党・野田政権の国防政策を支持すること   『民主党は気に入らないが、この時点で尖閣諸島を守り日本の主権を護持できるのは野田政権だけ。実際に職務にある日本人の足を引っ張るような話は、事態が緊迫している状況では控え、活動を阻害するべきでない。』
■何より考えるべきこと・・・『外交や、国民としての態度をもって、平和的・外交的手段が講じられるように、礼を失さず日本人として然るべき態度で接し続け 危機が去ってから、教訓を得て国民全体で議論』
投資家さん。
実はこの手法は一番リベラルなロジックに合う表現である。しかし国家の存在意義が確固とあり、国際的共通性の確保に対しては納得できるが、国家の枠はいまや無意味である人には納得行かないものである。
けど、この発言自体が日本的リベラルの限界であるという認識が出てきている。理性によって対処できるのはコモンな思考判断が出来る相手である。戦略的思考と恣意的思考がある相手には、説得力を持たないという説明能力のそもそもの限界を唱える人間には、このような時間のかかる手段は通用しないと思う。『話せば分かる』『問答無用』と同じ理論である。
私には正論であると感じる。しかしそもそもこのフローが理解できる人は『話せば分かる』人で、『問答無用』となる人には其の議論を既に切り捨てたり理解できない人である。
これとは別に、このようなロジックは本質的には翼賛的な思考と同じという見方をする人もいそうだ。日本人であることをこの際離脱する人がいてもいいのだがと言う配慮は欠けているのだが、具体的な第二次世界大戦時の翼賛報国と違うのは、日本の実効支配下にあるという従来の主張を是とするために外務省のHPをよく読んでから、『■中国人が尖閣諸島問題で怒る理由をよく理解すること』という行為を上段に持ってきているところにある。(最も記載内容は間接情報に偏ってしまっているのが如何せん翼賛状態に近いというのはちょっと否定できない)
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(2)http://www.satonao.com/archives/2012/09/post_3459.html
たとえ血が流されたとしても、ボクたちはまず落ち着こう2012年09月18日(火) 8:07:28
今日9月18日は、満州事変につながる柳条湖事件が起こった日で、中国にとっては特別な日だそうだ。折しも反日デモは(一部暴徒であるとはいえ)激化し、尖閣諸島には1000隻もの中国漁船が押し寄せようとしている。(この1000艙は現段階では誤報の可能性がある)
今日、どちらかの不注意もしくは故意で、不幸にもどちらかの国民の血が流されてしまうかもしれない。
もしくは、愛国心に燃えた誰かが相手方の要人を殺傷してしまうかもしれない。中国だけでなく、日本にもその可能性がある。国民みんなが激昂して騒げば、その勢いに乗って、日本人にそういう輩が出てこないとも限らない。
そうなれば完全に「有事」だ。一触即発の事態となる。
だから、ボクたちは、落ち着こう。興奮せず、激昂せず、理性的に受け止めよう。
過去の戦争の多くは、ひょんなことから始まっている。小さな事件が発端で、悪感情に火がつき、国やメディアに煽られ、いつの間にか民意が激昂し、一気に戦争に発展したりする。占領下とはいえ平和を長く享受した我々には想像しにくいことではあるが、軽い気持ちで騒いだり煽ったりしていると、あっという間に「まさかの戦争状態」に突入することもあり得るのである(アメリカが介入するとは思うが。でも)。
だからこそ、今日、何があってもまずは落ち着こう。興奮せず、激昂せず、感情的な言葉を不用意に発さず、いったん座ってゆっくりコーヒーでも飲んで、遠くの空を眺めよう。(中断)
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コピーライターさんに近い立場で、広告代理店勤務だったかた。
リベラルなロジックで趣旨は(1)と大きくは変わらないのだが、論議以前の感情の問題から来ていると感じたのか、この段階では「だから、ボクたちは、落ち着こう。興奮せず、激昂せず、理性的に受け止めよう。」というところまでで意識的にとどめている。やっぱり理性によって対処できることを否定する人間に対して、バイアスがある場面では効果がない側面があるのだが、それでも彼は繰り返して語る。『落ち着こう。興奮せず、激昂せず、理性的に受け止めよう。』と。(このセンテンスはこの後に繰り返し繰り返し出てくる)
感情と言うものが理性をないがしろにして勝手に動くことを、業務で知っている人なのだろう。『話せば分かる』『問答無用』という短絡的論理になることを読んで、そのような頭から受け付けない人が実はキーマンであると言う現実から、このようなわかる書き方をしたのであろうか。
もっとも、この後には絆という話がでてくる。
-------------------------------------再開
こういうことは政府と軍がすべてを決めるから、個人の想いや行動なんて無意味だ、と考える人もいる。
でも、ボクたちは無力ではない。民主主義のもと、個人の命=たった一票、と刷り込まれてきているが、そんなことはない。
ボクたちはいまやもっと大きな影響力を持っている。ボクたちはつながっているのだ。
フェイスブックの発表によると、一人当たり世界平均で約130人の友人・知人とつながっているそうだ。
あなたがその130人に伝える。(後略)
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これは、ひとつの答えではあるものの「激昂せず、理性的に受け止めよう。」という言葉を意図せず否定することになる。つまりみんながこの筆者のような資質でSNSなりの間接的ツールで伝えうるか、途中で曲がって伝えないかと言うことを彼は考えていない。何気なく書いている筆者のように、曲解がなく適度な緊張感を持って伝えうる資質がみんなあるとおもっている問題はあるのだが。
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(3)http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20120918
(中略)
実に残念なことであるが、日本がその一触即発の場に軍隊を移動し始めた先程の時点ですでに賽は投げられた、と私は受け止める。軍隊を移動する、というのはそのようなことである。まさか、その意味を理解していないほど今の日本内閣が惚けていないだろう。(中略)これは、中国に対する重大な軍事行動のメッセージにほかならない。
(中略)
事変にあたり、「理性的対応」を呼びかける声もある。評判を眺めると「そうだ、冷静に」「毅然たる態度で日本の民度を示そう」などといった声が多数みられる。「理性的対応」の内実は以下のようなものである。
(以下(1)の引用)
「戦争にならないように願いましょう」と書かれてはいるが、私の判断するところではこれは戦時動員の思考にほかならない。このようなことを書くと「非国民」と真顔で糾弾されたりするような状況にまたたくまになることも不思議ではないだろう。こんなものに同意してはいけない。さらにいえば、今の日本では交戦状態になっても「これは戦争ではない」「冷静に」と互いに頷き合って納得しそうな勢いでさえある。せめて、ファシズムとはなにか、ということをあらためて振り返ってもいいかもしれない。願わくば日本の人々の心と言葉と体があらんかぎり、自由であらんことを。私は祈らずにはいられない。
--------------------終了
研究者。実は、(1)よりさらに高次の話をしている。
まず前提として2人の考えていることは現状認識からして異なる側面があり、国の意識として最低限とみなす国威行為をしていても、既に受け取り側にとっては軍事行動となっている。
其の認識違いは基本的に意見を相容れないものにしているが、ではこの意見を今沈静させようとしている対象・愛国国民に向かっていっても、この文章は意見ということをはずして「ああ賛同者が現れた」と都合がいいように使われるかのしれない。
とはいって、「せめて、ファシズムとはなにか、ということをあらためて振り返ってもいい」と言う言葉に対して、対象とする人々は文献を探して読むようなことをするかと言うと、さてどうかなと思う。知的訓練を受けた人だから通じるが、大方の当事者には中に閉じこもっている言葉群に過ぎない。だから危惧する意見を呈するのは事実だが、1/0を判断の基準にする人材に、アナログ的バーニアを刻んだ「ファシズムとはなにか」と言う言葉を、自分の思い込みなしに理解できるかと言うとこれまた悲観的になるしかない。

ただ、ファシズムとはなにかということについては、確かに、そしておそらくとも伝達を簡単にするために意図的に(1)は簡潔に骨太に書いた結果、そう解されても仕方がない文章になったと私は考えている。
とりあえず、ファシズムとはなにかというのだが、(3)が推奨する記載から見るとこんな感じなのか。

○伝統崇拝であり保守主義のためモダニズムを拒絶し非合理性で貫かれている。
○行動第一主義と非合理主義の結合で思考することや文化志向は受け付けない
○非合理性を優先し、敵対者に対する判断分析力不足があるが伝わらない
○均質性の保持からくるナショナリズム志向・異質性の排除から異端習慣の蔑視化へ移行する
○多数意見なる一意的かつ欲求不満な中間階級と政治の結合・逆迎合(国民の生活が第一(苦笑))
○永久闘争・仮想敵・人民の英雄・分かりやすさ優先の語彙のスローガン化が継続的に推進される。

まあたしかにファシズムは政治思想における袋小路であろう。はいったら抜ける道は第三者の助力しかないという。一つの思想、集団がファシズムの彩りを帯びはじめたら、急いでそこから抜け出るべきである・・・・というのだが、よく見ると、これは本邦の政党や政治思想すべてにどこかの項目が引っかかる。つまりファシズムの彩りを帯びているから抜け出たとなればもともと居場所がないのではある。で、(3)は否定はすれども、ではどこに行くべきかということは言ったら自己矛盾になる。「日本の人々の心と言葉と体があらんかぎり、自由であらんこと」を実行するということは、実はかってにせいと言っているだけということしか、残念ながらいえないのである。
人文系の学者さんとしては全うな意見だが、行動第一主義の人に通じないどころか、ただ 外野でほえているだけと言うことになることを意図して言っているのかと思う。(続く)

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