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アナウンサーの自己主張(2/2)

(承前)
2009年3月13日(金)は翌日のJRGrダイヤ改正を控え、たまたま私は定食屋でNHK夜7時の定時ニュース『ニュース7』を見ていた。
番組の最後で東京駅の俯瞰に切り替わる。(毎朝、列車の運行状況をTVで流すので駅の近くにカメラがある)、東京駅発最後になったJRのブルートレイン(注:客車)の話題を流していた。この駅の映像と録画映像(発車時刻 18時のもの)に、武田アナウンサーが冷静にコメントをかぶせ、そのまま『右下にNHKニュース(終)』のタイトルがでて番組は終了した。

「多くの人の想いを乗せて九州へ旅立ちました。私もこの列車でふるさとを後にしました。さようなら」

えっ。渋いですねえ。
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「さようなら」は基本的には番組の終了を示すが、この場合はさようならというと個人の考えになりうる。二重に意味の有る言葉を使っている。

当のアナウンサー氏(武田 真一:NHKのチーフアナウンサー。熊本県立熊本高校・筑波大学卒)は、かねてから感情を抑えながらも当人の感受性を示したアナウンスをすることがあるので知られている。後にこのように書いている。
--------------------------------------引用
http://www9.nhk.or.jp/news7-blog/2009/04/
思いを込めて - 武田真一(2009年4月30日)
早速ですが、ブルートレインです。3月13日のニュース7の最後に放送した「はやぶさ・富士」引退のニュースの映像です。
この列車には、ちょっと、思い入れがあります。大学へ進むとき、熊本からこの列車で上京しました。飛行機のほうがずっと早かったのですが、初めてふるさとを離れる感慨を、ゆっくり味わってみたかったのです。
それで、ニュースの最後に、そのことをひとことだけコメントさせていただきました。個人的なことなので、どうかな、と思ったのですが、共感してくださった方からたくさんのお便りを頂きました。本当にうれしかったです。
普段は、「ニュース7」で、個人的な意見や感想を言うことはありません。でも、何も感じていないというわけでは、もちろんありません。どんな言葉を選び、映像をどうつなぎ、字幕やコンピューターグラフィックスでどう表現するか、私も、大勢のスタッフも、みんなひとりひとりが、実に細かいところまで考えぬいてつくっています。
そして、そのひとつひとつの作業に、ジャーナリストとしての思いやこだわりを込めているのです。
-------------------------------------後略
「ニュース7」で、個人的な意見や感想を言うことはできない。ストレートニュース(アナウンサーやフリーアナウンサー、ニュースキャスターが担当し、記者リポートやキャスターの私的なコメントなどは基本ない) のみであり予断・主観を思い切りはじいた報道形式である。そのなかでどうアナウンスをするなど従事者の感情をまったく使えないという手法である。事実と意見が分離されることを報道の旨とする。この報道方針は今はNHKの定時ニュースとニュース解説が番組を分けていることと、テレビ東京のニュース(これは経済関係は解説を入れるが基本番組を分けている)がこの方向性を続けている。このこともあるし、解説番組が割りと多いことからかテレビ東京のアナウンサーはバラエティー系の人もわりとニュースの基本知識をもっているようである。
アメリカのニュース・ショーでも基本、自分の意見は言わず、事実をありのまま伝えるがこれは事実と其の解釈をわけ判断基準を明らかにすることである。NHKもテレビ東京も基本的にこの報道方針である。
米CBSで夜のニュースを担当していたアンカーマン(=日本語の「キャスター」)ウォルター・クロンカイトなる人がおり、リベラルの見解を持って「アメリカの良心」といわれていた。たたき上げのジャーナリストで場数を踏んでおり、報道ではまず自身の意見など言わなかったが、一度だけべトナム戦争に対して反対の意見を述べた。
ベトナム戦争に対して客観的な立場からの報道を続けていたウォルター・クロンカイトは、「テト攻勢」が行われた直後「民主主義を擁護すべき立場にある名誉あるアメリカ軍には、これ以上の攻勢ではなく、むしろ交渉を求めるものであります」と厳しい口調で番組で発言した。(言外で戦争継続に反対を表明)ジョンソン大統領は、「クロンカイト(の支持)を失うということは、アメリカの中産階級(の支持基盤)を失うということだ」と嘆いたというぐらい信頼があり、以後、彼は本邦も含めた各国のニュースキャスター(北朝鮮を除くw)の見本となっている。
そう考えると、英字新聞記者からアンカーマン(アンカーパーソンのほうが正しい)となった櫻井よしこは、あんだけはげしい思想傾向を持ちながら番組ではまったくそのようなことをしなかった。あくまで報道は「定量性の担保されるデータの選定と提示行為で意図を示すべき」と心得ていたと言う。
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もちろん、アメリカではかつて、アンカーがニュースに対する私見を述べても良いか否かという議論があった。番組の終わりに自論のコーナーを設けたアンカーがいたが、上記のクロンカイトの経緯でテレビジャーナリズムでは「絶対の中立」の原則が定着した。
また、アンカーがどうしても自己の意見を表明したい場合、番組の構成に微妙なアクセントをつけることで無言のうちにそれを示唆する無言の主張が稀に行われることがある。それは厳しい表情で1〜2秒間沈黙したりであるが、これとて議論になる。この方法はどっちかというと日本ではストレートニュースではほとんどやらない(上術の事例が稀有)が『ニュースステーション』で久米宏がこの手法を取っていたのを記憶している。(最後にしかめっ面をするなど)私の考えでは少なくともここが「報道」としての限界であろう。意外なのは中国中央電視台を元とする、中国の国営TV群でも検閲に対しこういう手法をとってそれが流れた事例がある。
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他方早朝・夕方・夜のニュース番組がワイドショーのようになっている場合、ニュース司会者が意見を言うようにしなければならないが其の段階であくまで「事実報道」よりも「扇情的である事」を売り物とするイエロージャーナリズムにやや近いものになる。日本の新聞では一部のスポーツ新聞・かつての萬朝報(・・安い赤かかった紙をつかったことから、イエロージャーナリズムを古い人は赤新聞という語源になる)がそうであるわけだ。
そういえば、世界の新聞刊行数を並べると日本が上位に来るなかで、10位にあの「東京スポーツ」が来る。しかし6位にお下劣なBild (Germany )がきたり、11位にこれもトップレスの女性のページページ・スリー・ガールでお馴染みのThe Sun (United Kingdom)がくることを考えると、別に国にこだわらず一定の扇情的であるニーズは免れないと言うことになると考える。
まあ、「扇情的である事」を売り物とする「報道」は、やっぱり一定のニーズがあるが、ニュースと言いながらワイドショーというガシェット的構成(総合雑誌的構成ともいう。あまり海外では事例がないのだが、全然ないわけでもなく・・・・)では、意見と見解が分かれていかないという問題があり、また意見と見解が分かれていないからこそ、使い勝手のいい(が誤謬も多い)ソースとして普及をすると言う皮肉な問題がある。
こう考えると、「報道ステーション」にて古舘伊知郎氏は、(それなりに)勉強しているのはわかるが、報道といいながら、コメントを全部のニュースに意図を含めてつけるのは、報道と言う記載にはあわないと私は思っている。
また、クロンカイトの経緯でテレビジャーナリズムでは「絶対の中立」の原則が定着したものの、実はアメリカでもいまやすべての国民がそのような高尚な視点で固まっているとは言えず、逆にワイドショー的な、扇情的なものを売りにする事例も近年あるらしい。日本のワイドショーが輸出されたともいえるorz。
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最近の韓国とのいさかいを見ていると、韓国の国家内の問題・日本の問題と言う形で国交断絶に近い行動までおこなわれている。他国の罵倒はまあ、品性がないとかお互いが言うだけでいいのだが、各々の国内事情で排他主義が個々にエスカレートしているのはどうしたものか。
個人的には韓国とのビジネスで、あまりにも割り切れないことが常にあった。問題ない事例のほうが私には少なかった。(とはいえないわけはない)
○担当者同士は誠意を持って進めていた民間どうしの協業業務が「日本企業とやってる」ということで韓国側企業が市民に指弾され、技術情報のみが渡ってしまったあと突如業務休止(金銭対価は前払い分のみいただきましたが、技術情報を売っただけになってしまった。)
○技術人材交流が直前に国家方針でなくなる。(これは予算方針が変わり訴求して休止となったため。日本でも最近は時々あるが・・・)
○輸出した機器のクレーム対策で現地の会社に赴き、謝罪なり対策を提案したが、あらかたまとまった議論の時になんと一部の社員から慰安婦の話をだされて会議がひっくり返り、問題解決には全面謝罪と言う形にしかならなくなった。
このような、取っかかりはいいものの市民感情や面従腹背行為が多すぎたという経験が実に多い。其の個人同士では、親身な話が出来ていても、それを良く思わない人が一定数混ざって原理原則を出して紛糾してしまう。其の点中国文化の素地のみを尊重する前提なら、協業が成り立つ場合が多い(とはいえ、内乱とか起きればというのはしかたがないが)のが、どっちかと言えば中国の奥の深さだなあと思うことがある。
まあそういういみでまあ2国がもめるのはいずれあることだったとは思っていたのだが、かなりの場面で双方の国の多くの人が各種報道の「事実」と「解説」の混在している内容をを分離することが出来ないのも、火を注ぐ容易のひとつになってる。ネットニュースのようにストレートニュースで、元来「事実」だけを読み取る場合とて、記載の容量制限からか「事実」が不十分に伝わるしかならず、それを「解説」との混在で解するものだから、まあ全然形相の変わる見解をしてしまうことになることさえあるようだ。意見と見解は混在するからこそわかることはままあるのだが、文脈の中でその素材を見極めるような出し方をする情報源を用いることが必要であるし、聴取側にも其の姿勢がないと言いっぱなしになっちまうのだがねえ。

「多くの人の想いを乗せて九州へ旅立ちました。私もこの列車でふるさとを後にしました。さようなら」
この言葉でさえもぎりぎりの球であるが、第三者は用意にその意図することを判別できる内容である。またそれがどうしたと言われても社会では差し支えない程度の情報とも言える。しかし「事実」と「解説」には一定の敷居がある。そこを知っているだけでも問題認識の整合性は変わってくるだろう。
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もっとも、後日NHKの「はやぶさ・富士」引退の特番があったが、いきなり学生時代の後輩がいかにも「鉄」なりの格好ででてきて、あーあという記憶がある。(当人の名誉のためにいうと、ある種の飛翔体の設計技術では国内有数の技術を持つ人間であるが、もともと天然ボケの傾向もあり、あれではどうみてもオッサンのDNQ・・・・)
また私なんぞは「私もこの列車でふるさとを後にしました。」となるのはどう考えても近距離列車である153系急行「比叡」なんだがorz。

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