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アナウンサーの自己主張(1/2)

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夏目三久をスキャンダルから救った本 2012年08月25日(土) 07:20
 テレビ朝日『マツコ&有吉の怒り新党』では、女子アナ嫌いのマツコからのイジリにも涼しい顔で仕切り、ついに春からは初の冠番組『ナツメのオミミ』を持つまでにいたった夏目三久。そんな彼女が、「心が折れそうなときに支えられた本」を、現在発売中の『日経WOMAN9月号』(日経BP社)で紹介している。
 取り上げたのは、伝説の元NHKラジオアナウンサー・中西龍をモデルにした三田完の小説『当マイクロフォン』(角川書店)。夏目がまだ日テレ在職中、思うように仕事ができず落ち込んでいたときに、担当番組の道具スタッフから渡されたそう。インタビューでは、そのときの感想を、
「技術を磨き大成する主人公の姿に“初心を忘れず、努力して頑張れよ”というメッセージを受け取りました」
と述べている。
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 しかし、彼女が取り上げた『当マイクロフォン』、20代の女性が共感するにはいささか破天荒すぎる物語なのだ。たとえば、中西が新人として赴任した熊本放送局では、仕事は順調ながら女性を巡るトラブルで脅迫電話がかかってくるようになり、わずか1年足らずで鹿児島放送局に異動。しかし、鹿児島では上司の勧めで見合いをするも、遊郭の女性との関係がバレてしまい、あえなく旭川への転勤命令が……。こんな具合に、地方局を次々と流転するのだ。一体どのあたりが、社会人1年生の夏目の参考になったのだろうか……?

 そういえば夏目も、スターアナウンサーとして期待がかかるなか、入社まもなくスキャンダルに襲われた過去がある。とくに新人の女子アナにとっては、周囲の視線の厳しさだけでなく、番組の降板を命じられるなど、辛い思いも人一倍体験したはず。そう考えると、逆境のなかでも自分らしさを捨てず、ラジオアナウンサーとして一躍人気を集めるまでにいたった中西に、夏目は自分の姿を重ねあわせたのかもしれない。
 いま、実力勝負のフリーの世界で奮闘する彼女。女子アナとしてはとても珍しいベリーショートを美川憲一のようだと揶揄されても、我が道を行く態度は清々しいもの。「意志の強さが感じられる」「ほかの女子アナのように甘えていない態度がいい」と、視聴者からの評価も上々だ。どうかこれからも、スキャンダルに負けず独自の芸を磨きあげた中西のように活躍の場を広げていってほしい。
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アナウンサーさんには新劇などから入っていった人は多い。決して報道畑というものでない場面もある。そのような職人肌のアナウンサーと言うのは、民放が出来る前のNHK(当時は戦時中の徴用に伴う配置を除いてアナウンサーは男性であるという常識だったと言う)や、民放の初期のアナウンサー(それらは外地のNHK系列のOBとかNHKをやめた(中にはGHQのレッドパージで退職させられた)人も又多かった)にはこのような一芸に優れた職人かつ、第三者のそねみ・ねたみ雑音をうけてもなお超然とする世界を貫くのは、ストレスも多いが又ひとつの生き方なのだろう。

ところで中西龍(なかにし りょう)というのはNHKのアナウンサーで後にフリーとなるナレーションで活躍した人だという。一瞬思い当たらなかったのだが下のVOICEを聞いてははーと思う人は多かろう。NHKらしく(アナウンサーはBBCの影響からか自分の私見を語ることは、傲慢だと言う視点があり、ニュースキャスターというシステムもアナウンサー職ではなりたつのが遅れた)自分の個人的なことを示すのは「当マイクロフォン」は・・・といって語ったと言うことにこの題目が有る。

「歌に思い出が寄り添い、思い出に歌は語りかけ、そのようにして歳月は静かに流れていきます。」

これは15年ほど担当していた(NHK退職後も継続)で印象ある。主にナレーターとして活躍した人らしく、あまりにも特徴が立ったナレーションで請われてほかのメディアにも上述の本の筆者、三田完は放送作家であるが、かつてはNHKで番組制作を中西龍の同僚としてやっていたようである。

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まあ、夏目さんのことよりも、私は、思うように仕事ができず(新人としてであろうが)落ち込んでいたときに夏目さんにこの本を渡した担当スタッフ(番組の道具スタッフ)というのは粋だ人なあと思ったのである。
意図せずにせよ夏目さんは、「共感するにはいささか破天荒すぎる物語」を自分でもタネをまいてしまい、又第三者がこれを元に騒動化してしまうことになった。独自性に自分の価値創造の結果を反映することにした決意がいまのあるように見える。有る意味失意の彼女を救ってくれたテレビ朝日(彼女はテレビ朝日のやっているアナウンサースクールの出身である)が縁となる結果ではあろうが、「生身の人とのかかわり」というのももしかして人生塞翁が馬と感じているのかなあと思うのである。そうでなければ、おとなしそうにして何もしていないように見えながらその実あそこまで硬軟使い分けた番組進行を強烈な相方(普通の番組進行ならつぶれる)相手に出来ないだろう。
もちろん放送関係に係わる人には、中西龍氏はナレーションでは有名であったのだから本の存在は知っていたのだろうが、若い彼女にここぞと言う時にあげたということにちょっと妙味を感じる。このように人生に関してちょっとしたつっかえ棒となる本は、マスコミに載って知るのではなく、「生身の人とのかかわりの中で寄り添ってくる」のかなあとちょっと感慨深い。(続く)

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