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フードスタンプがすべて救世主とおもわわれても(2/2)

(承前)
フードスタンプ(Food Stamp)という公的扶助の一つがある。アメリカ合衆国で低所得者向けに行われている食料費補助対策。
生活保護を受給できればまだマシな方という場合もある。雇用保険も生活保護も受給できない人が世の中には存在する。山谷(東京)、釜ヶ崎(大阪)と並ぶ日本3大ドヤ街の1つ、寿町(横浜市中区)を抱える横浜市では、生活に困窮した受給対象外の人々への緊急援護として「パン券(食券。寿町にあるスーパーや食堂など指定の4カ店で714円分の食料品を購入したり、食事ができるもの)」と「ドヤ券(宿泊料1,500円までの簡易宿泊施設に宿泊できる)」を配布している。
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記録によると配布は早いもの勝ちらしく横浜市中区役所での配布には早朝から人が並ぶらしい。ただし、寿町2~4丁目と区役所とは2キロぐらいの距離がある。そして区役所は横浜球場や公園が間にあり観光地として整備されているところである。(寿町には福祉系の官庁もあるのだが・・・)
これらも2006年に制度が変わっており

「日々の緊急援護」より「ホームレス等に自立を促す援護」で「食券」と名称変更
食券と宿泊券は併せて支給。ホームレス状態では援護を行わない
援護を希望する方は、中福祉保健センターで面接を行い「常勤雇用」か「日雇生活」を選ぶ。

となっている。つまり、緊急援護のつもりでやっていたことが定常化しているため、意義が変更されて生活保護のサポートを市が自主的にやっているということになる。この段階ですでに普通の常勤雇用者が使用するように配布のシステムになっていないことがわかるため、アメリカの事例とは本質的に補助の対象者が違うと言うことであろう。フードスタンプ制は低所得者補助であって生活保護とはもともと違うんだが、横浜市の現場でも既に其の差をつける状況にはない。

ところで川崎市でも同じようにフードスタンプを過去(平成6年から平成18年まで)やっていた。
現在では生活保護費が膨れ上がり財政圧迫し、川崎市は個人市民税収の半分に(支給費用と人件費が)相当すると言うことになっているぐらいで、もうそういう状況でないということである。
そう考えると私はすごい経験をしていたことになる。
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1994年ごろの記憶をたどると、私は川崎市の企業に転勤して、毎日通勤していたころである。主要駅にも近く市営公園やスタジアムにも近かった勤務先は工場の一部門であった。ぼちぼち不況の風が忍び寄ってきたころである。川崎市のうち川崎区は海浜地区にはプラント系の大手工場が多いところであったが、ぼちぼち工場の閉鎖や規模縮小が始まっていた。重厚長大産業が多いからであるが、問題はそれらの縮小よりもこれらの保守の作業者、部品作成の町工場などの撤退がいきなりの企業倒産に繋がっていたところである。
私の仕事は製品開発であるが、其のための機械加工は川崎区や隣の東京都大田区の中小企業にお願いすることが多かったのだが、依頼先が企業閉鎖するなどの問題はうすうす感じていた。(加工設備を想定して図面を書く前提もあり設備概要を知ったところにあわせた設計をおこなうことも多かったため)このころには川崎区では企業閉鎖に伴い道路に人が寝ているとか、川の土手にバラックが立ち並ぶいうことが出てきていたのである。それでも「ドヤ」は1980年ごろに一旦は壊滅していたので、一点に人が集まるようなことはなかったのだが、其の分市街全体が路上生活者がごろごろするとかが生じ始めていた。問題は行路病者(行き倒れ)がちょくちょく街中で出始めてきたことである。
そこで、少なくとも定住の場所(=ドヤ)がない地域でもあり、住宅補助はまああまり必要性はないものの、少なくとも行き倒れをなくす必要は人道的に必要と考えるしかなく、少なくとも飢えない程度の食事補助は必要と追いことになったようである。
はじめは不正受給を防ぐため職安にてパンそのものを配り始めていたのだが、いざはじめると近隣の地域から解雇でかつ社宅にいたのか家まで失った人たちが近隣からあふれてきたので、事務所の敷地では整理できなくなったのか近所の公園に行列を作らせた。
ここまでくると経費削減が問題となるのは自明の理である。この行列を作った場所に今度は民間委託した業者の車を横付けしてパンを配布するようになった。なぜかこれを受託したのが市内の民間バス会社であり、経年の中型バスを使って食事移送を行い、配布するようになった。
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問題はこの公園の真横に私の勤務先がありまた、配布するバスがつくのは勤務先の正門のま隣である。仕事をしていてふと正面を見ると、正門の向かいにたくさんの人がたかる状態である。このような状態で会社に機械部品を納品してもらうとかお客さんに来てもらうというのは、実際むずかしくなってきた。(女性の人なぞはまずこれないような雰囲気になっていた)事実納入業者が機械を搬入しようとして、パンをもらいに来た人をひっかっけたと言うことも聞かれるようになってきた。さらに手配するべきパンは増える一方でコスト(=受給者数)も増加し、地域住民にも悪印象をのこすはめになってしまった。
そこで、今度はこのパン自体を配布するのを廃止し、パンを周辺店舗で引き換えることが出来る券を配ることにする。公平性どうこうと言うことを言える状況ではなくなっていた。そこで、公園の人だかりは解消・・・・しなかったのである。
パンの引き換えは近所のパン販売店を使うことにしたようだが、今までのことがあるからあまりこういう店には行かなかったようである。近所の複数の大手コンビニチェーンが其の受け皿になった。(これ自身は近辺の住民のニーズもあったから、共存とは言える)ただ、一般的なコンビニに比べると異様に「惣菜パン」の棚の数が多かった。(2倍あったと思う)。一種の地域還元にはなったのだが、問題は配布時間が朝なのでかなりの受給者さんが、公園で寝泊りを始めたのである。
この近所には公営ギャンブルもあったりする。どうも、大工さんの経験がある人が受給者にもいるようで、網戸も入ったバラックとか、ブルーシートと廃材を使った新築・ハイレベルのバラック(?)が続々出始めてきた。夕方になると仁徳天皇もびっくり(注:人家の竈から炊煙が立ち上っていないことに気づいて租税を免除し、倹約のために宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかった、と言う記紀の仁徳天皇に関する逸話)する夕餉の煙が煮物の匂いとともに工場の周囲から香ってくる。煮炊きのために公園の木の枝が折られる。人が歩くので緑地の草が踏み固められはげてしまう。昼間から露天でマージャンをするものがあちこちに出てくる。退屈しのぎに会社の中に石を投げ込むものも出る。盗電はともかく、携帯電話(これはわずかながらでも仕事にありつくには必要で、むしろそのためと言ってよい)やTVのためにエンジン発電機を共用で購入し、夜になると動かしているものも出る。完全に公園が定住地化されてきたのである。(会社側も市にクレームをつけたのだが、耐震補強の問題もあり、結果的に工場の半分をのち移転するほうに走ることもあり、強くはいわなかったらしい。)
もちろん受給者も何らかの金銭を得る活動をしているのであろう。空き缶を回収することにより金銭を得るものもいたことから道路の空き缶はまったくないと言う側面はあった。しかしその収入を早々にギャンブルに使ったり、またパン券のブローカー行為も(やっぱりなあ・・・)おきていたと言うことも有る。また、河で魚を釣ってくるものもいたようだ。だから本当に小額の無理のない労働をするものがミニマムコストで生活する環境の最適化を、はからずしもパン券がやってしまったと言うことであろう。
結果的にこの地で固定的に配布したパン券をあちこちに分散したり、受給資格を絞ったりすることで公園の定住化は減少したが、其の分町の住居の中で路上で寝ていたり、バラックが川原に建ちだしたりという単なる移動と言うことになるだけのようだった。そして其の川原でも相変わらずマージャン牌をかき混ぜる音とエンジン発電機の音はしているのである。そしてこの町の変化は、券を配る地域近くのコンビニがパンが売れなくなったのか軒並み閉店したこともある。
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ここで、フードスタンプにしても、現物支給をおこなっても、支給者の環境や可能性を改善する手法や方向性が示されない限り、問題はまったく解決しないことになると考える。そして其の根本対策は職務転換教育なり新規雇用の創出なのであるが、ではこれを政令指定都市ができることかというと、公務員を増やすぐらいが関の山である。(これが抜本対策にならないどころか対策立案の脚を引っ張るのはわかると思う)つまり、政令指定都市にとって雇用を増加させるのは(製造業とは言わないが)企業誘致と環境整備が唯一であり、それとて世界の経済動向の変化にまったく無力である。
ここで最適な案を出すことは私の能力ではあたわないが、現実には全体的に最適な案というものはほとんど存在しない。完璧なシステムは運営コストのミニマム化を善意の人によって成り立たせている以上限界があるなら、何をおこなってもコストアップは免れない。雇用促進策は・・・以前に現在の国民所得が低下の一歩をたどっている以上隠しだまや「埋蔵金」は有効な額を期待するだけ無駄であると言うのも事実であろう。だからと言って意見を出したとしても利害関係を纏めることにより誰かが生活水準を落とすとなれば、もともと所得が減少している現在、恣意的な人物の選定をしてお金を巻き上げる認識になるのもまた事実。(また、そのような中での余剰資金こそが企業活動を支援しているという場面もまだ多いからである)
だとしたら、少なくとも意見統一をすることが出来なくても問題認識を共通化する活動(つまり説明責任を果たす人物の意見を恣意的選考なくまず一度は検討する意識を持つ)ことさえできればいいのだが、先に述べたように少なくとも明治時代からこの方、説明を聞くことで多くの意見の有る人がわかるような問題はもうなくなっている以上、多くの人は思い込みで動くと言う行動原理を踏まえて地獄に突進していくしかないのかなあと思っている。
天皇機関説事件の時に、問題は議会の外で「意識の高い人民」が上げた抗議の怒号はいくら美濃部氏が言っても頭から理解しえない結果、「国体明徴運動」に収斂された。之のみが理由とは言わないが、軍部による政治的主導権奪取の手段に使われる学説を選んだことが、明治憲法下における立憲主義の統治理念は無視される結果になったといえる。その後第二次世界大戦で壊滅のところまで言っても、社会の志向が替えらえrないとして後戻りや振り返る発想を統治思考の画一・硬直化の誘引となっているのではと思う。
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「たかが電気」とか、「中学2年の男子生徒が自殺した問題の調査の不十分さから批判されていた大津市教育委員会の教育長がハンマーを持った男に襲われた。」と言う記事に既視感があるが、いや大枠全体にも既視感がある。そして、学術論争ではなく政争の道具にされた点なんかは別の場面ですこし見る気がする。

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