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限られた素材を駆使する

古レールの駅デザイン図鑑 ;http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%A4%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E9%A7%85%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%E5%9B%B3%E9%91%91-%E5%B2%B8%E6%9C%AC-%E7%AB%A0/dp/4306045285を買ってきた。
実はこのHPの内容である。このHPも当該内容についてはきっちりメンテナンスされている。
http://www.tamabi.ac.jp/kankyou/kishimoto/default.htm
あくまで「図鑑」に徹している。同じアングルからの説明的な写真がメインである。ただし、そこが、全般的に白黒写真メインでまとめたということが面白い。そうなのである。色合いで比較するとついつい構造体の面白さを埋没してしまうからである。筆者は建築家で芸術大の先生であるから、この視点は当然とは思うがなかなか出来ないことである。
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そういえば最近当方が毎日のように東海道線に乗るのが、小田原-沼津間である。この時期は鋼材製造も徐々に国産供給できるようになってきたこともあり、発生古レール活用材料が多い。(しかし使っているレールが国産でない例はかなり多い)

1920年に熱海線として国府津-小田原
1922年          小田原-真鶴
1924年          真鶴-湯河原
1925年          湯河原-熱海
1934年           熱海 - 沼津 このとき国府津- 沼津間電化
参考:1935年  伊東線 熱海 - 網代 当初から電化

と言うわけで、この時期の設備がメインである。とくに電化前提と言うことか架線と架線柱との一体化が見られる。(なお関東大震災被災に伴い再建築したものもある)となると古レールの設備が結構多い。また、この地域は保養地(軍人対象でもあるようだ)であるため、需要が一定量あるが戦後に投資がうまくいかなかったことから最近まで設備が残ったともいえる。改築が盛んな地域ではほとんど立て替えている。都市内でも御茶ノ水など残っているところもあるのだがこれらは増築はあっても抜本的改築はされなかった。

古レールの使い方としてはこの時期はリベット結合の最終時期である。そして溶接工法の黎明期ということもあるため造形にはレールを熱間で曲げたとおぼしい形状が多いため、それにあわせた造形の工夫があるのだが、そこにうまく便乗した事例もある。たとえば紀伊中ノ島駅の阪和電鉄が作った駅(乗換駅として1935年竣工)の上家は既存駅の統合の時につくったものだが、鉄道会社の威厳とかの意味もあるのか、きわめて遊んでいる。(このレールは、鉄鋼歴史として貴重で2009年産業考古学会の推薦産業遺産として認定された。)
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もちろん、レールの再利用はレール材質の鉄道用に最適化した結果による構造用(特に溶接)への適用性の低下ということや、熱加工(熱間プレス)による強度保障値のブレ(入熱の影響)などもあること、また上家自体の設計を外部設計事務所にだすようになったこともあるからか、素材として不適と言うことになってくる。もちろんこれはH鋼などの構造材の入手がきわめて容易になったということなどもあるし、レールの材質は有料金属材料素材として再度高炉に投入するのには最適であったこともあったのだろう。技術と物流などの変化が、建築素材としてのレールの位置をうばっていったのだろう。
見かけたところこの間の何駅かは跨線人道橋がレールつくりである。(地下道も多い)産業文化財として貴重なものもあるが、建て替えが進められているため、古い跨線橋は急速に減りつつある。跨線橋の主要な構造部材を中古のレールで造ることもかつてはよく行われ、そのレールが貴重なものであることもある。これは意匠よりも構造材としてのつくりが重要なのかと思うがそれでも細かいところに細工が見られるものも多いようである。
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さて、あえて誤解を得ることも承知で、これらのレール構築物を『民芸』の極北の一形態と言う見方も出来ないだろうか。
今の工法で再度構築に古レールを用いて臨むことはむずかしいこともよくわかる。しかし、身の丈で経済性を維持しており、民芸的視点であるが、其の中で経験的な筋交い(強度補強材)の設置に対し視点の妨げにしないようにしるとか、逆に存在を目だたせて強度の構成の幾何学的仕様を重視するかという両極端を隣接した地域とて設計者が其の意思を絵味覚にして設計施工しているのに「無名の技術者による作品の中に真の美を見出す」材料としてひとつの典型例にあると考える。(但し、一部のものは設計強度不足だったりしたものもあったようで、その結果を踏まえた経験的補強がはいっているものもあるが、其の補強にも民芸に近い経験的手法が見える。)
特に一時の建築物に見られた部材付加と使い勝手をあまり優先としなかった駅構築物が、保全費用などをもてなくなると見るも無残なものになるのに対し、これらのものは(ペンキぐらいは塗ってほしいが)その身の丈で、できる限り手持ち材料で「楽しく」設計して、経済設計を確立している。中には経年もありトタン屋根を更新したり、木キャンパス張りの屋根をキーストンプレートのような折板屋根とか金属屋根に乗せ替えてるものもいささかあるようだが、それを経てもなお使えると言うような設計がされている、補修さえそこまで難しくないからこそわかる面白みは、一度落ち着いてみるに値すると考える。

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