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スーパーいじめっ子

先日からの大津市のいじめによる自殺事件において、聞かれるのは隠蔽体質が報道に載っているからか「あのあたりかなり田舎なんですか」と言う声。実は主要駅があるどちらかと言えば都市の近郊地域であるし私鉄もあるし文教地域に値する。どうも地理的な把握できない人は「ムラ」的な感じがする(ただひとつ言うと県庁からは近いといういみで、教育委員会に対し「いいこ」にみせようという感じが教育者にあったのかもしれないねえ。)からだが、いずれにせよ、地域特性という問題ではないと思っている。
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というところで、たまたま6年ほど前の記事をここにだしてみる。
---------------------------------引用
http://www.asahi.com/edu/ijime/sakanakun.html
広い海へ出てみよう  東京海洋大客員助教授・さかなクン  (朝日新聞2006年12月2日掲載)
 中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。

 でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。
 広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。(中略)
 ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。
--------------------------------終了
このシリーズは朝日新聞が2006年にだしたものであるが、今又同じような続編をやっている。なかなかコメントを出しにくい人を捕まえていると思う。
最新のがこれ:いじめと君  http://www.asahi.com/special/ijime/
2006年はこちら:http://www.asahi.com/edu/ijime/
いずれにせよ、問題の解決はまったく進まないということになるが、あるいみそれはシステムが変わっても何をしても、マニュアル式の構成に頼っている以上刻々と変わるし、具体対策に対し裏を書くことがいじめを有効にする本質といじめる側が察知している以上、全国共通のシステムでどうこうと言うことにはならないと思う。こんだけコンピューターウイルスがあって、パターン解析で問題になるのに、バリエーションが一向に減らないし時に正常なプログラムの誤検知さえ生じているどころか、悪いプログラムはますます複雑化して隠蔽して現れるのと同じであろう。まさに「世に盗人の 種は尽きまじ」ならぬ、「悪のタネは尽きまじ」である。
良く語られる教員の評価主義に直結すると言う議論においても、教育をおこなう指導者層後の能力評価を何らかの形でしない以上、全体的な資質の低下を招くことにしか繋がらない(人材の資質確保のなかでは、免れないことである)そのため、公務員人事考課制度をそのまま教育管理職にまで広げ、評価によって給与に差をつける制度が用いられている。(一般教員ではまだないのはそこまでの展開は困難と考えているのだろう。民間企業でがすべての社員におこなわれるべき手法である)それでも考課制度は顔色をうかがって現場に教委の方針を伝える統制的な中身になる。
 教員が親にいじめを認めたくない理由は、いじめる側もいじめられる側も教え子であり、一方の言い分を重視するともう一方の親から激しいクレームを受け、そのために今度は教員が自殺した事例さえあるため。また、自ら生徒指導の怠慢を認めるに等しく、訴訟で不利になる(というかそうなった事例がある)。
 一方、教委にいじめを報告すれば、生徒の学校生活の状況や指導方法などについて膨大な調査やデータ化が学校に課され、肝心の生徒指導が物理的に無理になる。もちろん人事評価への悪影響を心配するのも否定できないだろう。
となると、中央集権的ピラミッドの教育行政では、いじめ問題を根絶することは不可能だろうともいえるが、では私立学校でどうかというと先の皇室の問題でもあったように、公平性が一定に担保される独善的な経営方針を取れない学校こそがいじめを生じたら排除出来ない。反対に公平性が担保されない独善的な経営方針の学校は、逆に教育現場としては独創性を育てることを旨としないという欠点がある学校こそが、いじめを排除ないしは監視と言う形で根絶・・・隔離することが形の上では出来るともいえる。教育に係わる人員の資質をある程度担保するには成果主義になることはよっぽどのインセンティブを設けない以上無理である。(これは過去、一般の人の学歴が低く教師が一定の知識層の評価をもらっていると言う場合はインセンティブが成り立ったが、こと義務教育では都市部では教育レベルは逆転してさらに教育指導の要求は塾など個人的活動にシフトさえしているし、そうでない地域の場合は教育行為に対し無関心な人・・・はなはだしきはスラム街などでは近年の経済状況により学校にいかせないで家に閉じ込める親も増加しているという・・・が地域で固まったりして教育の意味をないがしろにしていたりと言う場合は教員の資質に対する興味自体がなく、社会でのインセンティブで教員資質を高めることは事実上困難である)つまり、教育現場に、しかも「いじめ」なる犯罪的行為の抑制に、安直な「成果主義」を導入しても問題の解決にはならないということがわかったともいえるが、「成果主義」を導入すること以外に資質向上のインセンティブをえることが出来なくなっているとなると、一時的な退避をこの子供たちのコミニュティーからできるようにするという制度変革が必要になる。
日本の義務教育は海外の義務教育とは異なる面があり、自宅学習が認められない。そのぶんどんな僻地でも小学校中学校は分校としても(季節配置でも)設置する必要がある。それは全員漏れない教育レベルの一定程度の確保と均一化、及び児童の社会性の取得と言う目的があるためである。つまり、中央集権的ピラミッドの教育行政ではいじめ問題を解決することは不可能だろうが、もともと教育行政と言うものにいじめ問題を解決させるのは、個人教育クラスでもしないと物理的に公的な範囲で実現可能な規模では無理であると考えている。

一時的な退避をこの子供たちのコミニュティーからできるようにするという制度変革というのは、たとえば休学を1年間認める(1学年下となる)とか、学区外の転校を制度化できるようにするということであるが、これをいい加減に運用し貧困地域で就学生徒が少なくなったという事例は戦前には良くあったことである。しかし、朝日新聞のこの連載についてはいじめられている子に対し、『広い空の下、広い海へ出てみましょう。』という視点でおおむね纏められている。これは執筆者は「広い空の下、広い海へ出てみましょう」を実証して社会に認められた人ばかりになってしまうことも有るかもしれない。
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私が家庭教師をした子供(中学生)であったことだが、結果的に転居で其のあたりのいじめから回避すると言う事例がある。其の子は親が不動産会社に勤務していた(自分が引越しを考えており、不動産屋に行ったら担当が偶然お父さんであった・・・・)と言うこともあったのだろうが、新築のマンション(都市中央部で文教地域である)で通学するなかでいじめにあい、そのため通学が出来なくなった。(これは親から話を聞いていてアドバイスをしていた経緯もある)その時に、同じ市内だが郊外の中古(実質新築に近い)家屋に一挙して転居し解決したという経験がある。
しかしこれはかなりラッキーな事例であり、親の仕事からこれが無理と言う場合も多かろう。それでも、いじめられる子供にとっては、河岸を変えるというか、転校すると言うのはひとつあろうと思う。
しかし、其の20年前のいじめとはレベルも変わっているという認識もあるし、いじめる側もますます増長しているので教員が抑えられない斜め上の行動というのもあるんだが。

さかなクンの水槽内のメジナと同じく、いじめっ子を抜いても別ないじめっ子か現れるし、いじめられっこを抜いても別ないじめられっこが現れる。社会が閉塞している地域では一般社会でも見られることであるが、閉塞環境が日本全体に広がっている現状ではどの地域でも、都市でも農村でも、セレブでも貧困地域でも起こると考える。(あと従来なら泣き寝入りしていた案件が明らかになったとかもしれない)
また、いじめっ子だけを集めたとしても集団の中で其の中でスーパーいじめっ子といじめられっこが出来上がり其のいじめは病的・熾烈になるという話も聞く。まあ、いじめっ子といじめられっこを経験すると、割と社会環境になじみやすいということになりやすいらしい。(環境の変化から自分を客観視できるのだろう)しかし、これらの活動はかなり個人や親の意思を無視した恣意的な行動になり、公的指導の中では訴訟リスクなどを抱える行動であるし、スーパーいじめっ子から愚連隊を育成すると言うちょっと訴訟リスクが高い(というかエゴ制御が社会で効かない現実からは自己犠牲を図らないと誰も手を出さないし、其の成果を第三者が評価できないため教師のインセンティブにもならない)ものになる。
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結果的に中央集権的ピラミッドの教育行政の人達では、いじめ問題をゼロトレランス方式でさえも解決することは不可能だろう。教育の目的は社会性の熟成がある義務教育では個別指導を強調すると言うこと自体も制限がかかっている。外野が種々回答提案をすれども、現実性の有る手法に落とし込むことが無理な草案ばかりが羅列され、それをもって社会は擬似的に解決できると言う社会のコンセンサスまがいが形成されていくが、それがますます現場でいじめ問題を間とか解決したいと思っている人を惑わせている側面はあるのだろうが。社会的なコンセンサス(社会全体として、いじめをなくしていこうとする姿勢)自体がもともとまったく機能不全なのに。

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