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「変わる」ことよりも逃避のほうが現実的選択(1/2)

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http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120201
2012-02-01 変わらない。替わるだけ
人にとっても組織にとっても、「変わる」ことは簡単なことではありません。
特に日本ではあまりに「変わる」のが難しいため、「替わる」方が「変わる」より早く起こることもあります。というか、「替わる」を待たなければ何も変わらないことさえある。
たとえば日本の大企業や公務員組織には、明らかに給料が高すぎる正社員がたくさんいます。でも彼らの給与を(下げる方向に)変えるのは非常に難しい。
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だから経営者は彼らの給与は変えずに、新規に雇う人を非正規雇用に替えることにより、少なくとも今後雇う人に関しては給与を適切なレベルまで下げようと試みます。(中略)
先日、電子書籍の話を書きましたが、現時点で「紙の本の方が圧倒的に読みやすい」と思う人の意見は、いくら高性能な電子リーダーが出現しても簡単には変わらないでしょう。そうではなく、最初から電子リーダーで本を読むことに慣れ親しんだ世代がでてきて、書籍市場における主流の顧客が、“紙派”から“電子派”に替わることによって、電子書籍の売上げは増えるんです。

そういう意味では「紙の本はパラパラ読みができる」とか「デジタルなら検索ができる」などという機能比較の議論はあまり意味がありません。議論で電子化のメリットが(頭では)理解できても、特定の嗜好や習慣を身につけてしまった人が変わるのはやっぱり難しい。市場全体として主流派が替わるのを待つ方が早いんです。
この観点から教科書の電子書籍化は、「替わる」を促進するための有効な方法です。また変われない人向けには、「読むのは紙でもいいので、保管と活用は電子書籍にしましょうね」的に(紛争地帯を避けて)電子化を進めていけばいいわけです。(中略)
ソーシャルネットワークや特定コンテンツの栄枯盛衰も同じ形で起こります。一旦、特定のサービスやコンテンツのファンになった人の多くは、長きにわたってそれを変えません。コアなファンとして精神的な愛着を感じているし、技術的・手間的にも使用サービスを変えるのは面倒だからです。
しかしながら新たにネットの世界に入ってくる人が異なるコンテンツやネットワークを選び始め、そちらが多勢になりはじめれば、人気SNSも人気コンテンツも代替りが起こります。
どの世界でも“主役”が交代するのは、既存の主役のファンが心変わりをするからではなく、新たに入ってきたファンが別のものをまつり上げていくからなのです。(中略)
アメリカみたいに変化の早い国では、「替わる」をまたずに「変わる」ことが多い。だから生き残れる。でも日本はもっぱら「替わる」方式なので、変化のスピードが超ゆっくり。そしてそれに安心してると、市場の変化に応じて自身を変えられない人や組織は、新しいモノにとって替られ、消えてしまうことになる。
企業も個人も同じです。変われば生き残れるのに、変わらないから替えられる。どっちがいいか、よーく考えよう。
---------------------------------終了
著名なブロガーの意見である。
替わることが必要というのはあろう。しかし、近年の市場を見ると変わるという選択をしていたら社会が排除し、替わることもいとまないという場合のほうが顧客信頼性を維持している気がする事例も多い。
先の記載に述べたように、教科書の電子書籍化は私は現実的ではなく、副読本クラスからの「替わる」を促進するための有効な方法でしかないと考える。「読むのは紙でもいいので、保管と活用は電子書籍にしましょうね」的に(彼女いわく紛争地帯を避けて)電子化を進めていくというのは現実的で、ある意味相するしかないと思っているのではある。けど、本当は結果的にはどっちも残さなければならないということで、学習者には習得内容が単純に増加するだけである。
ペンが入って毛筆がなくなったかと言うと決してそうならなかった(変質した)。鉛筆なぞ消えるかと思ったが、いまだに簡易な記録媒体になっている。漬けるペンがなくなったかと思ったら、漫画執筆で生き残った。レコードはなくなったのかなあと思ったらDJプレーでの存続があり、それとて電子化で・・・と思ったらが、むしろ多様性の中で残ってしまった。パイは小さくなってしまうことで技術の革新はなく、むしろあとすざりはしているが、結果的にツールの多様化の中でのこってしまうのである。

但し、注意しなければならないのは、あまりにも変革が急速でとっぴな場合、革新された環境にすべて移行できるとなった場合(たとえば上のように毛筆での記載が芸術・カリグラフィーとなったような余地がない場合)移行する人と、其の世界から逃げ出すことで、期待される市場もなくなり市場収縮になってしまって、利潤の獲得がままならなくなる自損行為が多くなっているのである。このトレンドが社会の収縮志向に合致すると言う笑えない動向も有る。
あるところの話である。
(1)終点に有名仏閣の有る鉄道があり、普段は支線でもありそこまで込まないのであるが、縁日の日はそれなりににぎわっていた。もっとも自動車で行く人はすでに自動車に移行していたが道路も決してよくないこともあり、老齢の方の参拝が多く、鉄道がそれなりに活用されていた。
(2)しかし設備の老朽化と、収入の減少(それは輸送量の減少もあるが、人件費の増大と安全策にかけなくてはならない社会的責任の増大化によるコスト増大である)からバスに置きかえた。
(3)しかし老齢の人は自動車に乗らないのは、免許がないとか運転に問題があるというより、そもそも乗りごこちやバスステップなどの忌避も有るようで、このバスはそれまであった輸送量から推測した予測(50%減と見込んでいた。当時の一般的指標としても低めの想定)どころかまったく乗らなかった。結果1年後廃止するしかなかった。
(4)縁日のときの臨時バスはあるのだが、これとて客は微小。有名仏閣自体がまったく周辺要因で見放されてしまった。結果、ますます地域の経済活動は減退する。仏閣のコンテンツが従来は人員の新陳代謝で入れ替わって行き大局的には集客はそれまで劣化してなかったのだが、其の支援サービスのところの劣化が全体を促進してしまった。
(5)基本的にこの仏閣なるコンテンツと其の周辺のコンテンツ群は、良くも悪くも急速に変化すること自体が品質の劣化要因、ひいては資本形成の材料としての価値損壊とみなせるのである。

特定コンテンツの栄枯盛衰も同じ形で起こり、精神的な愛着を感じているものに使用サービスを変えるのは面倒以上に、今まで繰り返されてきた問題解決の蓄積を反映することがリセットされることになることがある。そこで、人気コンテンツも代替りが起こり、廃盤コンテンツが生じる。其の要因が人員の新陳代謝によるものである。そこで、「替わる」をまたずに「変わる」ことで生き残る社会である。
だが、市場の変化に応じて自身を変えない人や組織は、新しいモノにとって替られ、消えてしまうよう「に見える」のすぎないと言う側面がある。変化することによって生き残ることをする以前に、其の必要なコンテンツを後世に「歴史として」継承し消え去ることを旨・創価する要素とする場合もある。それは其の機構の特性をユーザーや使用者が作りこんでおり、それこそ独自な適応性を持っているため、代替性を持つサービスを創ったり順応するように組み替えられない状況にならないと商品にならない特性を持っている。かくて新しい代替サービスに新たに入ってきたユーザー別のものをまつり上げていく際に旧来のサービスが衰退するのだが、問題は新しい代替サービスが創りこみミスなどのアクシデント的内容で自滅すると、其のサービスや業務概念自体がなくなってしまい、既存サービスは再度復帰することもならず砂漠化してしまうことが散見されるのである。つまり新規サービスが代替すると思ったら、ニーズはあっても成り立たない市場のため顧客の逃避した市場になると言う味方である。
たとえば味噌の新規醸造法が低廉であることで市場を席巻したとする。けど味にやっぱり差が有るので嗜好が分かれた場合、旧醸造法と両者並立する時期がある。ここで市場が拡大するマス要因がなく同じ市場の分割となった場合、双方の醸造会社が相次いで破綻し、しかも各々の醸造技術が継承されない結果、味噌自体の供給が市場から消えるとなる。そこで新規の企業が投資する場合、この市場は投資する要素が定まらないので非効率となれば、味噌は市場供給からは姿を消す・・・・という話。(実際にはこういうことはないが、スーパーの出店と退去でこのような行為がローカルにある。)
「変われば生き残れるのに、変わらないから替えられる。どっちがいいか、よーく考えよう。」と提案した場合確かに自分の生活というもの、生き残ることが前提である場合は、変わることが前提である。しかし、替わらないことを前提できわめて強く構築された企業ときわめて(無駄に)頑強な社会の共存関係がある場合、代わること事体は現象面として追認することしかなされないが、企業が独自に変わる事・替わる事は社会との契約関係を損じたとみなされることがある。(続く)

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