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法律ノ定ムル所ニ従ヒタル義務

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「僕はしつこい性格なのでね」 朝日新聞「論説委員室」へ反論、翌日も続ける  J-CASTニュース 4月7日(土)16時2分配信
橋下市長が2日連続で反論を展開している。
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 「僕はしつこい性格なのでね」。橋下徹大阪市長は、ツイッターでこうつぶやき、朝日新聞夕刊の論説委員室コラムへの反論を前日に引き続き、再開した。
 夕刊が出た当日夜に、ときに別テーマに触れながら、2時間弱ほどの間に40ツイート近く(1ツイート140字以内)の批判を展開した。翌日の朝になっても、「まだ続き」として、関連ツイートだけでも15ツイート以上書き込んだ。

■「まだ続き」
  「朝日の恵村さん、僕はしつこい性格なのでね。まだ続き。民主党が政権交代選挙で言ったことを簡単に訂正させちゃだめなんですよ。これが中長期的に民主主義を強くする。マニフェストがおかしかったのであれば、政権を獲得したのと同じエネルギーを費やさせて変更させなければならない」
 2012年4月7日朝、橋下市長はツイッターで、6日の朝日夕刊「窓 論説委員室から」の恵村順一郎氏に対する反論を再び始めた。
 経緯は、J-CASTニュースが6日配信した「橋下大阪市長ウォッチ」で紹介したように、まずは朝日新聞が社説(4月4日付)で、消費税増税に反対する小沢一郎・民主党元代表について、「党内民主主義に従うべきだ」と批判した。
 すると、橋下市長は4日深夜からのツイッターで、小沢元代表を擁護し、朝日新聞に対し「狂っている」などと批判した。党内民主主義よりも、選挙におけるマニフェスト違反の方が重要な問題だとして、小沢元代表の方に「理があるのは明らか」と指摘した。
■朝日夕刊「それが党内民主主義だ」
 これに対し、6日の朝日夕刊では、
  「民主党でも大阪維新の会でも、党員なら政党として手順を踏んで決めた結論には従う。それが党内民主主義だ」
と党内民主主義や報道機関などによるチェックの重要性を指摘し、「橋下さん、これでも朝日は狂っていますか」と問いかけた。そして、橋下市長が6日夜にツイッターで反論し、7日に反論再開という流れだ。
 橋下市長の7日のツイッターの一部を紹介すると、
  (8ツイート略)「それをいとも簡単にマニフェストの根幹部分の変更を認めたら、もう選挙前の政策討論なんて何の意味もなくなりますよ。こんな風潮だからいつまで経っても日本の政治は強くならない。そこまでのマニフェストなら、野党も反対のための反対にならない。選挙で勝ったマニフェストをまずは尊重する」(以降5ツイート以上略)
などと主張を展開している。
---------------------------------------終了
別に朝日新聞が「正しい見識」ということは言わない。そうでない事項はいくらでもあるし、正しいという行動が後で反省になる項目が多くある。いやそれをいうとすべての言論がそうなってしまう。そして新聞のみならず記述なるものは其の半分はそうなる宿命を持つ。社会科学にかぎらず自然科学もそういう呪縛からは逃れられない。
いや同じことは毎日新聞に対しても起きている。(前大阪市長が毎日資本下でジャーナリストの経験をつんでいることもあろう。これもかなり熾烈。)

個人的意見に終始することをいとわない。
ツイートまとめなんかを見てみると、果敢な活動ををする改革推進心情としては理解するところである。しかし、民主主義と全体主義は連続性を持つ制度である・・・というかすべての政治的志向はこれはこれ、あれはあれと割り切れないということを1/0できるという怖さを持っていると考える。大陸法の考え方は1/0の判断に近く、其の規定が其の当時の既存認識として日本の法体系は構築されてきたわけで、法律の専門家にとって至極当然の認識(弁護士の中でもこのあたりがあいまいという事例が実際にはある)ではこと日本ではあろう。しかし英米法ベースではこのあたりの考え方は時流にあわせる(コモンセンス)側面がある。
もっとも今の日本法は、戦後GHQの指示の元、アメリカ法英国法系の新制度アメリカ法を継受したもののあり、指針が混乱している。(海外でも同じことが生じた地域は多い。また固有のい法体系が混成化しているスカンジナビア法などもある)つまり運用上では基本的に1/0で割りきれないものをバラつきを認めながら時々にあわせ、過去実績との整合性を求めない英国法系と基本的に1/0で割りきれないものを過去実績との整合性を求め、革新にたいしてはそれなりのロジックを求める大陸法とは利点欠点があって、現実はこの混成で成り立っているように、試行錯誤しているのが見えてくる。
さて、ツイートまとめのなかにこういうのがあって、はてどうしたものかと私は悩んでしまった。
-----------------------引用(要約)
「朝日新聞がもうフラフラになっている」http://blogos.com/article/35813/
4月4日朝日新聞社説。朝日がもうフラフラになっている。これまで朝日は決定できない民主主義を絶対信条としていた。多数決の否定。永遠の議論。全会一 致。少数意見の絶対尊重。思想良心の自由の絶対視。とにかく何でも話し合え。合意しろ。それが民主主義でないことにようやく気付き始めたらしい。
しかしこれは朝日新聞の根本哲学にかかわることなので、社内でも全く整理がついていないのであろう。哲学の変更に伴う混乱期か。支離滅裂を通り越している が温かく見守ってあげるしかない。朝日新聞は、僕や維新の会の府議会での行動について横暴だと繰り返してきた。特に、君が代起立斉唱条例について
1、府議会で最後は多数決で決したが、朝日はもっと議論を尽くせ!と批判。維新の会は十分議論を尽くしたと判断して多数決を行った。朝日は消費税では多数決に従えと言う。どっちなんだ
2、そして決定されたことに不満だからと言って反対することは民主主義が泣くと小沢先生を批判する。は~~~っ?
統一地方選挙で候補者を立てて一定の議席数を確保し、そして知事選、市長選を乗り越えて、さらに市議会では維新の会は少数会派なので他会派の賛同を得て成立させた君が代起立斉唱条例。膨大な労力をかけて成立した大阪のルール、決定だ。それを平気で無視する教員を何故批判しない?
結論に不満だからと言って反対することは民主主義が泣くとの社説。その通りですよ。それが民主主義、決定できる民主主義だ。その言葉を不起立教員にも向けなさいよ。おそらく君が代は別問題と朝日は言うでしょ。でもそれは朝日の価値観に過ぎない。君が代は起立斉唱すべきという価値観もある。
価値観をぶつけ合い続けても決定できないことがある。だから議論をした上で多数決で決定する。決定したことは反対の者も従う。これが民主主義。これまで朝日が言って来てことと真逆だね。でも朝日の決定できない民主主義では日本は持たないとやっと気付き始めた。
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まあ、ツイートはかならずしも見直せない、書き直せないという側面もある。そのため記載する側で整理しかねないものもあることはまあ割り引いてよんだほうがいい。
価値観をぶつけ合い続けても決定できないことはあるし、百年戦争になることもある。だからまあ決定しないという選択もあったのかもしれないが、それを議論をした上で多数決で決定するということにしたことは、ひとつの当人の見識であろう。これは決定しない民主主義というものもあるということである。たまたま選挙で当選したという現実は、民意反映の側面ではある。ただし決定したことは反対の者も従うということは、協調性の強制である側面は必ずあるわけで、思想良心の自由とはどうしてもあわないのは当然起こることである。
君が代は起立斉唱すべきという価値観もあるが、国歌を斉唱することを消極的賛成することをもって、認めるというのが多くの国の実情である。というのは個人の心情を踏み込むことは国家運営の中で共通認識に出来ない国も多い。これはたとえば徴兵制における良心に従った兵役拒否や、国家内で自国の国旗を良心に伴って毀損することが許されるようになっていく動向はあり、結論に不満だからと言って反対することはむしろ政治活動を公衆が信頼し、大局的な行動への同意と信頼、モラールの維持においてはやむをえないという方向になっている。(但下記の戦う民主主義を掲げる場合は、このベクトルは薄い)
思想良心の自由の絶対視は、即効性がないが伸びしろが民主主義の維持という意味ではある。いま何が足りないのかという問題認識はあるが、解釈を広げると空気を読むという同調性をもとめる社会においてはむずかしいだろう。
民主主義は一意に設定できない側面から、現在参加できる投票者による多数決を否定する見解もあるが、課題を解決の先延ばしに対して証明ができない弱点があるため、独裁化の可能性がある。之に対して、戦う民主主義なる民主主義的価値を前提とした制度設計により、政党・結社の自由や表現の自由の一部を制限・禁止するものもある。ドイツはこの考え方で全体主義へのリバースを抑えている。逆に意思が明確で推進する政策をもっていくこともあるが、一歩間違うと全体主義でない全体主義もどきを是認するか、政治に対する特定層のみの関与に対し無過信や絶望となりうる。では、日本はどっちかというと、前者の構成でコンセンサスが取れそれに従って社会の構築がなされている側面があり、こと新聞などが民意抽出を図るには後者の戦う民主主義が育つ土壌に無い以上、抵抗が強いと思われる。(もちろん戦う民主主義は、その他の国に対して意思の疎通が図れない存在となるのもまたある。しかし、これは居住者がこの民主主義を採るのがいやなら、他国に移住すればいいという選択可能な形で済むのである。そういういみでドイツにおいて社会における経済活動などに強い制限があって、自由であるべき発言者が萎縮し、ある種の「空気を読む」「現実から目をそらす」ことではじめて社会が回っているという側面もあることを、研究者からきいたことがある。)
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熟慮・審議・多数決の上どうなろうとも、決定したことに反対の者も従うことを唯一の意義とするならのは民主主義と同意ではない。決定過程の内容が現在参加できる投票者による多数決を否定する見解さえある一意とならない現実である以上、決定したことは反対の者は、速やかに不服従を貫くというのもまた民主主義の形態である。(つまり、誤謬を含めるがわかりやすく言うと、国歌を歌うのに対して、歌わないと反発することでかく乱を図るのは民主主義の合意に反して叱責をうけるのはあるが、口をあけて声を出さないという行動は民主主義の形態である。最も公務員業務の運用が民間業務の雛形となるという意味もあり、この解釈には本当は議論を要する。)
そこで朝日にかぎらず、日本における民主主義を語る旧来の知識層のみなす知見は、はアメリカや欧州の影響は受けているのだが、所謂戦う民主主義というのは、多くは第二次世界大戦の反省の中から修正されて出てきたもので、やや全体主義性の強い「公共の利益に反しないなかにおいて」という表現が混ざる修正民主主義になっていることを考えると、構築の根本からかけなおす、そして橋下氏を選出した選挙や意見集約のところからもどらないといけないよ・・・になる。
彼が言う「決定できない民主主義」は少なくとも基本的な経済概念・学問研究の概念・さらには市民権の概念前提では必然となるべき欠点である。たまたま報道機関はそれに基づいた見識ベースに現状分析を行い、「自由主義」を活用しているがら目立つが、憲法から法体系が全部が、これを前置条件として構築していたのが現状。(ただし、報道機関自体もあまりにも環境が変わり見識をつかうことが自己否定につなふがるようにみえる)決定できる民主主義というのは戦う民主主義をとることでしかえられないが、憲法からすべて、今は法体系が戦う民主主義を是認する構築ではない。だからそれを改憲だとか私人権利の制限などの議論まで行かない限り、「日本が持たなくなって」もそれを崩すわけには行かない、基本的な民主主義運用上のトレードオフであるが、この欠点があるから整合性がとれるということになる。
統制の取れた規律ある民主主義は、ある意味制限の範囲で権利義務を遂行する形で規定した、変形的な「民主主義」であるといいうことになると考える。この側面は運用上では、大日本帝国憲法にやや近いが、これらは国家が期待する国民の国家に対する帰属特性(・・・というのか信頼性というのか)の内容で替わってくるため一意には設定がなじまない。
橋下氏の解釈には、法の運用や利用についての知識の高さに比して、其のバックボーンや設定の理由という過去の歴史的事象を無視してるのか、ないしはあえて無意味と判断している意識があると認識している。これは、過去の識者の意見を、識者を対立的立場で突き放す、歴史という過去の知見を援用する活動より、現在の中で法規に触れたらやめるなどの思考訓練の継続をもって、整合性を採ることなしに民主主義政治の運用手法としていると考える。
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つまるところ、橋下氏は識者の考えることに反論というよりは、民主主義にせよ過去の経験を一切無視したことでの運用・さらにはツイッターなどの利器を用いた意見構築とブラッシュアップを目指すものであるから、新聞や研究結果や識者の意見、過去の文化はこれらに乗らないタイムリーなもの以外は、むしろ排除する存在に近いという見方になる。経済学者の意見は無意味だが、経済を直接動かす人間のように、あくまで過去の知識の「裏を張る」り短期間で運用をすることがキーとする論理ならば、なるほど経済界の民間のフリーの識者に彼を支持する人がおおいというのはわかる。
ただ、「日本が持たなくなって」というのは短期的体力においてはわかるのだが、長期にこの体制を維持するにおいては今回の運営手法は持久力を消耗するという考えのほうに私は手を挙げたい。

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