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好きな政治はオラオラ系?

オラオラ営業というのが水商売ではあるんだそうな。
「ホストクラブ」であえて尊大な態度で客に接し「ボトル入れろ!」と偉そうにしたりする営業方法。このノリが好きでボトルを入れてしまう客もいるようだが、大嫌いな客もいる。「キャバクラ」においても同じような自分主体の極めて強気な営業を仕掛けることがあるらしい。多少気が弱そうに見える客の場合、効果があるのだそうな。(但し顧客が男か女かの微小な差異はある。)
このような「オラオラ営業」は、冷たくした後に優しくされるとうれしい、其の差分を高く評価する客に非常に効果があるという。サービスの絶対値が評価しにくい社会においては、こういう形でも評価されるものである。サービスの定量評価は感情労働では非常に難しいが、あえて言うとチップの差ということになるわけ。
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がれき反対派で京都騒然 ビラ配布中止   【 2012年03月31日 23時46分 】京都新聞
 東日本大震災で発生したがれきの受け入れに理解を求めるため、細野豪志環境相や山田啓二京都府知事が31日、京都市下京区のJR京都駅前で街頭演説を行った。細野氏らは被災地支援を訴えたが、受け入れ反対派が多数押し寄せ会場は騒然となり、予定していたビラ配りができない事態となった。
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 細野氏は3月から受け入れを表明した自治体を訪れ、街頭で理解を求めてきた。京都でも舞鶴市や京丹波町などが前向きな姿勢を示したため、この日、山田知事らと街頭に立った。

 しかし、京都駅前の特設ステージでは300人以上が囲み、「帰れ」「放射能を拡散するな」と大声で抗議し、怒号が飛び交った。駆けつけた野中広務自民党元幹事長も「落ち着いて話を聞き、日本人らしく助け合おう」と呼び掛けたが収まらず、細野氏は「聞く耳を持ってもらえないので、説明できない」と演説を打ち切り、予定していたビラ配布も中止。反対派にもみくちゃにされながら、会場を車で後にした。
 細野氏は記者団に「綾部市の生まれで京都には強い思い入れがある。話を聞いてもらえなかったのは心残りだ」と悔しさをにじませた。山田知事は「住民と丁寧に話し合い、受け入れ自治体を支援したい」と協力する姿勢を示したが、予想以上の反発に厳しい表情だった。(後略)
-------------------------------------終了
もちろん、誠意の問題以前に、人情論と「本当に大丈夫なのか?」という疑念が混同されて議論されているという気もする。国が言うから、研究者が言うから「安全・安心」な訳ではないが、では安全・安心を定量的に把握して評価するというツールが脆弱と写るのであろうか。大気中の黄砂や飛散成分においての外乱が分離できないなど、ほかのパラメーターがおおすぎて議論できないというのがある。安心、安全が、論理的に、科学的に保障されるたえの場所や研究・実証においてすでに安心、安全が、論理的に、科学的に保障されることを前提にするなら、このサイクルは永遠に解決できないことになる。また「安全・安心」を無限大で提供することがすべての社会構成の前提であるという議論から、安全を阻害する内容を排除するという視点もある。
今回の原発の事故問題自体は別であるが、それによる副生成物評価に関しては、以前に洗剤の食品に用いるときの安全性に対して国内で問題が起きたときの知見との類似性を思い出す。
当時は、洗剤の安全性に関しては、誤った情報が流れるほかに、評価の前提条件に問題があるものがあり、厚生省(当時)が『洗剤の毒性とその評価』という書籍をまとめた。このときに時に総括代表をつとめられた三重大学医学部の吉田克巳教授(公衆衛生学)は、同書のはしがきで、次のように述べた。

「安全か有害かを問題にする場合に最も問題なのは、その前提、特に現実の場における定量的な条件をはっきりさせておくことである。この点が、時に意識的に曲げられ、現実には起こり得ない条件下での議論から結論へもっていかれる場合があるのは、たいへん残念な点である。安全か危険かの問題は常にその前提条件を考えておく必要があり、これを無視すれば、塩、砂糖、ラード、わさびなどはもとより、菓子やチョコレートなども明らかに危険物質になりうるのであって、議論の前提、使用目的、使用量、使用法その他の前提条件をはっきりさせて、現実の問題として議論することが不可欠であり、この点を無視すれば全く実りのない不毛な論争となるのは当然のことであって、この点を国民やマスコミに良く理解してもらう必要がある。そうでなければ、世界からみて、なぜ日本だけでそれが問題になっているかということになり、水俣病、カネミ問題、四日市喘息などについては十分に理解されても、この洗剤問題については、外国でもくりかえし検討ずみの問題であるだけに、奇妙な顔をされることになる。

もちろん、この論議で今回の内容にとっては議論の前提、使用目的、使用量、使用法その他の前提条件をはっきりさせることが、現実に不可能であることと、外国でもくりかえし検討していても答えが集約されていないということが、新規という見かたもあるのは否定できない。さらに、所謂レッテル張りで、検証に参画する三重大学医学部の教授が御用学者という判断でこの意見自体が否定されることも実際にはあるはず。つまり否定する側のレトリックとすればかかわる行動自体が現象認識としての「認識不足」と見なされる齟齬がある。
ここでよくあるのが安全を絶対的に求めるなら、事故率において自動車は飛行機に対して絶対的に事故による死亡率が高いのになぜ、飛行機事故はこわくて乗れない人が、国内旅行には自動車でというのはどういうことかということがある。この説明は一般的には社会的な要求によるもので、このように社会性があるものの危険性は希釈されて解釈されるということをいう。
ただし、自動車が危険でいやという人は、実はほかの優先順位をすっとばして、車が社会活動の前提になっている地域(地方が多い)を離れ、都市部の公共交通機関のある地域で暮らすことによる回避をやっている場合もある。
また、トータルリスクミニマムという発想をするとて受容者には個別の差異があるから、それによる個別の被害の差があった場合最も厳しい読み方をするというのもいえる。トータルという視点で個別の利得の差異を認めているから安全は確保されても安心とはならないという解釈になる。
なお、塩、砂糖、ラード、わさびなどはもとより、菓子やチョコレートなども明らかに危険物質になりうるという人は実際社会においてはいる結果、自然食を自分で栽培するのを前提にした生活に回帰する人もいる。現在の自然保護活動家の中にはこの系統を引く人もいるし、放射能に対し懸念を感じるものはこのために海外などに移住し、原子力発電への決別から水力・太陽光などの自家発電にこだわる人もいる。一種のヒッピーなどの文明を否定して自然に回帰する者はこの系譜である。
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今回、うーむと思ったのは、「帰れ」「放射能を拡散するな」と大声で抗議し、怒号が飛び交ったことではない。
「駆けつけた野中広務自民党元幹事長も「落ち着いて話を聞き、日本人らしく助け合おう」と呼び掛けたが収まらず、細野氏は「聞く耳を持ってもらえないので、説明できない」と演説を打ち切り・・・」ということである。つまりこれはいつのまにか説明を聞く側が政府や地方自治体の首長が、国民に説明しようとする「言論の自由」も否定しているということであろう。むしろ話をさせないことが目的化していることになる。
反対派には聞く耳を持ってくれないのは官庁側であるという視点になっている。黙っていたら、「サイレントマジョリティ」になるという味方はあるようだし、そもそも話し合いの場がないと、がれき受け入れ反対派の主張が正しいのかどうか判断できないが、其の話し合い自体が「出来レース」という認識になっている可能性がある。そして、今まで「うそを言っていたのはだれた」そして、「聞く耳を持たず決定して政府だ」というせりふもあるようだ。ことがやっかいなのは、少なからず放射能の影響を危惧して(合理的判断とは言わない)郷里を離れた『自主避難』の人もいるということである。(このあたりは現象を細かく見る必要があるだろう)

しかし・・・敵も多いが、誠意を持って話すかの老政治家、野中広務をもってしてもダメだったかと思う。「落ち着いて話を聞き、日本人らしく助け合おう」というせりふ、「落ち着いて話を聞き」までは同意するものはいただろうが、「日本人らしく助け合おう」というのはまずかったのかもしれない。日本人らしくという言葉が人々ののアイデンテティーからはむしろ反語に聞こえかねないからである。京都では大文字の薪騒動のつぎにこれかい・・・とも思うが、他方「絆」と言うせりふは囲い込みのための「綱」と表裏一体とも見えるこのごろ。
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なんで冒頭にオラオラ営業の話をしたか。
常に“上から目線”で、大きな態度で相手と接することで、時に顧客は支配されてる自分に快感を覚え、気がついたら支配下におかれている場合があることである。傲慢な態度は私だけに見せている姿との錯覚があることだという。(これツンデレなる性格描写もおなじかもね)風俗営業のばあい大抵の場合は複数の相手に同じような態度をとっているのだが・・・・。これらは、支配されるするフリをしてじつは行動全般を支配している側面があるということ。
細野豪志環境相や山田啓二京都府知事の街頭演説はあなたたちにいろいろご迷惑をかけますという、下手の説明である。コレに対して反対派が“上から目線”で、大きな態度で相手と接することで、結果的には政府は支配されてる自分にそういう意見を上げる必要があるという快感(政治家にとっての「民意」という快感)を覚えさせようという感じに見える。しかし、風俗業でもオラオラ営業に一度屈してしまうと、その後は全て相手に主導権を握られてしまうものらしい。こうなると、ホストクラブやキャバクラを楽しむといった状態では無くなってしまい、気を付けないと客が破滅する事もある。
逆に言うと、強権的に正負が実施した場合にも、“上から目線”で、大きな態度で市民に接することでも、時に顧客が支配されてる自分に快感を覚え、気がついたら支配下におかれているファシズム的場面があることである。(・・うっ。隣の県・・・)この場合でも一度屈してしまうと、その後は全て相手に主導権を握られてしまい、楽しむといった状態では無く、気を付けないと破滅する事もあるという。さらに「オラオラ営業」は、冷たくした後に優しくされるとうれしい、其の差分を高く評価する客に非常に効果があるというところまでそっくりである。
つまりこのようなことが恒久化することで相互に「オラオラ営業」を交わしているという、まことに不毛なことが生じる怖さが見える。

客(市民)の好みを見極められるようになるまで、修行が必要なのがオラオラ営業。オラオラ営業を望まない客(市民)にオラオラ営業で迫っても、効果はないどころか、倫理的な境界ぎりぎりの仕事でしかない。ほんとうなら市民の方から来たくなるように仕向けるのが手法。すくなくとも上記の反対派は期待せずしてオラオラ営業をしてしまったようである。
ちなみに私も、過去をつらつら考えると、オラオラ営業をするおねえちゃんとは気が合わないようである。(おい)

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