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「考える人」(2/2)

(承前)
そうなると、思考停止をすることで、あえて大学で得られたことを捨て去ることで生計を立てることは、否定されるものではない。しかし、これまた問題なのは、無意識に思考能力をなくすと認識してるならまあ便法としてしかがないし、必要なときに其の資質を引き出しから出すことが出来るのだが、知らないうちに思考訓練の資質をうせてしまった・・・磨耗してしまった・・・というのが一番まずい。いやヒト一人というのでなく、其の集団がうせている現実が生じ・・・
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・・・しかも、なくしたことに大方の人物が気がついていないのである。
-----------------------------------引用
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110714/221484/
「やらせメール」と人を無能にする組織   小田嶋 隆
九州電力によるいわゆる「やらせメール」問題は、発覚以来、拡大し続けているように見える。以下、これまでに報道されたところを、時系列に沿って列挙してみる。(中略)

 ……当欄でこれ以上細かい検証をするつもりはない。私は自分の足で取材したわけでもないし、新聞に書かれている以上の事情は何も知らないからだ。 ただ、報道された内容を追うだけでも、わかることはわかる。現時点で、はっきりしているのは、「やらせメール」にかかわった九州電力の関係者が、上から下まで、かなり致命的に無能だったということだ。
--------------------中断
ちょっと古い記事の引用である。それにしても・・・そうきましたか。無能だからというのはどういう意味でかという疑問がよぎる。
--------------------再開
 「やらせメール」が不公正な手段であったという点について、議論の余地は無い。誰がどう見ても、どこからどう評価しても、九電の情報工作は著しく不誠実な所業だった。
 が、問題は、「卑怯」とか「不実」とか「傲慢」とか「薄汚い」とかいったところにはない。
 無論、電力会社は卑怯であるべきではないし、ライフラインをあずかる業者が欺瞞的であって良い道理もない。
問題は、彼らの無能さにある。 たとえば、自分が乗る飛行機のパイロットに、私は、必ずしも高潔な人格を求めない。(中略)
 九電の幹部が、原発再開のために汚い手を使ったことは、ほめられたことではない。人間として恥ずべきことだとも思う。しかしながら、彼らが、原発の安全性と必要性を心の底から確信していて、その「何ものにも代えがたい原発の稼働という現実」を防衛するために、あのような手段に訴えたというのであれば、その気持は理解するにやぶさかではない。 安全性や必要性とは別に、やらせメールを指示した九電の面々の目的が、単に利益(既に完成済みの原発を動かし続けることは巨大な利益を生む)に過ぎなかったのだとしても、それはそれで、ギリギリわからないでもない。あまりにも巨大な利益は、倫理や道徳を超えて、日輪の如くにまばゆく見えるはずだからだ。 おわかりだろうか。つまり私は、九州電力の関係者が、彼らの生命たる原発の再稼働を果たすべく、なりふりかまわずに世論誘導という極端な手段に打って出たところの心根を、ここでは、とりあえず、百歩譲って、汲んでさしあげても良いと、かように申し上げているのである。
 とはいえ、仮にも一人前の男が、道を踏み外した手段に訴えるのであれば、彼は通常の業務に取り組む場合とは比較にならない真剣さで、その仕事に取り組まなければならない。当然だ。(中略)
 もし、九電のやらせメール工作が「必死」の業であり、その世論誘導の手練手管が、文句のつけようのないほどに周到で、また精緻かつ老獪であったのなら、私は、彼らの根性の卑しさを蔑む抱く一方で、「これだけの仕事をやってのけた連中なら、もしかして原発の安全管理を任せても大丈夫なのかもしれないぞ」というふうに評価したかもしれない。原子力発電所の安全は、とびきりに優秀な人間が、命がけの真剣さで取り組んではじめて可能になるテの、極めて困難なミッションだ。とすれば、その安全を支える人間たちが掲げる倫理は、もしかすると通常の世界の倫理とは次元が違っているのかもしれないからだ。
 ところが、倫理をどうこう言う以前に、九電の世論誘導は、作業として小学生レベルだった。 というよりも、報道されているところを確認する限り、彼らの仕事は誘導にさえなっていなかった。幼稚園児の「指きりげんまん」以下。針千本を呑む覚悟さえ持っていなかった。
------------------------中断
機器管理を任せるなかで、とびきりに優秀な人間が、命がけの真剣さで取り組んではじめて可能になるということは、じつはあってはならない側面が大きい。というのは、発電所は24時間365日何らかの運転がされており、AさんのオペレートとBさんのオペレートが違うということは、あってはならないとまでいるのである。そのため、がちがちに計器が設定され、交換部品の規格・仕様も融通というものがまったく排除されており(共通化というのはリスクヘッジとしてあるのだが) とびきりに優秀な人間が命がけの真剣さで、誰でもできるようにシステムを作りこむところに取り組んでいくことが求められている。そしてこのようなシステムを求める側の人間は、運転制御の要望・必要性は聴取するのだがオペレートは別であるし、かならずしも同じ人が担任することはしない。むしろ同じ人が担任することは、特定の専門家しかわからないということになり危険である。その安全を支える人間たちが掲げる倫理は、もしかすると通常の世界の倫理とは次元が違っているのかもしれないと筆者も憂慮しているモノのうち1つは、まさにこのような側面ではないか。
かなり前にも書いたが、このような行為は、社会の中で企業が存在していく以上免れないのであるとわたしはみなしている。少なくとも社会に対して責任を負っているというところを信じている人が集まるというのが「社」である以上、当然ありうることであって、たとえば会社の社員が会社の利潤を代表としてあくまで正規の投票権を行使させた上で市会議員を輩出することが否定できるかというと、これは否定できないであろう。問題はそもそも意見の聴取たるテレビ番組にどれだけ公共性を保たせる仕組みがあったのかということだし、もともとそのようなものを重視して世論を構築するということ自体が、意味を見出すべき行動かということを考える必要がある。問題が露呈したこと自体に、社会の健全性を見るともいうべきかもしれない。
これが公共性を求められる企業体(政府だったり地方自治体だったり)なら攻められる要因は数あろう。ところが九州電力は民間企業である。放送局も民間企業。これが政府のかかわる事故調査委員会へのアクションとも異なるところである。
http://dehabo1000.cocolog-nifty.com/holder/2009/10/post-9655.html
このときは、複合的要因がある事故調査の専門委員になるクラスの高度専門家にJR系の専門家の割合が多く人材の選択肢が狭い事です。実用研究には私鉄にも高いノウハウがありますが、事故対策研究は私鉄では鉄道総研依頼とかいうものがやはり多くなりがちという、構造的問題が元々あった。そのため高度専門家の第三者の立場になる人材自体が少ない。
困ったことに原子力の場合も同じことが言える。政府の「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の原子力専門家は隣接領域の人ばかりという批判を得ているが、もともと求められる技術陣容の専門家がほとんど利害関係を持っており、この鉄道事故調査委員会と委員がなんらか関係のあるひとしかいないという、同じ問題になってしまうのである。
つまりとびっきり頭のいい人は、この問題に対し発言をしようにも封じられているとなると、頭から地道な手法をこつこつと、歩留まり悪く、リスクも多く、しかし短時間で指示するという行為になる。その意味で頭が悪いというのは実は山猫型に、統制がなく(とるわけにもいかず)現場のボトムアップ(電力会社の現場であって、作業下請けなどへの現場ではない)的に自然発生したものであろうと考える。(続く)
-----------------------(一部省略)  再開
 彼らは、もしかすると、普段から正規の広報活動と不法な裏工作を特に区別することなく、それら二つを不即不離の日常業務として併存させていたのかもしれない。三歳児の万引きレベルの自意識。けがれなきいたずら。すごい。
 うしろぐらい作戦を敢行する人間は、ふつう、メモもメールも残さない。電話さえ滅多に使わない。必ず、相手と直接に対面しながら、あくまでも口頭で、すべての指示を伝える。
 たとえば、「26日の合コンだけど、あれ、ヤナセには内緒な。あいつ来るとめんどうだから」ぐらいな、ごくごく非公式な秘密連絡であっても、賢い組織人なら、メモやメールは経由させない。必ず口頭で伝える。聞き手の顔に真剣味が感じられなかった場合は、恫喝も辞さない。
「あと、この件は給湯室の女子にもオフレコだぞ。漏らしたヤツは終わりだからな」
 なのに、九電の人々は、これほど重大な秘密作戦を、メール経由で堂々開陳し、そのまたメールを不特定多数の人間に向けて、公明正大にばらまいている。信じられないナイーブさだ。
(中略)
 報道によれば、6月22日に九電から発信された「やらせ依頼メール」は、結果として4つの子会社の少なくとも1500人の人間で閲覧されたという。
 1500人。どんな強固なムラ社会であっても、この人数で秘密を守ることは不可能なはずだ。
 なのに、九電の幹部は、事態が発覚した後も、なおしばらくの間、とぼけきれると判断して、事実、とぼけようとしていた。
 私は驚愕している。
 これは、昨日今日の付け焼刃の無能ではない。
 きちんと筋金の入った、十分に訓練の行き届いた無能だ。
 単純な浅慮や無神経で、ここまでの無能さは達成できない。
 つまり、無能であることが求められ、無能であることが評価される機構がシステムとして維持されている場所でなければ、これほどあからさまな無能は生まれ得ないということだ。
 おそらく、関係者のすべてが無能であり続けることが組織存続の前提条件になるといったような何かが、九州電力の内部の、少なくとも原発に関連する部署には内在しているはずだ。そうでないと、説明がつかない。幹部から子会社に至るすべての関係者が、これほどまでに極端な無能さを発揮するためには、それにふさわしい、何か特別な事情が介在していないといけない。
 彼らとて、入社時点では、おそらく有能だったはずだ。現状でも、組織を離れた一個の人間として虚心に評価すれば、おそらく応分に優秀なのだと思う。電力会社は、過去何十年にわたって、常に大学生の就職希望ランキングの上位に名前を連ねてきた優良企業だ。その高い倍率の選抜試験をくぐりぬけて入社した彼らが、揃いも揃ってゴミみたいに無能だということは考えにくいからだ。
 おそらく、無能であることが求められる風土(疑問を持つ態度が疎んじられ、無批判な前例踏襲が強要される、といったような)が、少なくとも原発部門の社員の間には共有されていたのであろう。逆に言えば、電力会社に入社した社員のうちの、多少とも優秀な部類の人材は、他社との競争があったり、研究開発のための知識と思考力が必要だったり、コスト削減の努力や売上向上のノルマをかかえている原発以外のどこかほかの部署に、順次移籍して行ったのだと思う。
--------------------------------後略
実のところ、保全業務という中で資質を磨いていく場合、既存の実績やマニアルを遵守することが前提であり、あくまで其の前提を「理由を問わずに」守った上で改善する中で業務を遂行していくというのが、ここでの求められた業務である。そこでは技術的な専門知識は高く尊重されるが、思考訓練は誰でも出来る資質になりえないし、誰でも同じ作業をするという保障ができない。このことから「思考訓練」は否定される傾向が強くなる。つまり適材適所に人材を配置するという企業での効率向上の活動を行ったわけである。そして其の中で高度な知識を持ち、かつ「思考訓練」の習慣が磨耗せず残っている稀有な人物を、最後には管理職にするということにする(ないしは研究部門などから人をつれてくることなど。其のストックは多いのも事実)ことになるのだろうが、達成できるかはなんともいえない。
全体に、小田嶋 隆氏の発言は
「あくまで企業人にとって必要なものが自営の文筆家には不適であり、逆に自営の文筆家に必要なものが企業人にとっては不適」
であるというところ判別せず述べており混乱しているところもある。上の表現にも「それ簡単に言っていいのか」といぶかしがる意見も私は感じ、いささか不快に感じることもある。
しかし本稿においては、原発部門のみならず発電所全体、そして大方の工業における保全業務というものは、基本的に思考訓練能力が高いことがライン業務では不利益になること、そして一方、緊急対応でもマニュアルにないものに対して現場にて独創的に、指揮系統を混乱せず行うことは意識してオフジョブ形態でしか人材を得ることが出来ないということ。そして其の思考は一般社会の議論手法とは差が出てしまうことが宿命であるという指摘は、かなり明確だと感心してしまったのである。(其の認識が彼の学生時代の体験というのが本文の後段に続く)
大学教育のなかで売りが専門知識の基礎知識(電気工学なら・電磁気学とか)なのか専門知識の現実において如何なる運用・如何なる公知情報提供・知識運用の思考訓練なのかは、へたをすると企業や採用部門にとってはつかえる人材・使えない人材のマッチングにかかわる。(両方使えのがベストではあろうが、この2項目は時に相反要件でもあり、よっぽど社会性がいいか腹黒い人でないとなりたたないのではないか。
私は、この事件を無能ゆえとは考えない(小田嶋氏の前段の意見に近い)。しかし現実に極めて即応・最適化しすぎることが企業の社会的要求であるという前提では公共性や緊急性の対応能力を失うということである。考えるという行為が冗長性保全の資質とも言えるが、其の人的コスト・モチベーションの見えない維持コストもヒト・モノ・カネとも極めて高いということであろう。

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