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ワシが育てたと言い張る

酔うと大言壮語し、「よっしゃワシがオバマに言うたる!」 て言う其の尻から足元おぼつかず、溝蓋に足を突っ込みこけるというよっぱらい。まあ、大阪のミナミにいくといるようである。少なくとも地方都市では見ないし、都内ではまあ一部のサラリーマン の聖地(Ex:新橋・神田・池袋・森下(爆笑)・・・)ではともかくほかではいないだろう。
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大阪を拠点で活躍する実力のある漫才の矢野・兵動にこのネタがあり、思わず大笑いした(2分40秒以降 まあうまいんだこのしゃべくり漫才)が、これはそういう大言壮語する酔っ払いは結構いて、またあまりにも現実味があったりする。

まあ、この類似ネタには「○○はワシが育てた」というのがある。野球ネタなんかでもあるんだそうな。
けど私が思うに、本当に育てた人は大概「○○はワシが育てた」なんて言わないし、またいえるはずが無いと思うのである。
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仕事柄、技術士の育成指導に係わることも多く、今年も合格した人、合格しなかった人が連絡を頂いている。
まあ実力のない人が合格するという場合は、「まあ、そうなのか、今後いい機会を頂いたのだから人に合って勉強することだね」という形で祝いながらも自己啓発を促す(継続研鑽という)ものであるし、それによって「化ける」人材も又多いのである。一方実力がありながら、要領が悪いとか、試験官との相性に恵まれなかった(面接試験があるため、これはいたし方が無いとおもうこともある)から、合格しなかったというのだけは、なかなかむなしいものがある。
とはいえ、私たちは、指導する人にたいして其の試験場所の門前まではつれ体って肩を押すことは出来るのだが、基本的に中に入って答案を作成することもできないし、(してはならないというのが当然)其の門のまえで引き返すのをさまたぐぇることも出来ない。また、門前まで連れて行っても、本人の意思で隣の門に入っていくのもある。けどそれが当人にとっては最適な答えということも「あとになれば」気がつくようなものがある。
つまり育てた人間にとってはあと追いで「○○はワシが育てた」ということはいえるのかもしれないが、それは育てた人間とは違う方向だったりするものであることも又多い。さらに先生・師匠・メンターは当人にはどう対応するかはともかく、育てるという中の最後のジャッジメントは当人の資質と運にあることが、厳然とある。教えることに心から立ち向かっているひとこそ其の感慨があるのではと、推察する。
「青は藍より出でて藍より青し」なんていう。青色の天然染料は藍から取れるが、単純にはほおっておいても染料は取れない。乾燥した葉を室のなかで数ヶ月かけて醗酵させて「すくも」を造り、更にそれを搗き固めて藍玉を作り、これを利用する手法が日本では行われ、発酵工業なのである。このように、難しい工程(人間でいう教育や努力)があって、藍から得た染料は原料の藍よりも濃く、鮮やかで、有用である。このようなことから、弟子が先生・師匠・メンターよりすぐれていることのたとえであり、人の成長は教育(門前まで連れて行く)以上に本人の努力がどんなに大切かということになる。
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最近、一緒に仕事をしている現業系の技術者さんが、特級技能士試験に受かった。私も当人が相当苦労しているのを知っていたのだが、指導を私がしたわけでない。しかし、良かったねといったものの、当人はむしろ「こんな程度で取れたということは・・・・」と、ある意味責任の重さに打ち震えている。
底力があるひとこそ、悩むのかもしれない。彼には折々の助言はみながしているが、「△△さんはワシが育てた」ということは誰もいえないと考える。当人がだれに育ててもらったということは、言うなら当人の自主性に係わることである。ちゃんとしたメンターこそ、第三者が「△△さんは●●さんが育てた」とほめたりすることはあっても、「△△さんはワシが育てた」とは決して言わないし、指導という業務の限界と、黙って肩を押す役割を全うする必要性を認識するなら、そのような言葉は発することができないと信じる。

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