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心因反応的なことならあろう(1/2)

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反君が代教師「君が代を弾くと指が震え胸がつまり冷汗出る」   NEWSポストセブン 2012年01月06日07時00分
橋下徹・大阪市長が推進する教育改革に対し、教員組合側は激しく反発している。昨年12月上旬には、大阪職員組合(大教組)など8団体が主催した1400人を集めた反対集会が開かれた。
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集会に参加した教師たちは、普段は子供たちに教育を施す「先生」である。そして、子供たちには暴力的な行為を否定することを教えている。だが、そうした“聖職者”が我慢の限界を超えると、時として自身が“暴力装置”に変貌することがある。その“導火線”となってきたのが「君が代」問題だ。

2008年に橋下氏が府知事に就任して以降、大阪では教職員への国歌斉唱時の不起立に対する戒告処分が続いてきた。2010年3月に府立高の卒業式で起立しなかった4人の教員が戒告処分を受け、昨年6月には府議会で「君が代起立条例」が成立し、府立校で君が代斉唱の際の起立が義務化された。現役の府立校教諭で、「『日の丸・君が代』強制反対ホットライン大阪」事務局のI氏が語る。
「個人の思想・良心から国歌斉唱の際に不起立をする者の多くは、組合活動を熱心に行なってきた50代の教員です。今後も自身の信条に従って起立せず、条例に背いて処分を受け入れる可能性が高いでしょう。
橋下市長の狙いは、こうした教員を学校から追い出して若い教員の後ろ盾を奪ってから、評価システムで管理・支配をしていくことにある。そのために君が代を踏み絵にしたのでしょう」
それが教組の中核教員に絶大な影響を与えることは、過去の事例からわかる。東京の都立高校元教諭で「不起立のジャンヌ・ダルク」の異名を持つ女性教師は、自身のHPでこう心情を述べている。
「(式典で君が代を聞くと)心臓がバクバクし、中国大陸に侵攻した日本軍の若い兵隊が中国人捕虜を銃剣で突くように命じられた姿が浮かんだ。私は“お前は突くのか”といわれているようだった」
こうした「反君が代」教員の相談に乗ってきた精神科医のN関西学院大学教授の調査では、こんな事例が報告されている。
「音楽準備室に入り込んでくるカメムシが教育委員会の人間に見えて、見張りにきたと感じた」
「クビを吊っているイメージが浮かぶ」
「『君が代』を弾こうとすると指が震え、胸がつまり、冷や汗が出てくる」
極端なものになると、「ピアノ伴奏を強要され続けた音楽教師がストレスによる出血で緊急入院し、診断を受けたところ胃の動脈8か所から出血していた」という。このエピソードは昨年のW選挙期間中に『赤旗』による橋下批判記事で取り上げられ、教師たちの間で反響を呼んだ。
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まあ、実のところを言うと、私の周りにも「国歌」を歌わなかった大人は教員も含め結構過去にはいた。それらの多くははもちろん戦争において悲惨な姿を見たりというのほか、親族においてそういう経験があったり心理的に不利益を受けたりという経緯のあったひとであった。しかし、「個人の思想・良心から国歌斉唱の際に不起立をする者の多くは、組合活動を熱心に行なってきた50代の教員」というのはともかく、50代の人だと自分の親が従軍しているという事例も多く、一次的な情報が入っているというため、直接経験よりも強い認識という気がするし、一般市民でも多い領域である。
なお、組合活動を行っていない教員にも実は「国歌」を決して歌わなかった人はいる。ただ、公立の場合このような人は組合に這入っていない場合は排斥されたりするし、幻滅して早いうちに転職しているのではと思う。
自分の親は従軍してはいないが、実際に原爆にあっているし、兄弟が戦死していたり、いとこなどが傷痍軍人として帰ってきたりということを経験しており、50歳台の人なら、そういう体験者から話を直接聞いている場合も多かろう。そして少なくともこのような声が大きい都府県は、従軍による死者などが多いという話を聞いたことがある。(本当かわからないが、世羅高校事件の例もあるように、広島県にて国歌・国旗に対する批判が強いのはやはり原爆の影響であろう)
よく、スポーツの応援で国歌を歌うことが国際試合で歌われ、あれができるということが好ましいという視点があるが、上記の国歌を歌えないという人においては、この国際試合の中継でも国歌が鳴る段階になるとTVの音量を絞るという行為をする人が幾人かいた。また、時々選手が国旗をかぶって掲げるのにも「この人たちは国というものがなければスポーツに勝てないのか」と嫌悪する人もいた。いわく国によっては国歌を歌わせてもらえない国(たとえば台湾など)もあるんだしと。
もしも「国旗・国歌」そのものに反対なら、現在国際的儀礼の中で国の存在が受け入れられる国は少ない。(最も国旗に対して良心的な見地から主義主張を伝えるため、自国の国旗を燃やすなどのアジテートメントなどはOKという国もある。良心の自由とのバランス)ともかくも「国旗・国歌」は国民の心のよりどころというものもいるし、現在の「国旗・国歌」がそぐわないと思っているものでもそれを代替するものを提案すればいいという人も多い。ただなかには(これは戦争とは別の概念で)そもそも、「国旗・国歌」というものをよりどころにするというか、団体組織をよりどころにするという概念を否定するという人もいた。子供たちに教育する際に、日本国民である以前に地球の住民であって、国では納まらない考え方や概念があるという概念をどこかで教育するというところからせめぎあいになる事例もある。 (なお「校旗・校歌」や「社旗・社歌」というものも否定している人とも重なる。但し、企業によっては心のよりどころに企業体を持ってこられるのは営利企業の本質にあわないということで、社旗・社歌を設定しない企業が多くなっている)こうなると、国というものの存立概念の問題になる。
取りあえずは「国旗・国歌」の存在自体は積極的にせよ消極的にせよ肯定しないわけにはいかないという形で以下論旨を進める。
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よく上記の話をすると、「日の丸・君が代」反対論を掲げる人たちが「国旗・国歌」は尊重するが、「日の丸・君が代」は戦前の国家体制を象徴するから反対ということに対し、何故「新国旗・国歌」制定運動を起こさないのかがという疑問を呈する。これについては、「新国歌」については、過去に国歌の改定に関する提案は、種々の団体からされていた経緯もある。(「国民歌」という形。このうちこのとき募集した歌を今でも使っている教員組合がある)しかし、これについては議論が政府・諸外国の視点もあり握りつぶされてしまったという。(朝鮮戦争の時期で、共産主義に対抗するという側面も否定できない)このため、以後国歌を提案する活動は社会的には、自由主義に反するという意味合いが出てきて提案することができないというのと、このときに普及しなかたことがあだになって、新たな歌を提案できずにいると考える。ここで国歌といわないのは、当時は君が代が国歌とは法制的に規定されていなかったことと、多くの国家は非公式な国歌も持っていることで、其のほうをメインとすることもできる(たとえば中国は義勇軍進行曲を国歌としているが、東方紅を主に使った時期もあるなど)からで実質的効果を得るにはあえて国歌としないほうがいいといい見方もあろう。また、新国旗に関しては、船舶運用上の実務の問題もあるので、其のコストから考えると動きにくいということもあるが、企画があったという話も漏れ聞く。 
(続く)

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