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デジタル信号の話だが其の実態は

大体の場合、揉め事がおきて裁定を求める場合、問題点は二分化してしまうと「分かりやすい」ものである。アンケートしかり種々の契約ごとしかり。小選挙区での選挙もしかり、そして、裁定結果も大概良いか悪いか、とりいれられるかとりいれられないか・・・
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さてちょっと技術の話をば。

子供に学校からデジタル信号とアナログ信号についてのレポートが出ており、其のことをすこし聞かれたので気になったのである。
デジタル信号とは、離散信号をデジタルに表現したものである。実際は、アナログ信号から演算され導出されることが多い。アナログ信号とは連続信号であり、回路のある箇所での電圧などでたとえば時間を横軸、信号値を縦軸とした直交座標で描くことができる数学的関数という解釈をする。
離散信号は、このアナログ信号の標本を採ったものであり、一定間隔(例えば、1μ秒毎)でデータ値を採取する。
個々の標本値が正確に測定されず(真に正確に測定するには無限の精度が必要で、実用性が無い)、ある適当な精度で測定した場合、結果として得られるデータ列はデジタル信号である。固定の桁数やビット数で正確な値を近似しようとする過程を量子化という。
以上のように、デジタル信号は量子化された離散信号であり、離散信号はアナログ信号を標本化したものであるわけで、基本的にはアナログ信号があってのデジタル信号である。
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アナログ信号は極論すると「(補正はあっても)一定であるべき」しきい値で切り上げ切り下げを行うことで、1か0に加工して出来ている。それを大量に処理することの方が記録行為・演算作業に対しては有利なので、アナログで出来ない電気的処理をたくさん、減衰することなし(減衰があっても其の要素を補正できるよう)に出来、かくてiPod(アイポッド)などのデジタルオーディオプレーヤーが評価される元になった。
ところで、このような録音方式は確かにいい音を得られ、記録媒体の劣化も少ないし小さな大きさでデジタルの特徴を生かす小型機器ということで喜ばれている。しかしやっぱりレコードの方が「音に忠実」だという人もいる。ここで音がよいと言う意見ならば「アナログのアンプは音に関しては、聴感のよいような増幅の癖を持たせるとか、音の設計(音つくり)をすることがありますからね」ということで一応話は終わってしまう。ところが、「音に忠実」という意見の場合は、オーケストラを聴きにいって、そこで録音したりとか(これはまずいが)、あとで実況盤を聞いてで比較だったり、後で聴くと???だとかいうことで語る人がいて、これが始末が悪いのである。
もちろん当人の思いこみが高いことはあるのかもしれないし、そのバイアスは免れないのだろう。ただ聴覚がきわめて研ぎ澄まされる人の場合まったく根拠が無いともならない。この人の聴覚が人間の標準的聴覚を越えて、高周波・低周波の領域のデジタル録音の領域では、無視できるというものが聞こえたりしており、レコードではわずかながらもこれが再現されるのだが、デジタル機器ではでてこない領域・・・としたら、これは、有意差がないと言い切れない訳である。
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産業界で起きる工場騒音の場合でも、公害防止や作業環境保全の側面からみて、環境基準に準拠し問題がないと思っていても、周辺住民にとっては無視できない状況になることはある。(どちらかというと低周波問題が多い)たまたま相手方が高周波に敏感というのはある。設置したほうがわからないのだ。こうなるとお互いに悲劇である。
この逆の事例もあり、作品を数多く送り出している、某有名声優さんは、アニメ類に自分の声を当てるため記録し、マスターボイスデータをある音声フォーマットにデジタル変換する時、異常なノイズが発生しがよくでるので調べたところ、個性的な彼女の声には耳でまず聞こえないほどの高調波(可聴域を超えた20kHz超の超音波)が含まれており、その部分が音声変換ソフトにノイズとして認識され悪さを働いたという話もある。
つまり、人の聴覚はすべての人間に一律だというのには無理があるという事を示している。微細なパラメーターが支配する内容の場合、デジタルだからこそできること・デジタルだから漏れる(アナログ信号を標本化した離散信号を量子化したものという加工をしたものがデジタル信号だから加工過程が入るため漏れが生じる)ことという見方はしておくべきである。
計測信号などでも同じような問題があり、そこではあくまで実用性の視点から現在では一般的な問題は生じない。しかし、実験技術者によっては、ごく微細な信号変化が議論や新現象の発見につながるということもあり、計測機処理にアナログ的電気処理を行うものでの計測を選択肢に入れるものである。
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比喩的に、物事を割り切らず、曖昧さを残しつつ理解する人のことを「アナログ人間」と呼ぶことがある。そうなると、上で述べたようにAかBかで判断するのは便利であるが、信号が単信号のひとつだけでだけであると、これは荒っぽい議論になる。
たとえば郵政民営化に賛成か反対か、反乱軍か同士か、抵抗か改革かという1か0かの質問で単独処理をするのは、非常に明確だし、誰の目にも明らかだしということで、大衆政治家が使いやすい手法である。また当たったらこれほど明確なものはない。しかしそれは議論すべきことの本の一部分を示しているだけであり、アナログ的に事象を是々非々でみている人の判断内容に対して、デジタル的情報処理で同一の判断内容を吟味するなら、内容は相当量の選択肢を持っていなければ、本当は理解し、判断できない多項式的内容のはずである。
とにかく、論旨を限って議論し、結論の収斂が必須なものでは、仮想敵を一つ提案し、それに対して「是か非か」ということをするように、多項目に検討をするようにし向ければ、感覚的にはきれいに判断されている「気になる」。
機械商品などにおいて商品性評価をする場では、トレードオフマップ(星取表といういいかたもある)を作って複線的比較をするものである。このなかでも必ずベンチマーク(この場合は指標よりも目標という意味が近い。自動車の設計企画工程の言い方に近いか)が設定されるので、ある意味仮想敵を提案しているという性格もあるが。其の場合でも1・0評価の多次元的累積にて行うものがおおいため表向きはアナログ的になっている。時に、果ては「社内で検討したという同意を得るため」となってしまうこともある。

つまり、デジタル的指標にて判断するのは決して悪いことではないが、多元的評価をせず唯1点での評価で行うと、合理的な評価といいながら極めて恣意的指摘を行っていることが混ざると判別がしにくいことになる。そこにベンチマークとして(この場合は負の意味でのベンチマーク設定)が設定されると、ことの本質を見ずに賛同するのが「合理的」な選択という見方にさえしてしまうことになる。
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学者さんと大阪市長の橋下氏が議論して打ち負かすということで、結構話題になっている。もちろん民意という中での選挙で首長を選ぶのは0か1かのデジタル的判断でしかないわけであるが、意見の内容はアナログでしかならないわけで、それが候補毎の得票比率であろう。デジタル加工されたデータに基づいて橋下氏が「自分が民意」だということをいうのなら、デジタルとアナログの信号の中での変換能力の差である。
とかく、自分にはどうすることもできない課題をトップダウンで解決してくれる強大なパワーの担い手を「リーダーシップ」と言う言いかえをしていることがあろう。「閉塞感の打破」というのは閉塞した状況に直面し、ボトムアップで状況を変える方法を見失った人たちが言う言葉であるのかと思う。其の必要性の無いコミニティーにはこれさえも出てこないし選挙にも行かない。要するに問題意識があるが万策尽きた人が期待しているというのは事実。そのいみで「閉塞感の打破」という視点で、橋下氏は一日の長がある。
問題はこの意見の収斂手法もあるが、これは劇場政治といった小泉さんのときの、郵政民営化理論にもあるわけで目新しいものではない。
ところが、郵政民営化の場合は設定された負のベンチマークは既存政治家であり、これはさほどぶれなかったとも思うが、今回橋下氏が設定している負のベンチマークは身内の府の公務員であり、それがある程度処理されたら今度は負のベンチマークは他府県の首長だったりする。そして市の公務員が設定されある程度たったら、今度は負のベンチマークは学者である。(もちろん彼も学者の優秀なスタッフを抱えているのだが)。また、もともとの同士に近い立場の人に対して、急に負のベンチマークにしてしまう。たしかにもともと問題点がある内容である。
言い換えるとこのベンチマークというのは離散信号をアナログ信号に変える「しきい値」なのだが、この「一定であるべき」ベンチマークの値が一定で無い。知らないうちに急変され其の前後で合理的評価と恣意的評価の峻別ができなくなってしまうが、判断した内容だけが残るため成果としては残る。気がついたら、合理性を第三者が判断できなくなるような二重三重の演算が行われてしまう。これをあとでたどる(再現性を得る)行為ができなくなるということになりはしないか。
2つの独立パラメータがばらばらという中で閉塞した状況に直面し、ボトムアップで状況を変える方法を見失った人たちが「閉塞感の打破」には成功しても、問題の顕在化どころか潜在化で、関係ないところまで崩してしまうということになりかねないという気もするのである。
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目的意識という意味で言うと、企業活動の理想的な手法は基本的に悪ではという意見があるそうな。(爆笑)
正義の味方と悪の組織の違い。これは面白い。 on Twitpic
この判断もある意味デジタル的である上に全般的に悪の組織の側から見ている。実際には正義の組織から見ると違う表がかけそう。ただし、「設定された負のベンチマーク」のほうが(モノはいいようとは思うが)むしろ社会にとっていいように思える。魅力的すらある。けどやってることは反社会的であったりするのである。正のベンチマークは簡単に負のベンチマークということにかわりうるのである。

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