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医師の感覚(1/2)

先日20数年ぶりに郷里で、複数の知人とあうことになった。10人ほどとあったのだが、このうち半分が医者。私の日頃おつきあいしている人たちと違う人たちである。日頃の面子とはかなり変わったはなしを聞くことが出来た。
ただし、医者と言っても開業医はほとんどいない。臨床勤務医である(中には大学病院などの勤務で「教授」という肩書きの人もいる)し、地方の診療所に期限を切って派遣というのもいた。中には病理解剖などが専門の人間(専門医)もいるが、研究者でもない。となると、必然としてかれらにとっての「薄給」と言う話になる。
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地域にもよるが最近は、医師不足が顕在化している一方で都市部においても医院の過剰感があり、昔のように開業すればなんとか・・・というのは甘えしかないんだとか。公立の医療機関とか、大学などでの勤務だと兼務は基本的に難しい側面があり、ある程度の理由(例:論文執筆に関わる案件)がなければたとえば医院の臨床医療のお手伝い(バイトですかね)は受けにくい。論文執筆などの視点がなければ、なかなかこれも難しい。

面子の中に大学の高度医療のキーマンである人がいたが、この人も基本給を聞くと、おいおい、都市銀行・中堅企業の部長さんもびっくりという低額であった。これは基本的に年齢による給与差が生じにくいということもあるそうで(そうかんがえると同じ給料を30歳でもらってるなら、恵まれている待遇ともいえる)生涯賃金ということだと、やっぱり高給というのはいってもよかろう。
なお、この薄給と主張する医師の場合は、業務の兼務が限定付きで認められており、製薬会社の新薬投入へのコンサルなどの業務が「そこそこの実績がある肩書きだからこそ」あるようである。その意味では名目はともかく実額では相当額の入りはある。一方公営の医療関係では実際上兼務はできないというのも事実である。

ただ、悩ましいと皆が言うのは、子息がお父さんの仕事をやってみたいと言う場合、この給料で医科大学に行くのは、学費の安い大学(国立大学か・・・)に限られてしまうと言うことらしい。これは言っている人たちも認識していることで、生半可な学力では医師はつとまりにくく、またそこは通したいということからか、今のところ、子供たちに医師をするという意欲のある物は父親の仕事に興味を持っている子供はともかく、全体にはあまりいなかったと、勤務医たちは笑っていた。
どうやら、機材・不動産・貢献実績という資本投下を行っていた開業医なら、子息もそのインフラを引き継いで開業医ということになるのだろう。ある意味資質のないものは医師にならないというところは明確で、一定の理にはかなっている。ただし親の教育レベルを獲得する教育コストを子息に対し負担できる訳ではないと言うところは、一般的に特権階級的に扱われがちな医師でも決して我々と大きな替わりがないと言うことに驚いたのである。
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ところで地方医療の困難さは、時々私たちにも伝わっているように医師不足と言う形で端的に現れている。
その昔は「開業医の息子は開業医」としてその地域の社会に貢献すると言うことが、地域社会で行われていた。知られている物では漫談の「ケーシー高峰」氏は自身も日大医学部に進み(後に転部し芸術学部卒)母親は100歳近くまで山形県の寒村で地域医療に貢献し、かれの兄弟もまた近傍で開業医を営んでいるという。彼の漫談が一応医療内容で帳尻が合っているのは、読むべき医療雑誌などを知っている上に、その手の本を購読したり文献を入手・購読していると言うことも大きいらしい。
しかし、近年資本集積がないところ・・都市部以外・・・での医院開業は、地域の名士とかのインセンティブがない場合、その投資額から考えて難しくなってきた。そうなると、たとえば大学病院からの派遣とか出向と言う形で運用されていくしかなく、そしてそのようなシステムしか地方の医師確保が成り立たなくなってきたという結果、近年の改革による「派遣医師の引き上げ」ということで地方では医師確保に苦労する現象につながっているという。

かの阿久根市は市政の困難ということで市職員の給与を公開し、人権面を含む批判を浴びたが、一番高い給料をもらっているのが市立病院長の医師で、1000万円/年であり市長・助役を含む市の幹部はそれより低いと言うことになっていた。もっとも市民の勤労者の平均収入が一人300万円/年以下であるこの町では、市役所職員の給与は市の平均勤労者給与を高くしていており、それは税金収入を少なくしていることから財政を食いつぶす状態になってはいる訳であり、調整する業務が「至近かつ直接的に」市民サービスの低下を招かないようにするには、給与の一律削減を「周辺町村・県とのバランスを無視して」おこわなければならなかったとはい得る。けどそれは、有能な人材で給与を目標とせざる得ない意識としてはともかく、能力が有能な人事の多くを逸走させることになってしまうのも事実である。
まあ、そうなると、日本国民全部があまねく一律の医療福祉サービスを得なければならないと言う場合に、医師の給与は地域の平均給与に比べて著しく高額というのが、医師の尊厳を損なうという事象が出てきたという事に私たちは考えなければならない。というのは1000万円というのは、医師のいない地域において医師を招くときの標準報酬額というガイドライン下限なのだそうな(其の上の設定は特約がないとむずかしい)。また、医師が学会などに出て、常に最新の継続研鑽を計るには、交通費などが自弁と言うことから考えると、僻地だからこそ、そこまで高い給与といえないともいえる。しかしそれでも志願者は少ない。
つまり、この給与水準をまかなうことを良しとしない地域では、医療(これは検死などの法的業務を含む)が達成されないと言うことになる。
しかしそれでも、自分たちの村にて医師を育成することが出来なかった場合でも、招く医師の給与が高いと言って医師を排斥すると言うことも起こり始めている。頭が痛いことには、そのような活動をする人は、医師の生活における必要性を頭から否定するという場合も多いし、医師がいなくても人間はいつか死ぬ物だから、そのような為に自分たちの支えきれないコスト水準である、医療を維持する維持する必要はないと思っていることもあるらしい。そしてこのような地域は老齢者がきわめて多いため、医療に必要性を見いだす若年者が少なく、彼らの意見が通りにくい事がさらに事をやっかいにしているとも言う。なお、若年者が多いものの、それらがほとんど都会から戻り、引きこもっていると言うことで、老齢者と同じ社会環境になっている場合もあり、統計上若年者が多いから、そのような意見が成り立たないと言うわけではないのに注意。(続く)

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