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現場に触れるから疑う能力が得られる

正月に『武士の家計簿』という映画をみた。2003年刊の新潮新書の歴史学者磯田道史の著書を底本として2010年に映画化したもの。
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監督は森田芳光。
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森田芳光監督急死 61歳、急性肝不全 遺作「僕達急行」来年3月公開  讀賣新聞 2011年12月22日
 「家族ゲーム」「失楽園」などで知られる映画監督の森田芳光さんが20日午後10時15分、急性肝不全のため東京都内の病院で死去した。61歳。東京都出身。(中略)

 日大芸術学部在学中から8ミリ映画を製作し、1981年に落語家の若者を主人公にした青春映画「の・ようなもの」で劇場映画デビューした。家族の崩壊など、日本社会が抱える問題を独特のユーモアを交えてスクリーンにぶつけた。
 松田優作さんや伊丹十三さんが出演した「家族ゲーム」では、横一列に並んで座る食卓の風景で、空疎な時代の空気を活写。ブルーリボン賞監督賞を受けるなど高い評価を受け、実力派の若手監督として注目された。さらに薬師丸ひろ子主演の「メイン・テーマ」など、アイドルを起用した映画をヒットさせ、低調だった80年代の日本映画界をけん引した。
 役所広司と黒木瞳が悲恋のカップルを演じた渡辺淳一さん原作の「失楽園」は社会現象に。夏目漱石原作の「それから」や、向田邦子さんの「阿修羅(あしゅら)のごとく」、さらに宮部みゆきさんの「模倣犯」、奥田英朗さんの「サウスバウンド」など強い関心を持ち続けた文学の世界を、たびたびモチーフにした。
 パソコン通信による出会いを描いた「(ハル)」など風俗を取り入れた映画をつくる一方で、近年は黒沢明監督の「椿三十郎」を織田裕二主演でリメーク。堺雅人らが出演した「武士の家計簿」など時代劇にも才能を発揮した。松山ケンイチ、瑛太主演のコメディー映画「僕達急行 A列車で行こう」が来年3月に公開予定だった。
 森田監督は体調を崩して13日に入院したが、その後、容体が急変した。映画関係者は「ご遺族も予期していなかった突然の死だったもよう。体調を崩すまでは、普通に元気だったと聞いている」と話した。
 関係者によると、監督は酒を飲まない人だったという。現場でどなったりするタイプではなく、言葉は柔らかく、演技指導もていねいだった。食事の場面に独自のこだわりを見せ、ゆでたまごのかじり方を細かく指導したりしていた。(後略)
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C型肝炎による急性肝不全だったらしい。合掌。

さて、この映画では加賀藩の「御算用者」(要するに会社なら経理部)を担っていた猪山家8代目・猪山直之のもと、膨大に膨れ上がった猪山家の借金返済に一家を挙げて奔走する姿と彼らの家族模様、そして藩内の政争や幕末維新の動乱に否応なく巻き込まれながらも乗り越えてゆく直之と息子・成之や家族の姿を描いた。
猪山家は代々、金沢藩の経理業務にたずさわる「御算用家」だった。能力がなくても先祖の威光で身分と報禄を保証される直参と違い、ソロバンの猪山家は陪臣身分で報禄も低かった。しかし、120万石の大藩ではドンブリ勘定で経営できるものではない。猪山家が歴代かけて磨きあげた「筆算」技術は藩経営の中核に地歩を占める。 残っていたのが「金沢藩士猪山家文書」という出納帳である。
なんというのか、経理業務などをしている人にとっては悩ましかろう。しかも救飢用の米の不正横流しに関し、監査がはいって二重帳簿がばれて粛清なんてのは昨今の某社の(以下自粛)
経理業務に限らず、数理概念を把握するというのは日頃からやっていないと難しいことである。この映画の場合日頃から緻密に、愚直に業務を遂行していをったことであろう。しかし、やはりこの場合日々、実際の出納帳面をつけるという行為を地道にすることで、能力を高めていく。身分以上に能力が評価されていった幕末の実相を示す。(その意味である猪山家が、まじめであるもののけっこうスカタンであるのと、英才教育で才能を評価された其の孫との比較。
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先日講演をする機会があった。その席で質疑応答をするなかで気がついたのだが、直感的な視点を身につけるためには、実はシミュレーションなど、ある程度使えるという機器に任せきるだけでなく、時に応じてその中身が理にかなっているかということを認識することをやっておく必要がある。しかし多忙にかまげ、このずれを意識していない技術者が、ますます多くなっている事である。このような場合いきなり数理解析に突き進むと、物理的感覚にさからった技術内容を出して疑うことができないということになる
現実や実験結果に対し数理演算が異なることはそう珍しい事ではない。数理演算の荒さが影響しているとか、モデルの建て方と現状が合致していないとか、反対に実験手法や実験結果の計測・集計手法に不手際・不安定要素があったとか、どこかに差違が生じる項目が埋もれていると見なせる。時々、この内容を研究すると新しい知見が隠されているということも多い。(トンネル効果を江崎玲於奈を見出した顛末ではゲルマニウムトランジスタの不良品解析において、製品としては使い物にならないがトンネル効果を持つトランジスタを偶然見つけたことがトリガーである)
私が関わった時代のFEMは未成熟なところが多く、計算の過程での「メッシュ切り」という過程は、手作業によるノウハウが必要であった。うどんやハムでもないのに「手切り」なんて言葉もあったのである。その場合もっとも重要な箇所に於いては、経験則を考慮することになる。
ところがこれが最近では、経験則以前に、現物をみればありえない内容であるにも関わらず、CAEのデータベースありきで推論をするということをみかけることがある。
実際ありうるのか・・・というとはたまた疑問、しかしデータがそうなっているからという評価で議論が進む。。
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現場にいってデータが破綻しているということがどうしても多くなっているのは、このようにデータを疑ってみるという視点がかけているという人がデータを取っていたということによるものが多い。
もっとも、データをみればその危機の問題点がわかる以前に、データ作成のポリシーなどを疑う問題点がでてくるのも事実である。そこを判断することもまた必要だったのだが。
いずれにせよ、出されたものをまず一度は窺ってみるか、うかがってみることができるノウハウを見につける。どうしても経済性から考えてめんどくさく思われることであるが必要なことである。

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