« 医師の感覚(1/2) | トップページ | 黙れ! »

医師の感覚(2/2)

(承前)
秋田県である村では招聘した、僻地診療の経験が長い医師がのきなみ1年たたずにやめてしまうという話がある。村長は「言われ無き中傷により、心に傷を負わせてしまったことが最大の原因」と語る。
この医師の完全休診日はわずか18日。土日や祝日も村内を駆け回り、お盆期間も診療を続けた。しかし、盆明け1日休診にすると「平日なのに休むとは」と再び批判を受けたというなど、クレーマーが蔓延している。 無医村になったら村民が困る。自分で自分の首を絞めているともいえるのだが、それでも最低限の医療従事者がいないと村が成り立たないため、均衡の町村の医師に誘導するカウンセラーを雇っていくことになったらしい。
ブログランキング・にほんブログ村へ
この村は、工業団地やショッピングセンターもなく、また、誘致した工場も倒産したり逃げ出している。公共交通機関としてはバスがあるがその本数も年々減少傾向にある。(参考であるが、田舎でバスがなくなる場合は、自家用車でカバーできるからという場合もある。しかし平均所得がきわめて低い地域や限界集落の直前の場合、自家用車購入目的のための貯金などもできないと言う理由で、民営バスの依存度がそこまで落ちないという場合がある。総生産高の低下に依存する輸送量低下のほうがパラメーターとして大きくなる場合がある。)

この場合村の総意はわからず、また、自家用車が入手できる人の場合、隣町の公立病院に通える逃げ手もあるらしい(最も民間の医院がないと言う話もある)というが、これとて自家用車をもたない当地の「多くの」高齢の人にはあまり意味がないようである。
村民が排他的でよそ者の入るのを好としないことで町村合併もうまくいかず、企業誘致を行ってもうまくいかないとか、独自にやっていける産業がなくても、老年者は医療がどうであれ生きるだけという視点であるという地域感情が硬いため、医療にかかるという考えさえ薄いとも聞く。医師に対しても拒否的な概念があるのだろう。もっとも医師側にコミニケーション応力がなければ確かにこういう問題もあろうし(そういう医師もままあることも感じている)これはたとえば言葉のなまり一つで生じるという脆い物ではあるようだ。そこで医師の職分として全うな値の賃金を支払うということが必要であっても、其の賃金をしって、其の賃金取得者が存在すること自体が、地域の住民の反発を得るということなら、医師の存在自体が否定されることになる。この場合、其の地域にあった報酬(ほとんど生活保護すれすれ)ということになってしまうと事実上医師の雇い入れは困難である。
さらに長く寒村となっており、座して滅ぶを美徳とするという見方も地域の通念として蔓延していることから、若者の流出もとまらない上に、若者が来ることもない(さらに流出対象の若者の親の層さえも今は少ない)ということが価値観の固定化につながり、皮肉にも安定した「地域」の熟成に繋がるというのもあるかもしれない。其の中には共同体として賃金の大幅な差がありことが看破できないということであることが価値観の固定化の是認に繋がるという側面がある。
確かに、通常の看護師の教育に加え、大学院等でより専門的な学習を行った者に資格試験を行い、一定の範囲で緊急処置を講じるという手法もあり、これは日本でも検討されているのだが、これとて其の中には共同体として賃金の大幅な差があることを是認できないと同じ問題をはらんでいる。
現状の法規では医者が近くにいなかったので、家族が助からなかったということはありうる。医師の排斥による結果でがこれだといって、今度は国民皆保険の概念と合わない。このようにドミノ倒しに問題が起きるというのもこの課題の特徴である。
先の阿久根市では、医師の確保がほとんど困難ということもあり、また賃金カットすることで今後の医師確保がほとんど不可能になるということがわかっていたらしく、それによって病院閉鎖とかいうことにはならなかった。むしろ実は県から来る一般事務の出向者に関してもおなじことが露呈されてしまうため整合できない。このあたりにも地域の認識で医療というものがどうあるのかという意識は変わってきそうな気がする。
---------------------------------------------
新自由主義において、大衆にまで行き渡る最小限の医療行動は報酬に依存すると都市部に偏在する。その結果都市部に於いての患者確保(収益確保)は過当競争を示している。
「通信網の価値は利用者数の二乗に比例する。また、通信網の価格は利用者数に比例する」というメトカーフの法則というものがあり、これはライリーの小売引力の法則という 「客が買い物をする確率は、商店街の魅力に比例し、そこまでの距離に反比例する」というものに拡大して類型化されている。(この類型化のひとつに交通が普及すると過疎地域が増加するという、ストロー効果がある)医療というものに対しても「患者が医療を受ける確率は、医療内容の魅力に比例し、そこまでの距離に反比例する」と読みかえられる。ところが、医療内容に関しては患者がそのレベルを等しく評価できるかというところもあり、もともとそのような評価軸がなかったりすると、遠隔地に高度医療の医院を開業したほうが、地域計画上最適という見方になりうる。それが緊急医療とは相反するのであろう。
どこでも人口が密集している市(中核市)に医師は集中し、周辺の郡部の医療過疎が進んでいるとのことだった。本当のへき地には、政策的に医師が配置される場合もあるがこの場合は地域が医師を要らないという地域さええ出てきている。一方、その中間地域では医師不足に陥っているそうだ。
前述したように開業では、都市部ではいい店舗の場所がないとのことがネックであるらしい。そういう立地のよさげなところは医院の増加で大抵の場所にすでに既存医院があるので、なかなか経営が難しい。一方地方では患者自体の要求が高度になればなるほど開業費用がかかって費用回収ができない。都内の開業は厳しいとぼやく医師と地方の医療過疎の現状は、医師の資質や数の問題だけではなく、また医療に関する「医は算術」的な倫理概念の問題でもなく、医師の偏在の問題がおおきい。しかし新自由主義下では医師の偏在は政策的医療の普及しか修正手法がないということになる。(まさに自治医大はそのための大学だが・・・)
---------------------------------------
先日20数年ぶりに郷里であった(上述の)医者たちのなかには地方医療に従事するものもあるが、しかし、それは大学病院からの派遣などという任期つきの赴任である。そして開業医がいたところで、高度医療のニーズもなければ、それ以上に医療にかけるお金さえ確保に苦労していることから、普通なら経営的に成り立たない地域でもあるという。(これは医療業務自体のコストが膨張しているからとも言える)良心的な経営をしてもそうなるということから、彼が行くことになるということであった。ただやっぱり最新医療に触りことができず、資質向上という目的には合わないと悩んではいながら、それでも淡々としごとをこなしているようである。いやそれしか確実になすべきことがないからでもあろう。
医師とて社会人である。其の社会人ということを社会がどう評価するのかについて、どこも四苦八苦しているという感じがする。いや医師のみでないすべての産業において。

|

« 医師の感覚(1/2) | トップページ | 黙れ! »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/100146/53694602

この記事へのトラックバック一覧です: 医師の感覚(2/2):

« 医師の感覚(1/2) | トップページ | 黙れ! »